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遠雲

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黒っぽい、ほとんど灰色の雨雲が、遠くの空に重く垂れ込めている。それなのに太陽はかんかんと照りつけているから不思議なものだ。今は四月、三月から上がってきた気温が、徐々に徐々に上昇して、昼日中にはすっかり暖かくなっている。空気は水を含んでいるようで、それはきっと春になってほころんだ草花のつぼみが、一斉に発する水分なのだ。吸い込むと胸の中が洗われるような気持ちがして、夏目は大きく深呼吸した。
 自転車を滑るように走らせる、夏目の胸中は軽い。スーパーの横のバス停で、彼の人が待っているはずだ。ペダルをこぐ足に力を入れる。前回会った時から、実に一月ぶりの会合だった。
 スーパーの裏口の、狭い道路を挟んだ民間の前に、そのバス停はある。コンクリートの塀の向こうから、こぼれるような大きな花が覗いている。色は紫で、細い茎と葉に囲まれて大きな頭を重そうに垂れている。
 その見事な花を背景にして、新見は立っていた。小さなバス停には備え付けの椅子もない。赤と白とで色付けされた板がぽつんとおいてあるのみである。新見はその立て板の横に籠の鞄を両手で持ちながら、一人ぬっと立っている。
「新見さん」
 と声を掛けると麦わら帽子の陰から顔が出て、「やあ、来ましたか」と言って眼鏡の奥で笑った。
 夏目は自転車を押したままだったので、これを停めると、すぐに新見の所へ戻った。
「これが今度の石ですか」
 夏目がしげしげと眺めるバスケットの中には、大小様々の鉱石が入っている。
「そうです。籠がいっぱいとまでは言わないが、せめて底に敷き詰められるぐらいには探して下さい」
 夏目はどうしようもなくわくわくしてきて、目を爛々と輝かせて、新見を急かした。
「新見さん、早く行こうよ。暗くなったら寒くなるよ」
 駆け出した少年の後を、新見は笑いながら追いかけた。ゆるゆると歩いていると、籠の中の鉱石がからから言う。鉱石を気にかけながら、新見は夏目の背中とこれから登る山を見る。新緑でうす緑色に染まった山の上に、灰色の雲が重く垂れ込めている。季節はもうすぐ夏で、空気は湿っている。
作品名:遠雲 作家名:柚子