ネメシスの微睡み~接吻~微笑
ネメシスの接吻 3
ガチャ。
ガチャ。
ガチャリ。
キンッ!
一つずつ開放される扉の鍵。最後の一つが、甲高い音を立て開け放たれ、ギギッと重い扉が少しずつ開かれていった。
素顔は仮面で覆い隠していたから、表情を読み取られる心配はない。だが、心音は跳ね上がり、それこそ辺り一帯に響き渡っているのではないだろうかと危惧するほど、鼓動は速く脈打っていた。ふぅと一つ息を整えた後、開かれた扉から滑り込んでくる人物を見逃すまいと食い入るように見つめる。
姿よりも先に現れた小宇宙の気配。バルゴの寵愛を一身に受けた恐ろしいほど研ぎ澄まされた小宇宙。傲慢にさえ思える圧倒的な力強さを放ち、ビリビリと全身を刺激した。
息苦しささえ感じながら、切っ先のように鋭い小宇宙を纏う人物の姿がようやく現し始めた時、その小宇宙とは真逆ともいえる繊細な容姿に思わず目を見張る。
聖衣越しでさえわかる姿態の細さ。ゆっくりと歩いているだけでしかないのに、優雅な物腰が滲み出ていた。長く伸ばされた薄い金色の髪は日に照らされ、風にそよぐ麦穂のような輝きを放っていた。一歩、一歩と近づくにつれ、圧倒され息を呑む自分がいた。
玉座にほど近いところでさらりとマントを払いながら、頭を垂れ、跪く姿は儀式めいた美しささえ感じた。
「――バルゴのシャカ、これに」
鈴鳴るような凛とした声が心地よく耳を通り過ぎていく。まるで名器が奏でる調べのように耳元をそっと愛撫されたかのようだった。
夢現つの最中にあるような状態で「うむ」と答えれば、静かに顔が上げられ、白くなめらかな完璧な面立ちをはっきりと現した。
閉ざされたままの双眸。だが、真っ直ぐに私を射抜いていた。ぞわりと総毛立ったのは何故なのか。まるで喉元に鋭く尖った刃を突きつけられたかのような危機感を覚え、夢から強制的に目覚めさせられた本能が危険を察知していた。
無言のまま息を呑むシャカの姿に自然と声音が低くなる。
「何か言いたいことがあるようだが?」
警戒しながらシャカの言葉を待つが、顔を逸らした彼は小さく「いいえ」と告げた。正義の女神を模したとも言われるバルゴ。その本質ともいえる正義が私に対し、幾許かの疑いを抱いたのだろうか。問い質したかったが、墓穴を掘りかねないため口を噤む。
シャカはシャカで何か思うところあるようではあったが、自ら口にするようなことはなかった。ある意味、救われながら当たり障りのない話題を口にする。聞いて当然であり尤もなことを、である。
「――本当に失念していた、のか?バルゴよ」
本来ならば約束の日は昨夜であった。だが、それを忘れていたという扉の前で語っていたシャカの言葉を鵜呑みには出来なかった。案の定、帰って来た答えは「いいえ」であった。
ではなぜなのか。
そう思うのは当然のことである。再びシャカに問えば、一瞬、口元をきつく引き結んだシャカが今度は逆に私がシャカを呼び寄せた理由を問うた。
後見者からの圧力があったとしても、教皇としての権限を通せば突っ撥ねることもできなくはなかった。けれどもそうはしなかった。
避け続けてきたのも事実。だが、どこかで、こうして面と向かい合いたかったのかもしれない。それが奇遇な形となってあの日と同じ日に重なったのだとしたら……。
矛盾した思いを抱えていることに気付いて、ひどく胸が苦しくなった。じっと玉座に座ることもできなくなって立ち上がる。真っ直ぐに向けられた視線から逃れたい一心で背を向けたがシャカはそれを許しはしなかった。
バルゴの誕生と引き換えに散った者の意識を偲んでいた――と、そうシャカは告げたのである。その言葉は私の心臓を鋭い刃で充分過ぎるほど抉った。
そう、致死的な傷を与えたといえる。哀れなあの子を守れなかったという事実。自らの愚かさ無力さに満たされ、ずるずると這い出した闇があっという間に浸食していくのを感じた。
己が身を闇が支配するのにそう時間はかからなかった。残酷な感情が剥き出しになっていく。
抑えられない憎しみ。怒り。殺意さえ芽生えかねない状況で交わされたシャカの声は朧になって、とても遠いものとなっていった。
その後、シャカとどのようなやりとりをしたのか――私には知る術もない。
作品名:ネメシスの微睡み~接吻~微笑 作家名:千珠