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春の嵐

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  3



 どのくらい、仄暗い海の底を漂っていたのだろうか。

「う……んっ、せんせい……?」
 白くぼやけた香穂子の視界に映ったのは、心配そうな金澤の顔だった。背中に当たった布団の柔らかい感触から、自分がベッドの類に寝かされていることだけは分かる。
「おっ……目ぇ覚めたか。具合はどうだ? 気持ち悪かったりはしないか?」
 香穂子はしばらくの間、金澤の言葉を噛み締めるように目を瞑り、自分の体調を確かめた。やがてふるふると首を振る。
「大丈夫……です。ここ、何処……?」
 ベッドから起き上がろうとする香穂子を金澤が素早く介助した。背中を支えられたまま、不安そうに辺りを見回す。
「ああ、俺の部屋だ」
「先生の……?」
「あの状態で家に送り届けるわけにゃいかなかったからな。お前さんさ、薬……多分、睡眠薬を盛られたんだよ」
「え……」
 慌てて記憶の糸を辿る。香穂子の記憶は車の中でぷっつりと途切れていた。彼の言葉を信じるならば、あのとき渡されたスポーツドリンクに、何かが入っていたことになる。
「なん……で……」
「ま、ロクでもないことを企んでいたに、違いはないだろうな。吉羅に連絡をもらわなければ、危ないところだった」
「吉羅理事長が……」
「ああ。お前さんの周囲におかしな連中がいるって、大学部のファータが連絡を寄越したんだとさ。あの羽虫もたまには役に立つもんだな」
「ファータ、大学部にもいたんだ……」
 今まで妖精の存在に気付かなかった驚きと、自分の行動を見守られていた居心地の悪さに、香穂子は眉をしかめた。
「ちと待ってろ。今、紅茶を淹れてやるからな……何処かにもらいものの葉っぱがあったはず……」
 くるりと背を向けた金澤のシャツの裾を、香穂子の手が掴んで引っ張る。「……だめっ、行かないで!」
 事の重大性を理解したのは、心よりも身体の方が早かった。香穂子の指先は小刻みに震え、瞳からは大粒の涙が溢れ出す。
「や……だ、わた……し……」
 金澤は香穂子の頬に手を添えると、指先で涙を拭った。
「お前さ……周りの人間に『彼氏はいない』って、言ってたんだってな――なんで誘われる前に、俺の名前を出さなかったんだよ」
「そ、それは……」
 あくまで優しく、しかし逃げることを許さない追及に、香穂子は言葉を詰まらせる。金澤の顔が険しくなった。
「だって、本当の事を言ったら、先生に迷惑が……」
「――この馬鹿っ! 迷惑だなんて、俺はこれっぽっちも思っちゃいない。それとも何か? 俺との交際は、そんなに後ろめたいものなのか?」
「あ……」
 初めて目の当たりにする金澤の激情に、香穂子は驚愕して二の句が継げない。
「すまん、ちと言い過ぎた。だが、本当のことを言っていれば、こんな事態にならなかったかと思うと……お前にそういう態度を取らせた自分が不甲斐なくて、嫌になるんだ」
「先生……」
 金澤は香穂子の頬を撫でると、包み込むように抱き締めた。
「……この前、準備室で『どうしてそんなに余裕なのか』って、怒ったことがあったよな。言っとくがな、俺にはこれっぽっちも余裕なんてない。ああやって意識的に教師の仮面を被っていないと、お前をどうにかしちまいそうだったんだ」
 交際をオープンにすることと、けじめをつけることは、別次元の問題だと付け加える。
 遠回しで不器用な愛の告白に、一度は乾いたはずの香穂子の頬が、再び涙で濡れはじめた。胸の奥がちくりと痛む。
「……私ばっかり好きなのかと思ったら、辛くて……やっと付き合えたのに、先生は線を引いている部分があって……そう思ったら、急に寂しくなって……」
「俺だって久し振りに本気で恋愛してるんだ。色々と戸惑っているんだよ。……だが、自分でも知らない間にお前を不安にさせちまってたんだな。悪かった」
 金澤はばつの悪い顔で、後ろ髪を撫でつけた。
「いいえ、先生の気持ちが分かったから、もう平気です。お部屋にも上げてもらえたし……」
「状況が状況だったからな。病院に運べば、嫌でも検査を受けさせられて、あれこれ詮索される。お前さんをこれ以上、傷つけたくなかったんだよ。それに……こんな部屋を見せたら幻滅されそうでな。どうにも上げる勇気が出なかった」
「そんなことない。何もかもがイメージ通りです」
 六畳間には、大きめのベッドと衣装ダンスの他に家具はない。絵に描いたような男性の一人暮らしに思えた。
「んー寝室を見て言われてもなあ……具合、大丈夫そうなら、居間に移動しような」
「はい。……って、今、何時ですか?」
「もう少しで夜の七時だ。一旦、家に連絡をいれた方がいいな。電話、できそうか?」
 金澤はベッドの足元に置いてあったトートバックを掴んで、香穂子に手渡した。受け取ったそれのポケットから携帯電話を取り出した彼女が、金澤を仰ぎ見る。
「ねえ、先生。今夜はここに泊まってもいいですか?」
作品名:春の嵐 作家名:紫焔