鍵
「たっだいまあ。つっかれたあ……も、だめ。死にそう……」
やれやれ…スケート馬鹿の御帰還だ。
「龍生! ゴハンできてるぅ? おなかっこぺこで死にそう!」
悠生のヤツ、ずかずかとリビングに入ってくるなり、自分の命の次に大切な(だといつもぬかしてる)スケート靴の入ったバッグをソファに乱暴に放り投げた。
「靴、持って帰ってきたんだ。ロッカーに置いてくればよかったのに」
「う~ん、たまには持って帰って陽に当てないとカビるし……」
そう言って僕と同じ顔のコイツはキッチンをうろうろして何かつまもうと物色してる。時計の針はあと1時間で明日になるっていうのに。
「わあい。今日はカレーだあ。おいしそう……龍生腕上げたね」
ったく…そうなったのは一体誰のせいだと思ってんの? おまえがフィギュアスケート選手で、朝から晩まで年がら年中練習ばっかしてるからだろ……!
正真正銘高校一年生の、しかも男がカレー作るのが上手いって褒められてもちっとも嬉しいわけがない!
父さんも母さんも二人が興した会社にかかりっきりで昔から留守がち。連日の激務で帰宅は深夜。大抵いつもは僕とおまえの二人っきり。さらにおまえは何度も言うけどスケート馬鹿。毎日の練習で家になんかいるわけないし。そうなると必然的に家事全般……特に夕飯作りは僕の仕事ってことになる。どうしても納得いかないね!
「もうさ、どうでもいいからさ、手伝ってよ」
そういって手渡す山盛りのカレーの皿は2人分、スプーンも2人分。
「もしかして龍生食べないで待っててくれたの?」
「だって独りで食べても美味くないしさ」
キンキンに冷えたミネラルウォーターのペットボトルも2つテーブルに置いて、僕と悠生はソファに座らずに並んでカーペットに直に腰を下ろした。
「龍生……」
「何?」
僕は思いっきり不快な顔をしたまま悠生の様子を窺う。するとあいつったら……。
「ありがと!」
「!」
満面の笑顔の効き目は強力だ。まるで不意打ちのカウンターを食らったみたいだ。
耳まで赤くなるのを隠すために、さりげなく顔を逸らした。
「美味しいね。龍生のカレー最高!」
横目で見るとすざましい勢いでマジ美味そうに食ってる悠生。その食いっぷりは男顔負け。ホント我が双子の妹ながら呆れるけどね。
「ちょっとぉ……人の顔見て何ニヤニヤしてんのよ。もう気分悪……テレビつけよ」
カレーをほおばったせいなのか、ムクレてるのかどっちかわからないけど、頬を異様に膨らませてる悠生……馬鹿なヤツ。
「今日、どうだったの?」
「うん…あんまり調子良くない…ジャンプみんなパンクしたし…ちょっとヘコんでるんだ」
どうした? いつもと違って何だか弱気な返事でちょっと驚いた。
「何だかさあ……もう辞めようかなあ」
「どうしたんだよ、急にそんなこと」
悠生のとてつもない爆弾発言に僕は一瞬言葉を失くした。
「お前マジでそんなこと言ってんの? ウソだろ? お前は日本スケート連盟の強化選手なんだよ? なりたくても、誰もがおいそれとはなれない日本トップクラスのジュニア選手なんだよ?」
僕の剣幕に今度はそっちが驚いたのか、悠生はかちゃんとスプーンを置いちゃったよ。マジやべえ……。
「…それなんだよね」
ちょっと俯いて悠生はぼそっと呟いた。
「え?」
「強化選手・トップクラス・トリプル何種類? 練習は? 悠生! 悠生! 周りの皆がそればっかりで何だかもう疲れちゃった」
「……ごめん」
少しの沈黙の後、今度は僕が呟いた。最低だ。おまえがそんなこと考えているなんてちっとも知らなかった。おまえのこと一番良く理解していると思っていたのに、とんだ自惚れだった……。
「あっ、龍生、違うんだよ。龍生が悪いんじゃないの。皆にそれだけ期待されてるのはすごくよくわかるし、ありがたいなあって思ってる。だけど、だけどね……」
「うん…言ってみなよ」
「もうね…昔みたいに楽しくないの」
しばし沈黙。
