ジェラシー・イエロー ~翡翠堂幻想譚~
二人は頷いた。
「あれだけ目立つ人だからねえ。婚約者がいるってなったら絶対に噂になってるわよ」
「でも私たちは何にも知らない。秘書課なんて女が9割の部署なんだから、噂話の宝庫なのよ。その私たちが知らないんですもの。きっと隠してるのよ。あなたのお姉さんっていう、婚約者の存在を」
翔威は沈黙してみせる。
美咲が見せたあの、蕩けるような表情を思い出す。好きで好きでたまらない。全身でそう表現していた。翔威はそんな風に人を好きになったことも、好きになられたことも、ない。
人並みに誰かを好きになったことはある。中学時代に付き合った彼女はいた。ファーストキスだってすでに済ませた。しかしもう、その相手も思い出せないくらいだった。中学二年のときに数ヶ月、付き合っただけの少女だった。告白されて舞い上がって、初めてのことだったから付き合った。
友人たちにからかわれたり、大変なこともあったけれど、おおむね幸せだったと思う。
だが八方美人な翔威に彼女は愛想を尽かした。追うこともしなかった。そこまで思いいれがあったわけではなかった。男友達とぎゃあぎゃあ騒ぐ方が楽しかった。
美咲のような恋がしたいと心から思うわけではないが、そこまで熱心になれる相手がいるのは、少しだけ羨ましかった。
黙っている翔威を慰めるように、美紀子はチーズケーキを頼むと「これもおまけよ」と笑った。
「美紀子さん……」
「お姉さんに真実を告げるかどうかはあなたが決めて。そのまま結婚をして、それから不幸になるのと婚約を破棄して不幸になるの、どっちがいいか。……まあでも、浮気の証拠があるわけじゃなし、慰謝料請求とかしたいなら結婚してからの方がいいかもしれないわね」
シビアな話だけど、と美紀子は紅茶を一口飲んだ。
「あ」
それまで黙っていた真衣が何かを思い出したように声をあげた。
「そういえばあたし、思い出したんですけど……あたし、営業二課に友達がいて、その子が言うには高橋さん、確か……」
合コンに行って、すごいお金持ちのお嬢さんをゲットした、って。
「それがお姉さん?」
翔威は首を振った。美咲は普通の単身者用マンションに住んでいたし、母子家庭だと言っていた。それほど裕福な生活をしているようには見えなかった。
「じゃあ、それ調べてみたら浮気してるってなるかも……!」
「ぜひ調べてください! 姉を不幸にしたくないんです!」
まるで本当の身内を案ずるように、翔威は「お願いします!」と頭を下げていた。
携帯の電話番号だけを交換し、奢ってもらったのと話をしてもらった礼を丁寧に言って、二人とは別れた。
そのまま翔威は翠の携帯に電話を入れる。なんとなく彼に携帯電話は似合わないな、と思ったのだが、彼が使用しているのは最新式のスマートフォンだったのに衝撃を受けたのは記憶に新しい。「中1んときに買ってもらったガラケーなのに、俺」と思いながら通話に切り替わるのを待った。
数コールの後に翠が電話に出る。直接話すときと同じくらいの感情の篭らない声だと思った。
「翠さん? 今会社の人から情報もらったよ。やっぱり婚約者、めちゃくちゃ怪しい」
『そうか。こっちも、依頼人からあるモノを借りた。明日こっちに来い。たぶんポルターガイストの原因を見せてやれる』
そう言った翠の声はなんとなく楽しそうだと思った。些細なニュアンスの違いではあったけれど。
翌日の16時に店で会う約束をして、通話を切った。
そういえば最初あの店に行ったときはあんなに怒られたのに、こうして向こうから来いと言われるようになるなんて、少しくすぐったい気持ちになった。
作品名:ジェラシー・イエロー ~翡翠堂幻想譚~ 作家名:葉咲 透織