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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅡLove is forever

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最初のうちは妻に裏切られたという怒りだけで、憎い姦夫の子どもなど殺してしまえば良いと考えたこともあった。だが、本来、徳宗は穏和で情け深い人柄である。何も好んで罪のない幼子の生命を奪う必要はないと思い直すようになったのだ。
 莉彩の相手―あの子どもの父親は一体、どのような男なのだろう。考えてみれば、自分は莉彩より十四歳も年上だ。莉彩は今、三十歳、徳宗は今年、四十四になった。まだまだ気力も体力も衰えてはおらぬと自負はしているものの、二十代、三十代の頃のようにはゆかぬだろう。
 莉彩は現代に還ってから、淋しさのあまり他の男と拘わったと言っていた。今でも、莉彩がそのようなことのできる女だとは信じがたいが、当人がそう断言するのだから、間違いはあるまい。
 以前逢わなかった十年間のことは、徳宗も莉彩からよく話を聞いたものだ。だから、たとえ逢わなくても、徳宗は莉彩が現代でどのような時間を過ごしてきたのかを知ることができたし、また、自分の知らない莉彩の話を聞くことは愉しみでもあった。
 しかし、今度は、莉彩は逢わなかった四年間のことは何も話そうとしない。ただ、男とは別れ、子どもを一人で働きながら育ててきたとしか言わない。
 徳宗にしてみれば、莉彩とその男のことなぞ聞きたくもないが、一人の男として考えた時、何故、その男は莉彩に対して男の責任を果たそうとしないのかとも憤りを憶えた。
 子どもまでなしておきながら、女を棄てるとは到底、許しがたい所業だ。徳宗であれば、たとえ愛や気持ちが冷めてしまったのだとしても、女と子どもは最後まで面倒を見るだろう。自分の子どもまで生ませた女を見捨てることなど、できようはずがない。
 はるか未来の、しかも倭国の事情など徳宗が知る由もないけれど、女独りで幼子を育てるのは容易ではあるまい。この時代であれば、身をひさぐ妓生(キーセン)にでもなって妓楼で働くくらいしか生きる道はない。
 徳宗は莉彩をそのような境遇に追いやった男を憎いとすら思った。それは、妻を寝取られた良人の感情としてはまた別次元のものだ。
 昨日の朝、莉彩の見せた怯え様が徳宗の瞼に甦る。眼に涙さえ滲ませ、まるで見知らぬ男を見るような眼で自分を見つめていた女。
 確かに、今の自分は莉彩に怖がられても嫌われても仕方ないことをしている。徳宗は今でもまだ莉彩を愛していた。愛しているからこそ、思いどおりにならぬ女に対して憎しみを抱(いだ)き、靡こうとせぬ女の身体だけでも手に入れようとあがく。
 それが逆に女の心を更に遠のかせ、二人の間の溝を深めているのだと判っていても、止められない。
 あの子どもは、顔を見たこともない父親を慕っているに違いない。彼が描いた絵のように、父と母、それに自分と三人で暮らしたいと願っているのだろう。
 もし、あの子が自分の血を分けた子どもであれば、どれほど良かったことか。しかし、あの子は我が子などではなく、莉彩が他の男と密通してできた不義の子であった。同情などしてやる必要はさらさらないのだ。
 そうは思っても、あの子どもの描いた拙い三人家族の絵が頭から離れない。
 自分はもう二度と、愛する女の心を取り戻すことはできないのだろうか。
 徳宗は不安と焦燥感に駆られながら、その場に立ち尽くしていた。

 徳宗が愕然としていたのと丁度同じ頃、莉彩は大妃殿から呼び出しを受けていた。
 あの大妃から呼び出しが来て、お付きの崔(チェ)尚宮は見ているのが気の毒になるくらい蒼白になった。花房や春陽も瞬時に顔を強ばらせていたが、莉彩は存外に平然としていた。
 取りあえず数人の女官を連れ、大妃殿に向かったというわけである。
 室に通された莉彩は、まず両手を組んで座って最敬礼を行った。更に立ち上がって深く腰を折る。
「孫淑容、しばらくであったな」
 上座に座した大妃は相変わらず、化粧が濃く、派手やかなチマチョゴリを纏っている。
 腕には幾つもの腕輪、指には多数の指輪が揺れていた。
 莉彩が座ると、大妃は気さくに声をかけてくる。その馴れ馴れしいというか親しげな態度は、これまで二人の間にあった一切のわだかまりを忘れたかのようでもあった。
 しかし、この大妃ほど侮れない、怖ろしい女はいない。莉彩はこれまでにも二度、謂われのない罪で鞭打たれたことがあった。そのときのことを、けして忘れたわけではない。
「そなたが後宮から姿を消して、私としては正直申せば、ひと安心していたのだが、肝心の国王殿下は後添えを娶られるお気持ちもなく、さりとて、側室を置かれるつもりもなく、ほとほと困っておったのだ」
 いかにも大妃らしい科白に、莉彩はつい笑みを浮かべてしまった。
「殿下も既に四十を過ぎられた。このまま王子ご生誕がなければ、王室は危うい仕儀となる。単刀直入に訊ねるが、そなたは再入宮してから、既にふた月になる。その間、懐妊の兆はないか?」
 莉彩が小さく首を振ると、大妃は吐息を洩らした。
「さもありなん。ご寵愛をお受けして、まだふた月では、懐妊したかどうかも判らぬものだ」
 そこで大妃がガラリと口調を変えた。
 親密そうなものから、居丈高になる。莉彩のよく知る大妃の物言いだ。
「ところで、そなたはこの四年、一体、どこで何を致しておったのだ? そなたのその間の動向については、皆が様々なことを申し、到底耳にするのもはばかられるような憶測まで飛び交っておる。殿下は知り人の許に隠し住まわせていたなどと苦し紛れの言い訳をなさっておられるが、誰もそのようなことに納得している者はおらぬ」
「そのことに関しては、何も申し上げられませぬ」
 まっと、大妃の傍らに控える孔(コン)尚宮が莉彩を睨みつける。その顔には〝何と無礼な〟とありありと非難の色がある。対して、莉彩の傍の崔尚宮が心配げに莉彩を見つめた。
「まぁ、良い」
 大妃は孔尚宮を宥めるように言うと、紅い口許を笑みの形に引き上げた。
「それでは、質問を変えよう。淑容、そなたが連れてきた子どもは、一体、誰の子だ?」
 これも幾度も向けられた問いだ。
 莉彩は軽く頭を下げた。
「真に申し訳ございませぬが、そのご質問に対してもお応え致しかねまする」
 大妃が意味ありげに口許を歪めた。
「あの子どもは、畏れ多くも殿下のお子ではないのか?」
 刹那、莉彩の顔が硬くなったことに、大妃が気付かぬはずはなかった。だが、老獪な大妃は何も知らぬ風を装い、穏やかに続ける。
「あの子どもは三歳というではないか。そなたが後宮から黙って姿を消した時期と考え合わせれば、殿下のお種だとしても、不思議はないと思うが」
「いいえ、そのようなことがあるはずもございませぬ。あの子が畏れ多くも国王殿下の血を引くなどと、あまりにも滅相にもないことにございます、大妃さま」
 莉彩は声を震わせまいとするのに懸命だった。少しの動揺も見せてはならないと感情を抑えるのに必死になる。
「まあ、それも良かろう」
 色を失った莉彩を面白げに眺め、大妃は肩をすくめた。
「ここからが本題だ。今日、私がそなたを呼んだのは、このことを話すためなのだ」
 大妃が頷いて見せると、孔尚宮が立ち上がり、崔尚宮に外に出るように促した。