テレビから流れてくるチャラいアイドルユニットのヘンな歌が急に音量最大限に感じた。
「僕が悠生の一番尊敬しているところは……」
「はあ? 龍生、ちょっと一体何言い出すのよお」
「いいから聞いてよ」
「わかったわよ」
「母さんに連れられて、初めて悠生の練習を見に行った時だ。いくつくらいだったか忘れたけどさ、ものすごい衝撃だったの覚えてる」
「何? そんな衝撃的なことあったっけ?」
「僕にとっては、だよ」
「ふうん」
「ダブルジャンプを始めた頃だったかな。悠生、うまく跳べなくて何度も転んで見ているこっちが痛く感じるくらい身体を強くリンクに打ち付けているのに、悠生ったらさ…」
くすっと僕は笑って慧生を見た。
「絶対泣かないの。で、転んでも転んでも起き上がるんだよ。ものすごく真剣な顔してさ。それが僕にとってはすごく衝撃だったわけ」
「そんなことあったんだ……全然覚えてない……」
「あったあった! それまで何するのも一緒だったのに、その時初めて僕と悠生は違う存在なんだってわかったんだ。僕にはあんなこと絶対できない。僕の知らない悠生の一面を見たあの時の衝撃は一生忘れられないね」
悠生の瞳に涙が滲んでる。
「あの時の一心不乱な悠生は、必ずまだ今の悠生の中にいるはずだよ。僕は月並みな事しか言えないけど、滑っている時の悠生が大好きだし、特にあの真剣な顔の悠生が忘れられないよ」
「…もう、龍生のバカ! 柄でもないこと言うな!」
あーもう……鼻水垂らすなよ……それを手で拭うなよ。
「だから、甘えたこと言ってないで、ギリギリ嫌になるまで頑張ってみれば? 今辞めたら絶対後悔すると思うけど? 疲れた時の旨いカレーならいくらでも作ってやるからさ」
「そ……だね。ありがとう龍生。あたしもう少しやってみる」
ホント、単純でわかりやすいヤツ。もう笑ってやがる。
「やっぱ龍生はあたしのこと一番わかってくれてる…あんたになら素直に何でも言える」
当り前さ。悠生のこと一番理解しているのはこの世で僕ひとり。
「はやく食っちまいなよ。明日になるよ」
「うん」
そう言って悠生の馬鹿食いは再開した。画面の中のくだらないアイドル見ながら。
……ねえ、そんなアイドルなんか見てないで僕を見てよ。
「龍生……」
最後の一口食べ終わって悠生はスプーンを置いた。
「いつもありがと。だいすきよ」
満面の笑顔でそう言う悠生。
ヤバイ。心臓爆裂しそう。
……言うや否や、こてんと僕の肩に悠生の頭がもたれてきた。耳に聞こえるのは子供みたいな寝息。これぞ瞬睡。
熟睡の悠生をベッドまで運んで、寝かせて、蒲団を掛けてやって、もうそれで充分疲れ果てた僕。部屋の照明を落として、まじまじと相棒の寝顔を見る。
双子だから、生まれた時から一緒だから、何するのも一緒だから空気みたいなモンって言うけど、それって嘘だね。
僕はあの時の悠生の真剣な顔を見て初めて人を愛するっていうことを知ったんだよ。ま、たまたまそれが双子の妹だったんだけどさ。
きっとこの先一生、この想いを何重にもロックして、心の中に閉じ込めておかなきゃいけないんだろうね。
絶対に誰にも知られちゃいけない。僕だけの秘密。
やれやれ…スケート馬鹿の御帰還だ。
「龍生! ゴハンできてるぅ? おなかっこぺこで死にそう!」
悠生のヤツ、ずかずかとリビングに入ってくるなり、自分の命の次に大切な(だといつもぬかしてる)スケート靴の入ったバッグをソファに乱暴に放り投げた。
「靴、持って帰ってきたんだ。ロッカーに置いてくればよかったのに」
「う~ん、たまには持って帰って陽に当てないとカビるし……」
そう言って僕と同じ顔のコイツはキッチンをうろうろして何かつまもうと物色してる。時計の針はあと1時間で明日になるっていうのに。
「わあい。今日はカレーだあ。おいしそう……龍生腕上げたね」
ったく…そうなったのは一体誰のせいだと思ってんの? おまえがフィギュアスケート選手で、朝から晩まで年がら年中練習ばっかしてるからだろ……!
