金の太陽、銀の月。
いつもは週末にぎわうこの通りも、今日はなぜかしんみり、としている。
もう昼下がりだというのに、街全体が眠りから覚めていないようだ。
土曜の二日酔いがとれずに家で寝ているのだろうか。
それとも朝早く起きてフット・ボールの試合を観に行ってしまったのだろうか。
寒いから家の中で紅茶を飲みながらビスケットを分け合っているのかもしれない。
引っ越しがあるので早く帰らなければいけないと言う友達と駅で別れ、
ふらりとこの通りにやってきた。
ギャラリーにいくためだ。
開いているかも分からない、ギャラリーにいくためだ。
絵や写真を見たい気分と言うわけでもない。
でも、頭の隅に今までなかった考えが浮かび、
あのギャラリーに行け、と信号を送ったのだ。
直感にまかせて路面電車に飛び乗り、
足を運ぶのではなく足に運ばれてここまできた。
白い髪の老人が黄ばんだ分厚い本を読み、カフェでコーヒーをすすっている。
ハンチング帽の下に見え隠れする黄ばんだ肌には深いしわが走り、
乾いた手で押さえられた本の上を、鋭い視線が流れている。
綺麗な栗色のショートボブに、黒ぶちメガネをかけた女が、コイン・ランドリーの椅子に座りながら宙を眺めている。
隣りにいるボーイフレンドは忙しく濡れた服やタオルを洗濯機から乾燥機へと移していく。
黒髪のがっちりとした体系の男がひとりでピザ屋の椅子に座っている。
伸びたモッツァレラチーズとトマトソースがのったピッツァを口に入れる。
薄い生地だが柔らかいパン生地のピッツァだ。
ピザ屋を通りすぎたところに
小さな小さなドアがある。
それをくぐると白い二つの壁に挟まれ、
黒の小さな階段が上へとのびている。
シンプルだが建物の古さがにじみでた綺麗な階段だ。
足を前にだし、一段一段を踏みしめていく。
遠目から見ると美しいこの階段は不思議なくらいに、のぼりにくい。
が、なにが原因でそうなのかは分からない。
あえて言えば
止まってしまったエスカレータを仕方なくのぼっていくときの
不自然なのぼりにくさに似ているだろう。
そして階段は右にまがり、そしてまた右にまがり、
右にまがり続けていくうちに三階までくるのだ。
黒い階段が切れて、木目のキャラメル色の床が広がり、
白い壁はまっすぐと立って動かない。
白い壁には無数の写真や絵が横一列に真っすぐかけられている。
長方形の大きな部屋は太陽の光がさしこみ
ぼんやりとした黄色みを帯びている。
しかし、窓は見えない。
部屋の真ん中に一つの大きな白いしきりがある。
展示する作品が多すぎたのだろうか。
真っ白なしきりにも無数の色鮮やかな作品がかけられている。
全てがひっそりと眠ってしまったように動かない。
平和だ。
きっと天使が降りてきて、
すべての雑音を取り除いたあとに
光をそっと置いたままにして窓から出て行ってしまったのだろう。
そんな幸せで平和な静けさがこのギャラリーにはある。
コツリ。コツリ。と一歩一歩
自分のブーツと床の重なる音を確かめながら、
一つ一つの作品に出会っていく。
時にはじっくりと近寄ってみる。
目を走らせるだけのものもある。
二つめのかどを曲がり
しきりを越えたところで
はじめて窓辺で初老の男が椅子に座っているのに気がつく。
背もたれに深く腰掛け、
長めの足を反対側に置かれた椅子の上で重ね
タバコの箱ほどの厚さがあるのではないかと思われる本に目を向ける。
老眼鏡は高い鼻に座り、鮮やかなコバルトブルーのタートルネックのセーターの上に
深い蒼の下地にカラフルな毛糸が盛り込まれた大きいカーディガンを羽織っている。
窓辺には小さな手帳とペンが置かれいくつもの走り書きがしてある。
光に包まれた男はこちらに目をあげる。
そしていたずらっぽい目をして口角をあげてスマイルを向けてよこした。
こちらも口角をあげてスマイルを返す。
「今日は本当にいい天気じゃないか。」
男は窓の外に目を走らせる。
「そうですね。久々のいい天気だ。」
「こいつの昼寝にぴったりの暖かさだ。」
男のひざに乗っている白い毛玉が一匹の猫であることに
気がつく。
白い長い毛が、腹のあたりで静かにゆっくりと動いている。
半分眠っているようだ。
窓から差した光が猫の白い毛に当たり跳ね返る。
キラキラと輝いてみえる。
猫の頭をなでてやると
初老の男が思い出したように静かに言った。
「金は太陽の中に。銀は月の中に。」
なんのことだろうかと首をかしげると
また口角をあげスマイルを一度作り、
話を続ける。
「ジプシーのことわざの一つさ。
その意味は、僕たちは何も要らない、ということさ。」
窓に目を走らせ、太陽の光を見る。
たしかにキラキラと金色に輝いているように見えないでもない。
もう一度視線を落とし、猫のキラキラとした白い毛を眺め
そして初老の男の老眼鏡の向こう側にある瞳を見つめる。
黄色と緑が混ざった目の色をしている。
またいたずらそうな視線を送り、
猫の背中をゆっくりと静かになでながら、
言葉を付け足していく。
「太陽の光の美しさは、金を手に入れるよりももっと、
人を幸せな気持ちにすることができる。
月の光の美しさは、銀を手に入れるよりももっと、
人を幸せな気持ちにすることができる。
だから、金も銀も、手に入れる必要がないということさ。
太陽の光と月の光に目を向け
美しさを味わうだけで人は幸せな気持ちを得られることができる。」
なでられた猫がゆっくりと目をあける。
男と同じ黄色と緑の混ざった綺麗な目をしている。
そしてまたゆっくりと目を閉じて
口元に笑みを浮かべ、喉を鳴らす。
「人間も、動物と同じだ。
本能がある。欲求がある。
お金やものを欲しいと思うのは自然なことさ。
でもね、
太陽や月を美しいと思えるのは
文化ある人間だからこそじゃないかと思うんだ。
世界はどんどんお金を中心とした時代に変わっているけれど
本能や欲求に引き寄せられるんじゃなく
なんでもない小さなことに
美しさや喜びを見つけて生きていくことが
一番人間らしい生き方というものじゃないかなぁ。
自分の耳と、目と、肌を、信じてね。
たとえそれが少し貧しい生活になってしまったとしても。」
男はゆっくりと顔をあげ
窓の外の光を眺めた。
その視線を追い、窓の外に視線を向ける。
そこにはまだ静かなスミス・ストリートが横たわり
人々が思い思いの方向に行ったり来たりしている。
光に包まれながら。