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雪原の記憶

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『雪原の記憶』

 生まれたところは海に近い寒村である。海に近いといっても、低い山が壁のように海を隔ており、海に行くにはその山を越える必要があった。
 村は幾つかの集落に別れていて、自分が生まれた集落は僅か六十たらずの戸数しかなく、広大な水田地帯に浮かぶ、さながら小さな島だった。そこには何もなかった。小さな雑貨屋が二軒あるだけである。バス停も駅もなかった。

 山麓にある小学校に行くためには、水田地帯を縫う曲がりくねった道をあるかなければならなかった。小学生の足で、一時間近くかかった。
冬になると、集落を囲む水田は広大な雪原に変わった。遮るものがないもない白い世界に。そんな雪原の中をたった一人で歩いて、恐ろしい思いをしたことがある。小学校五年生の頃の話だ。
冬は、一人で雪原を歩くのは危険なので、何人かで一緒に帰ることになっていたが、ある日、一人で家に帰ることになってしまった。
学校を出たとき、曲がりくねった道を通って帰るか、それとも、道のない雪原を過って真っ直ぐ帰るか迷った。曲がりくねった道には、木や小さな避難所のような小屋があったので、仮に雪が激しく降っても、木の陰やあるいは小屋に逃げ込めばなんとか耐えしのぐことができた。しかし、真っ直ぐによぎろうとする雪原には、避難できるところはなかった。少しでも早くか帰りたいという気持ちが強くかった。天気も良かったので、迷った末、雪原を真っ直ぐよぎって帰ることにした。
雪原の真ん中にきたとき、突然、風が吹いてきた。風は直ぐに吹雪に変わった。まるで堰を切ったように、吹雪の勢いは増し、さながら獣のよう襲いかかってきた。退くのも前に進むのも出来ない。顔を真っ直ぐにあげようとすると、礫のように雪が当たるので痛いので、顔をあげることもできない。顔を下に向け、立ったままでいた。どれほど待ったことが、風が少し弱まった。少しずつ、前に歩いた。切なくて泣きたい気持ちに駆られたが、泣かなかった。泣いても始まらないから。
 収まらない吹雪のなかを一歩一歩踏み締めて歩いた。必ず、歩けば、その先に家があると信じて歩いた。雪の礫に当たらぬように下を向きながら。
時折、吹雪の勢いを増す。あたかも獣の咆哮のように耳をつんざく。切ない思い、寂しい思い、情けない思い、それらが交互に押し寄せ、泣かないと思っても自然と涙が流れる。
 やがて吹雪の壁から屋敷林に囲まれた我が家が見えた。そのとき、どれほど嬉しかったことか!
 家の戸を開けると、母親が迎えてくれた。母親は微笑みながら、身を屈め、「雪は凄いね。一人で歩いてきたのかい?」と聞いた。そのときの母は大きかった。そして手を握ってくれた。温かい手だった。






作品名:雪原の記憶 作家名:楡井英夫