正真正銘高校一年生の、しかも男がカレー作るのが上手いって褒められてもちっとも嬉しいわけがない!
父さんも母さんも二人が興した会社にかかりっきりで昔から留守がち。連日の激務で帰宅は深夜。大抵いつもは僕とおまえの二人っきり。さらにおまえは何度も言うけどスケート馬鹿。毎日の練習で家になんかいるわけないし。そうなると必然的に家事全般……特に夕飯作りは僕の仕事ってことになる。どうしても納得いかないね!
「もうさ、どうでもいいからさ、手伝ってよ」
そういって手渡す山盛りのカレーの皿は2人分、スプーンも2人分。
「もしかして龍生食べないで待っててくれたの?」
「だって独りで食べても美味くないしさ」
キンキンに冷えたミネラルウォーターのペットボトルも2つテーブルに置いて、僕と悠生はソファに座らずに並んでカーペットに直に腰を下ろした。
「龍生……」
「何?」
僕は思いっきり不快な顔をしたまま悠生の様子を窺う。するとあいつったら……。
「ありがと!」
「!」
満面の笑顔の効き目は強力だ。まるで不意打ちのカウンターを食らったみたいだ。
耳まで赤くなるのを隠すために、さりげなく顔を逸らした。
「美味しいね。龍生のカレー最高!」
横目で見るとすざましい勢いでマジ美味そうに食ってる悠生。その食いっぷりは男顔負け。ホント我が双子の妹ながら呆れるけどね。
「ちょっとぉ……人の顔見て何ニヤニヤしてんのよ。もう気分悪……テレビつけよ」
カレーをほおばったせいなのか、ムクレてるのかどっちかわからないけど、頬を異様に膨らませてる悠生……馬鹿なヤツ。
「今日、どうだったの?」
「うん…あんまり調子良くない…ジャンプみんなパンクしたし…ちょっとヘコんでるんだ」
どうした? いつもと違って何だか弱気な返事でちょっと驚いた。
「何だかさあ……もう辞めようかなあ」
「どうしたんだよ、急にそんなこと」
悠生のとてつもない爆弾発言に僕は一瞬言葉を失くした。
「お前マジでそんなこと言ってんの? ウソだろ? お前は日本スケート連盟の強化選手なんだよ? なりたくても、誰もがおいそれとはなれない日本トップクラスのジュニア選手なんだよ?」
僕の剣幕に今度はそっちが驚いたのか、悠生はかちゃんとスプーンを置いちゃったよ。マジやべえ……。
「…それなんだよね」
ちょっと俯いて悠生はぼそっと呟いた。
「え?」
「強化選手・トップクラス・トリプル何種類? 練習は? 悠生! 悠生! 周りの皆がそればっかりで何だかもう疲れちゃった」
「……ごめん」
少しの沈黙の後、今度は僕が呟いた。最低だ。おまえがそんなこと考えているなんてちっとも知らなかった。おまえのこと一番良く理解していると思っていたのに、とんだ自惚れだった……。
「あっ、龍生、違うんだよ。龍生が悪いんじゃないの。皆にそれだけ期待されてるのはすごくよくわかるし、ありがたいなあって思ってる。だけど、だけどね……」
「うん…言ってみなよ」
「もうね…昔みたいに楽しくないの」
しばし沈黙。
テレビから流れてくるチャラいアイドルユニットのヘンな歌が急に音量最大限に感じた。
