旅立ち
檀上香代子
美子 八十歳 未亡人
美奈子 四十二歳 美子の娘
秀夫 五十歳 美奈子の夫会社員
秀一 十一歳 美奈子夫婦の子供
医師 五十歳 内科医
奈津夫 八十歳 美子の夫の霊
ミイ 十一歳のネコ
縁側のある居間。小さな仏壇に、奈津夫の遺影が飾ってある。
自動車の止まる音。
美奈子の声 じゃ、秀一を塾に送ってから、迎えに来てね。
美奈子の声とダブるように、部屋のふすまが開き、美子が入って
くる。
美 子 ミイちゃん、ミイちゃん、やっぱり帰っていない。
美奈子が入ってくる。
美奈子 一日や二日、帰ってこないからって、心配しすぎよ。
美 子 だって、こんな事‐‐‐‐。
美奈子 大丈夫よ。そのうち、ひょっこり帰って来るわ。
美 子 今日で、丸まる二日よ。
美奈子 心配性ねえ。一周忌の墓参りで、疲れてるでしょう、
お茶入れるわね。
美奈子、台所へ立っていく。
美 子 (仏壇に)あなた、みいちゃん何処へ行ったのかしら。
今まで一度もなかったわよね。
美奈子、お茶を入れて入ってくる。
美奈子 まだ、しんぱいしてるの。(お茶を)はい。
美 子 ねえ、外で事故でも‐‐‐‐‐‐。
美奈子 疲れてるから、そんな事を考えちゃうのよ。大丈夫、
帰ってくるって。
美 子 それなら良いんだけど。
美奈子 そういえば、何年だっけ、ミイが家に来て。
美 子 十一年よ。貴女がお嫁に行って、三年目の雨の日に、
お父さんが拾ってきたの。
美奈子 よく憶えているのね。
美 子 あなた達が転勤したでしょ。
美奈子 そうか。
美 子 淋しかったのよ、私達。
美奈子 仕方ないわよ。
ネコの鳴き声が聞える。
美 子 ミイちゃんだ! ミイちゃんの声よ。
美奈子 それ、御覧なさい。しんぱいすることなかったしょう。
二人、猫の泣き声のする縁側へ
美 子 ミイちゃん、どこ?
猫の鳴き声。
美 子 ねえ。どこなの?
美奈子 (縁側から降りて)縁の下よ。ほら、ミイおいで。
ネコの鳴き声
美 子 (美奈子の横で)ミイちゃん、ミイちゃん、出ておいで。
おかあさんよ、おいでミイちゃん!
ネコ元気のない足取りで出てきて、美子を見上げる。
美 子 どうしたの?(だきあげる)どこにいってたの? 本当に
心配していたんだから、お母さん。
美奈子 良かった。
外で、自動車のクラックションがなる。
美 子 かえるの?
美奈子 うん。
美 子 泊まれないの?
美奈子 (帰り仕度しながら)明日の朝、秀一が朝練なの。秀夫は
出張で朝早いから。
美 子 そう。
美奈子 明日、家政婦さんに早目にって、いってるから大丈夫ね。
美 子 そうね。ミイちゃん、また、二人だね。
美奈子 ごめんね。
美 子 いいの。大丈夫。
美奈子 ジャ、(送ろうとする美子に)いいわ。送らなくて。
急いで出て行く。 自動車の走り去る音。猫の弱い鳴き声。
美 子 疲れたのね、ミイちゃんも。食べる物持ってくるね、
お腹空いたでしょう。お父さんの座布団で休んでいて。
美子、仏壇の前の座布団に猫を下ろし台所に去る。ネコ、ゆっくり
と首を倒し両手足を伸ばして動かなくなる。手に食事皿を持って、
美子入ってくる。
美 子 あら、眠ちゃったの。(ネコの側に行き、異変に気付く)
ミイちゃん、ミイちゃんどうしたの。(抱きかかえる、
ネコグニャリとなる。)い、いや、いやよ、しっかりして、
(ほとんど泣き声)おきて! ミイちゃん、ミイちゃん、
独りぼっちにしないで、ミイちゃん!
泣きじゃくる美子、仏壇から奈津夫の霊が、いとしそうに美子を
見ている。
一年後の夜。救急車のサイレンの音。
病院の一室。ベットに横たわる美子。医師と美奈子、秀夫と秀一が
見守る。医師、手で外へ と促す。皆、病室の外へ。
美奈子 (小声で)秀一、塾でしょ。
秀 一 でも、おばあちゃんが‐‐‐‐
秀 夫 お前が居ても、何も出来ないだろう。
秀 一 でも。
秀 夫 勉強を頑張って、合格することが、おばあちゃんが喜ぶこと
なんだ。
秀 一 わかったよ。行くよ。
秀一、外へ出て行く。
医 師 おかあさんは、腸からの出血が、ひどくて止まらない。三十
年前の癌の放射線治療で、腸壁がボロボロなんですよ。
肺にも水が溜ってきています。
秀 夫 というと。
医 師 覚悟を決めて置いてください。
美奈子 ダメなんですか?
医 師 もって数日だと。
美奈子、秀夫の肩に顔を伏せる。
病室、枕元に、ミイを抱いた奈津夫の霊
奈津夫 美子、美子、迎えに来たよ。
美 子 (ゆっくり身を起こし)あなた!
奈津夫 この一年、淋しかっただろう、よく頑張ったね。
美 子 (霊)あなた、ミイちゃん!
奈津夫 もう、いいんだよ。
美 子 やっと!
奈津夫 そう、やっと‐‐‐、長い間ごくろうさん!
美 子 (ネコを抱く)あの子、秀一は?
奈津夫 それは、あの夫婦の務めだよ。
美 子 そうですね。私達の為すべき事は終ったのね。
奈津夫 そうだよ。
美 子 やっと解放ね。
奈津夫 そう。
笑いながら、美子と、奈津夫とミイの姿がだんだん薄れ消えていく。
美奈子と秀夫、病室に入ってくる。
美奈子 (母の顔をのぞいて)あなた、おかあさん微笑んでるみた
いよ。
秀 夫 そう、楽しい夢でも見てるのかな。おかあさん。
(美子の顔をのぞいて)美奈子、其処のブザーを押して!
美奈子 えッ。
秀 夫 先生をよぶんだ!
美奈子、ブザーを押し続ける。
秀 夫 行ってくる。先生を呼びに!。
急いで、病室を出て行く秀夫。泣き出す美奈子。
美奈子 おかあさん!
病室に近づいて来る慌ただしい足音
幕