海人の宝
「他に行くところなんてなかったから。一年前に入隊したのは、高校を出ても、大学にも行けないし、食っていけるだけのまともな仕事もなかったからさ。子供の頃から母さんと一緒に暮らしてきたけど、食うに困るのが当たり前だから大学の授業料なんて払えるはずがない。俺のところって、貧乏なところだから、学校ではまともな勉強させてくれないし、奨学金なんてもの、全然受けられなかった。卒業しても働けるところといったら、ハンバーガーストアぐらいで、仕方ないから海兵隊に志願したんだ。高校に来たリクルーターから海兵隊に入隊すれば大学に行くための奨学金が受けられるって言われたから。好きで入ったわけじゃない」
なるほど、貧民徴兵制か。
「でも、どうして今更脱走なんてするの?」
とセーラが詰め寄る。
「明日にはアフガニスタンに派遣されるんだ。あそこでは、戦死する人が増えているっていうし、もちろん、そんなの覚悟の上での入隊だったけど。だけど、入隊して、いろいろと当初知らされてなかったことを聞いたんだ。戦場から帰っておかしな自殺をした人がいることや、せっかく奨学金を貰って大学に行っても精神に病を持ったため、まともに講義を受けられなくなった人がいるとか。また、アフガニスタンやイラクでは、平気で民間人を殺しているって。そして、殺した民間人を武装勢力だと思わせるため、死体のそばに銃を置いて、正当防衛に見せかけるのが常套手段だって。そんなこと聞いて、ぞっとしたんだ。政府は騙しているんだ。国のためだって、テロのない安全な世界にするためだなんていいながら、ひどいことを僕たちにさせている。テロはアメリカ軍だ。もう、そんなことをさせられるのは嫌なんだ。戦場で殺される以上に、罪のない人を自分が殺さなければいけなくなるのが嫌なんだ」
トニーは話しながら目に涙を溢れんばかりに浮かべた。
龍司は思った。ああ、こんな奴を戦場に送ってはならない。何とかしないと、そうだ、話せる相手がいる。
龍司は、キャンプ・ヘナコに向かった。
辺奈古は、日もそろそろ暮れ始める時間になっていた。キャンプのゲートに向かおうとしたが、たまたまゲートに向かう途中の金網フェンスから、芝生のフィールドで格闘訓練の指導をしているヘインズ曹長を見つけた。立ち止まって、金網からヘインズとヘインズから訓練を受ける数十人の若い兵士たちの姿を眺めていた。ヘインズはTシャツにサングラスをしており、大柄な兵士たちの中でも一際、体格の大きさと逞しさが目立つ。一人の訓練兵士を地面に四つんばいにしたうえで、羽交い締めの方法を教えている。殺人の訓練なのだろうか。
金網越しの自分に気付いてくれないだろうかと思った。いちいちゲートまでいって呼び出すのも面倒くさい。
すると、警備員、見るからにウチナンチュウの年老いた男が近付いてきて、
「あんた、ここで突っ立って何をしている。じっとしてないで、どっかいかんね」
と声をかけた。
龍司は、警備員に言った。
「あの教官、ヘインズ曹長っていうんでしょう。彼に伝えてくれませんか、トニーのことで緊急に用があるって。そう言えば分かるし、そのことを伝えなければあなたにとって不利な結果になりますよ」
警備員は、はあ、という顔をしたが、しばらく考え込んで、訓練中のヘインズに近付き、龍司のいる方向を指差し、何かを言っている様子だ。
すると、ヘインズが走って金網までやってきた。
「やあ、チャーリー、ごきげんよう」
「リュージ、トニーのいる場所を知っているのか」
「二人だけで話せないか」と龍司。
「もちろんだ、そこで待ってろ。今から、そっちに行く」
とヘインズ、訓練生を解散させ、建物の中に入っていく。思った通りだ。
そして、数分後、龍司のところに現れた。二人は車の中に入った。
「トニーに会いたい。君のところにいるんだろう」
「事情は分かっているよ。だけど、彼を連れ戻す気ではないよな。明日にはアフガニスタンに連れて行くのだろう」
と龍司。
「何を言っている。奴は脱走をしたんだぞ志願して入ったからには決められた任務を全うする契約がある。このまま明日の招集までに戻らなければ軍法会議にかけられる。そうなれば刑務所行きだ。刑務所を出た後は、そのことが一生つきまとう。非国民としてリストされ、就職もまともにできなくなるんだ」
龍司は言葉を失った。これが軍隊のある国の掟なのか。日本の自衛隊なら好きな時に除隊できる。そして、除隊してもお咎めなしだ。
「しかし、今のトニーを見る限り、とてもじゃないが戦場に行ける状態じゃないぞ」
「私が彼を説得させる」
「無理矢理連れ戻すんじゃないよな」
「そんなことはしない、私と彼なら、じっくり話しをして解決策が見つける。会わせてくれ。頼む」
ヘインズの表情は深刻そのものだ。
「分かったよ、チャーリー」
と言って龍司は車を発進させた。
車は別荘に着いた。日は暮れ、辺りは暗くなっている。電灯の点いた別荘の中に入った。リビングルームにセーラとトニーがいた。二人はソファに座ってコーヒーを飲んでいた。
トニーは、ヘインズを見た瞬間、立ち上がった。
「僕は戻らないぞ」
と大声で叫んだ。
「連れ戻しに来たんじゃない。一緒に話しに来たんだ」
とヘインズ。
「うそだ。あんたたちもひどい。助ける振りして、こんなひどいことするなんて」
トニーは、さっと走り、キッチン側に向かい、キッチンの裏口を開け外に出た。
三人はトニーの後を追う。トニーはひたすら走る。暗い中、森の中を走る。
「トニー、止まるんだ」
龍司が叫んだ。この先が崖だということを知っている。止まらざる得ないだろう。
だが、トニーは止まらなかった。そして、その崖から姿が見えなくなった。どうしたのだろうかと思った。暗くてどこへ行ったのか分からない。しかし、この先が崖である限り、その先に進めないはずだ。
崖を滑って降りたのか。昼なら、腰をかがめながら、足を滑らせながら降りられないこともないが、こんなに暗くなると足元が見えないから転げ落ちるしかなくなる。そうなるとかなり急だから、危険だ。
三人とも、崖の先まで来たが辺りにトニーはいない。崖の下は真っ暗で何も見えない。崖の下は海岸だ。二、三〇メートルの高さがある。
海岸まで、車で道路を走って降りることにした。五分後、崖の真下の海岸まで来た。真っ暗な砂浜にヘッドライトを照らす。崖の真下のごつごつとした岩場に人らしきものが横たわっている。
まさか、と思って照らした。あ、トニーだ。倒れ込んでいる。どうなったのかと不安になり近付く。
血まみれだ。頭や胸から血を流している。かなりの重体だ。ヘインズが抱き上げる。反応がない。しかし、虫の息程度の呼吸と脈はあるみたいだ。急いで、救急車を呼ばないと、と思い龍司は携帯電話を取り出した。
すると、ヘインズが叫んだ。
「私の息子なんだ。私の息子なんだ、トニーは」
チャーリーは涙を流しながら大声を上げた。
それから、一時間後、手術室の前に龍司とヘインズがいた。救急車で運ばれ緊急手術が始まった。腕や足、肋骨を骨折、内臓も破裂している。かなり危ない状態であるということで、すぐに手術室に運ばれた。