「僕が悠生の一番尊敬しているところは……」
「はあ? 龍生、ちょっと一体何言い出すのよお」
「いいから聞いてよ」
「わかったわよ」
「母さんに連れられて、初めて悠生の練習を見に行った時だ。いくつくらいだったか忘れたけどさ、ものすごい衝撃だったの覚えてる」
「何? そんな衝撃的なことあったっけ?」
「僕にとっては、だよ」
「ふうん」
「ダブルジャンプを始めた頃だったかな。悠生、うまく跳べなくて何度も転んで見ているこっちが痛く感じるくらい身体を強くリンクに打ち付けているのに、悠生ったらさ…」
くすっと僕は笑って慧生を見た。
「絶対泣かないの。で、転んでも転んでも起き上がるんだよ。ものすごく真剣な顔してさ。それが僕にとってはすごく衝撃だったわけ」
「そんなことあったんだ……全然覚えてない……」
「あったあった! それまで何するのも一緒だったのに、その時初めて僕と悠生は違う存在なんだってわかったんだ。僕にはあんなこと絶対できない。僕の知らない悠生の一面を見たあの時の衝撃は一生忘れられないね」
悠生の瞳に涙が滲んでる。
「あの時の一心不乱な悠生は、必ずまだ今の悠生の中にいるはずだよ。僕は月並みな事しか言えないけど、滑っている時の悠生が大好きだし、特にあの真剣な顔の悠生が忘れられないよ」
「…もう、龍生のバカ! 柄でもないこと言うな!」
あーもう……鼻水垂らすなよ……それを手で拭うなよ。
「だから、甘えたこと言ってないで、ギリギリ嫌になるまで頑張ってみれば? 今辞めたら絶対後悔すると思うけど? 疲れた時の旨いカレーならいくらでも作ってやるからさ」
「そ……だね。ありがとう龍生。あたしもう少しやってみる」
ホント、単純でわかりやすいヤツ。もう笑ってやがる。
「やっぱ龍生はあたしのこと一番わかってくれてる…あんたになら素直に何でも言える」
当り前さ。悠生のこと一番理解しているのはこの世で僕ひとり。
「はやく食っちまいなよ。明日になるよ」
「うん」
そう言って悠生の馬鹿食いは再開した。画面の中のくだらないアイドル見ながら。
……ねえ、そんなアイドルなんか見てないで僕を見てよ。
「龍生……」
最後の一口食べ終わって悠生はスプーンを置いた。
「いつもありがと。だいすきよ」
満面の笑顔でそう言う悠生。
ヤバイ。心臓爆裂しそう。
……言うや否や、こてんと僕の肩に悠生の頭がもたれてきた。耳に聞こえるのは子供みたいな寝息。これぞ瞬睡。
熟睡の悠生をベッドまで運んで、寝かせて、蒲団を掛けてやって、もうそれで充分疲れ果てた僕。部屋の照明を落として、まじまじと相棒の寝顔を見る。
双子だから、生まれた時から一緒だから、何するのも一緒だから空気みたいなモンって言うけど、それって嘘だね。
僕はあの時の悠生の真剣な顔を見て初めて人を愛するっていうことを知ったんだよ。ま、たまたまそれが双子の妹だったんだけどさ。
きっとこの先一生、この想いを何重にもロックして、心の中に閉じ込めておかなきゃいけないんだろうね。
絶対に誰にも知られちゃいけない。僕だけの秘密。