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拝み屋 葵 【伍】 ― 薫陶成性 ―

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「どうなされた?」
 正眼坊が葵に声を掛けたのは、落ちた木の葉が根本を去るほどの時を挟んだ後のことだった。
 正眼坊は、箱を受け取った途端に身動ぎ一つ行わなくなった葵を見守り続けていたが、葵の心の機微を察知し、節目となる切欠を与えんとして声を掛けた。
 葵は正眼坊の声には答えず、視線と共にほんのりと笑みを送って応え、それを受けた正眼坊は、余計な関与であったか、と苦く笑った。
 葵は手の中の箱を一息に開いた。
 目に映るは一片の葉。超然と在る紅(くれない)。
「モミジ?」
 葵は拍子抜けしたことをそのまま正直に声に乗せた。
「これは楓ですな」
「カエデ……か」
「見たところ何ら特別な術式もなく、その葉もありふれたもの。それで意思疎通が行えようとは、やはり磐長殿とその直弟子である葵殿はさすがですな」
 と、正眼坊は感心の声をあげたが、葵は困り顔でただただ苦笑するばかりであった。
「まさかとは思いますが……磐長殿が伝えんとしたこと、得心しておられましょうな?」
「いんや、さっぱりや」
 一転して表情を消した葵の隣を、ひゅう、と風が吹き抜けた。

 *  *  *

 日が沈み、夜の帳が辺りを包む。
 日差しのある日中はともかく、さすがに夜は冷え込みを見せる。身震いするほどではないにせよ、夜風に晒されても平気という気温ではない。
 しかし葵は、未だ濡れ縁にあって、楓の葉に厳しい視線を送り続けていた。
「葵殿」
 正眼坊の低い声が響く。
「どれだけ眺めていても、分からぬものは分かりませぬ」
 諭す正眼坊に対して、葵は気のない生返事を返した。
「もうお止めなされ」
「せやな。ウチが考えたかてしゃあないわ。分からへんことは、直接本人に訊ねるんが一番やな」
 そう言いながらも、葵の視線はまだ楓の葉に注がれている。
「その本人の所在が分からぬのでしょう」
「そないなことあらへん」
「ではその楓の葉が持つ意味を?」
「お師匠はんの居場所やな」
「何処で?」
「そこやねん。ウチが分からへんのは」
「愚道をからかっておられるか?」
 正眼坊の声が、湧き起こる感情を抑えるかのように、更に低く響いた。
「お師匠はんが直接ウチに持ってけぇへんかってんはなんでやろか?」
 楓の葉から視線を外した葵は、傍らに立つ六尺五寸の大男を見上げた。
「あんたはんに頼んだのはなんでやろか?」
「皆目見当も」
「用事が済んでも帰らへんのは?」
「正しく伝わったことを見届ける責任が」
「箱を渡すように頼まれはったんやろ。そないな責任はあらへん。手伝えとは言われてへんし、ウチからも助力を請われてへん。師弟間の問題に自ら口を挟む御仁ではおまへんどしたな」
 風が止む。突如として張り詰めた空気に、小鳥も虫も、声を殺して息を潜める。
「よくぞ見抜いた。さすがは、と言っておこうか」
 数瞬の後、正眼坊の姿をした何者かは、ニィ、と口角を吊り上げた。
「一応、訊かせてもろときますわ。お師匠はんにどないな御用ですやろか?」
「ふん。弟子風情が首を突っ込むことではない。痛い目に遭いたくはなかろう」
 ごう、と噴き上がる殺気。
 しかし葵は身じろぎもせず。
「紅の葉と書いてモミジ。木々の色づくさまは、まるで花が咲いたかのよう」
 葵は手中の葉に、ふぅ、と息を吹きかけた。
 紅の葉が、ふわりと浮かび上がる。
「木の花と書いて“椛(モミジ)”。木の花の咲く――」
 葵の手を離れた紅の葉は、ひらひらと宙を舞い、やがて葵の足元へと辿り着いた。
「お師匠はんは富士の御山にいてはるはずや」
「なるほど、木花咲耶(コノハナサクヤ)か。しかし、正体を見破っておきながら、あっさり居場所を白状するとはな。弟子には恵まれていないようだな」
「ほんまその通りやわ」
 葵は自嘲気味に笑った。
「お前は見逃してやる。仇討ちする気概があるのならば、俺の気配を刻みつけておくのだな」
 満足気な勝ち誇る声の後に、いつ終わるとも知れない高笑いが続く。
「あんたはんが何者かーいうのんは、興味あらへんねん」
 葵は囁く。それは、辺りに響く高笑いを貫いて、傲慢で形成された自尊心を刺激する。
「ならば小娘。先に逝け」
 言葉と共に、遠慮のない殺気が葵に向けられる。
 大の男も立ち竦む殺意の渦に巻かれながらも、葵は平然とそこに在った。
「ほう、小娘。お前も“無在”を使うかよ」
「まるっきり無関係っちゅうわけでもないんか」
 奥義・無在。特定の“他”を意図的に認識しないこと。無在の名を知るのは、近い者たちのみ。
「やはり生かしておいてやる。勢い余って殺してしまったときは、お前から聞き出すことにする」
「なんや、目的はそれやったんか」
「大人しく待っておれ」
「その前に、三つだけ言わしてもらうわ」
「ほう」
「一つ、今のは無在やあらへん。二つ、お師匠はんには勝たれへん」
「ふん。何にせよ、富士に行けばすべて解決することだ。一応、三つ目も聞いてやろう」
「ウチは大人しく待ったりせぇへん。富士にも行かさへん」
「やはり殺すか」
 一歩踏み出せば手が届く。葵と影とはそんな位置関係であった。両者共に間合いの内にあり、まさに一触即発である。
 ゆらり、と影が動く。
 縁側の板張りに腰掛けている葵は、回避動作にどうしても一瞬の遅れが生じてしまう。相手は六尺五寸の大男。丸太の如き豪腕が振り下ろされれば、その瞬間に勝負が決まる。 そんな圧倒的不利な状況下にあっても、葵は平然としていた。
「これは“只在(しざい)”いいますねん」
「師に伝える言葉はそれでいいのか?」
 振り上げられた拳に、ぐっと力が篭る。
「せやったら、お師匠はんに、無在を使いました、と」
 直後、振り下ろされた巨大な拳が、葵の顔面を的確に捉えた。そのままの勢いで板張りを突き破り、地面にまで到達したそれは、確かな地響きと轟音とを生んだ。
 破壊はまだ収まらず、八方に大きなひび割れが走る。ひび割れは屋敷の土台を飲み込み、なおもその規模を広げ、とうとう屋敷のすべてを巻き込んだ地盤沈下を引き起こすまでに発達した。
 轟音に次ぐ轟音は、いつ止むとも知れず。
 高く昇った土煙が陽光を遮る中、一つの影が富士山へと飛び去っていった。