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闇に咲く花~王を愛した少年~Ⅱ

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「何ゆえだ、今のままで身を任せるのは心許ないのか、将来が見えず、不安だと? そなたは先刻、予が戯れでそなたとこうして忍び逢っていると申したな。だが、それは酷い誤解だ。そなたと同じだけ真剣に、いや、恐らく、予のそなたへの想いは、そなた以上に強いであろう。誠恵、これだけは信じて欲しい。予は遊びや気紛れでそなたに近づいているわけではない」
 王はしばらく考え込み、勢い込んで言った。
「それでは、そなたにふさわしい位階を与えよう。いきなり嬪に叙すことはできぬが、まずは淑媛(スゥクオン)に任じ、いずれ、そなたが予の子を生んだ暁には最高位の嬪の位を与えると今、ここで約束しよう。それならば、そなたも安心して、予に抱かれる気になるのではないか」
 王がもう待てないとばかりに再び抱き寄せようとする。誠恵は、するりと身を交わして逃げた。
「殿下、私が申し上げているのは、そのようなことではございませぬ」
 光宗が虚を突かれた表情で誠恵を見返す。
「では、そなたは何を望むというのだ、やはり、下位の淑媛では不満だと申すのか」
「私は殿下のお心さえ頂ければ、それで十分にございます。嬪の位階も何も要りませぬ。ただ、堂々と殿下のご寵愛を賜りたいのでございます」
「そなた―、何が言いたい? 確かに妃の中では淑媛は下級の地位にすぎぬが、幾ら国王たる予でも端からそなたを高位の妃にしてはやれぬ」
 かすかな苛立ちが王の声音にこもる。
 誠恵は潤んだ瞳で王を見上げた。この眼で見つめることが、この若い王の心をどれだけ動かすかを、彼女はよく心得ている。
「いいえ、先ほども申しましたように、私は妃としての地位も側室としての立場も望みませぬ。殿下、私が心より願うのは、心からお慕いするお方とこうして夜中に人眼を忍んでお逢いするのではなく、昼間堂々とお逢いすることなのです」
「そのためには、そなたが正式な側室となるのが一番であろう」
 王が真意を計りかねるといったように首を傾けた。
 誠恵はありったけの想いを込めた瞳で見上げる。
「私を邪魔者だと仰るお方がおられると噂に聞きました」
「伯父上のことか」
 左議政孔賢明は、自分をけして良く思ってはいない。―どころか、十九歳の青年国王をその色香で惑わす妖婦だと敵視し、事あれば遠ざけるように光宗に進言していることも知っている。
 宮殿は広いようでも、その手の噂は野火が燃え広がるよりも早く広がるものだ。殊に、後宮の女官たちの間では独自の情報網があり、政治向きのことから同じ後宮内の出来事まで、口から口へとひそやかに伝わる。昨日起きたばかりの出来事が翌朝には、もう後宮中にひろまっているという案配だ。誠恵と光宗の烈しい恋もまた同じようにして忽ちにして人々の知るところとなった。
「左議政さまは、私が殿下をたぶらかす女狐だと仰せだとか」
 誠恵がいかにも哀しげな声音を作ると、光宗の大きな手のひらがそっとその背を撫でた。
「噂は噂だ。伯父上は常に私の心を理解して下されている。早くに父を喪った予には我が父同然の方なのだ。その伯父上が予の心を無視した噂を流すはずがない」
「さりながら、私ども下級女官の間でもその噂は流れております。そのお陰で、私は仲の良かった友達からも今は無視され、一人ぼっちなのです」
 この話は、あながち嘘というわけではない。誠恵は朋輩の厭がる仕事―例えば洗濯―なども率先して引き受け、できるだけ周囲には〝良い娘〟であるよう印象づけていた。その甲斐あって、直属の上司である趙尚宮(チヨンサングン)からも
―張緑花は働き者で機転も利く上に、思いやりもある優しい娘だ。
 と、可愛がられている。
 趙尚宮は年の頃は五十近く、後宮に四十年以上もいる大ベテランだ。謹厳なことでも有名で、趙尚宮の名を聞いただけで震え上がる若い女官も多い中、誠恵はすぐに気難しいこの趙尚宮のお気に入り女官となった。
 仲間が多いほど、情報も入手しやすくなるというものだ。誠恵はそれを見越して、友達を同じような年頃の若い女官たちの中に大勢作るよう心がけてきた。しかし、皮肉なことに、光宗が入宮後まもない見習い女官張緑花を寵愛している―との噂がひろまってからというもの、親しくしていた友達は潮が引くように遠ざかった。
 休憩時間に輪になって談笑している彼女たちに誠恵が話しかけようとしても、意味ありげな視線を交わし合い、蜘蛛の子を散らしたようにいなくなってしまう。
 十歳で実の親に遊廓に売り飛ばされて以来、誠恵は常に孤独であった。今更、友達など欲しいとも思わないけれど、これはやはりこたえた。自分は〝女〟ではないから、女同士の嫉妬というものを完全に理解することはできない。が、朋輩女官たちが自分に向ける冷ややかな視線がまさにその〝嫉妬〟であることくらいは判った。
 彼女たちは、いきなり現れた新米が国王殿下の寵愛を得たことを妬んでいるのだ。
 やはり、自分はどこに行っても、一人ぼっちになる運命なのだろうと、半ば自嘲気味に今の状況を受け止めていた。
 心から受け入れて貰えなくても良いから、せめて無視だけはしないで欲しい。そんなことを考えていると、つい、ほろりと涙がこぼれ落ちた。
「予のために、辛い想いをしているのだな」
 光宗は誠恵を引き寄せ、その艶やかな黒髪を撫でた。今度は誠恵も逆らわず、大人しく王の胸に頬を押し当てている。
「そなたが正式な側室となれば、最早、そなたに辛く当たる者はおらぬだろう。さりながら、当のそなたがそれを望まぬのあれば、致し方ない。予は権力を楯に、そなたの身体を欲しいままにするような真似だけはしたくない」
「もし左議政さまが私を宮殿から追放せよと仰せになったら、殿下はどうなさいますか?」
 逞しい胸に唇を押し当て、誠恵の声がくぐもった。
「緑花、そちは予がこれほど申しても、まだ我が伯父上を愚弄するか」
 王の声が苛立ちと怒りを帯びている。
「申し訳ございませぬ。殿下のおん大切な伯父君さまを何ゆえ、私が愚弄など致しましょう。口が過ぎました。どうぞ、ご機嫌をお直し下さいませ」
 光宗がこれほど感情を露わにして憤ったのを見たのは初めてだ。寵愛を失っては元も子もないと、誠恵は引き下がった。
「判ってくれれば良いのだ。予はいずれ、そなたを妃に迎える。その暁には、伯父上もそなたの後ろ盾となって下されよう」
 実家が力のある家門であれば、その妃は後宮で時めく。光宗は誠恵を妃にした時、その後見役に左議政を据えようと考えているようだ。
 だが、そんな日は永遠に来ない。
 何より、自分は〝女〟ではない。この時、誠恵の脳裡に一瞬だけ、一つの光景が浮かんだ。
 光宗の妃として、きらびやかな衣を纏っている自分、二人にとっては想い出の南園を王と並んで微笑みながらそぞろ歩く―。
 もし、この身が女性であればと、これほど願ったことはなかった。たとえ領議政に送り込まれた刺客でなかったとしても、ただ男であるというだけで、もう自分は光宗にはふさわしくない存在だ。
 男である我が身が妃として光宗の隣に並ぶ日は来ない、来るはずがない。
 隙間から風が吹き込んできたのか、燭台の焔がちらちらと揺れる。