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約束~リラの花の咲く頃に終章ⅠLove is forever

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MooN Light

 吐き出す息が白い。身の傍を駆け抜けてゆく風は身震いしてしまうほど冷たく、身体の芯から凍えてゆくようだ。莉彩はかすかに身を震わせ、キルティングのコートの衿許をかき合わせた。
 そっと隣を窺うと、幼い息子は小さな可愛らしい顔を真っ赤にして、それでも一生懸命に遅れまいと脚を動かしている。思わず笑みが零れ、莉彩は立ち止まった。急に立ち止まった母を息子は不思議そうな表情で見上げる。
「お母さん、どうしたの?」
 莉彩はしゃがみ込み、子どもの眼線の高さになった。
「そんなに急がなくても良いのよ? 今日はお月さまがほら、あんなに大きく見えるでしょう? 綺麗なお空を見ながら、ゆっくり帰りましょ」
「うん!」
 子どもは三歳くらいだろう、ちっちゃな口許辺りが莉彩によく似ている。つぶらな黒い瞳が愛らしく、莉彩が手編みしたフード付きのケープがよく似合っている。グリーンのケープには白いトナカイのアップリケが縫い付けられていた。
 二月の宵の空に、黄味がかった月が掛かっている。かすかにほの見える月の影に、子どもが指さしながら言った。
「お母さん、お月さまの兎さんが見えるよ。ほら、ね」
 毎夜、添い寝してやりながら聞かせる物語で、月に棲むという兎の話をしたことがある。月に浮かび上がった模様が兎の形をしていることから、月には兎が棲んでいて餅つきをしているのだ―という他愛ない子ども向けの話である。
 今夜のような満月を見ると、莉彩の記憶は嫌が上にもあの日々へと引き戻されてしまう。二度と帰れないであろう、帰ってはならないあの日々へと。
 四年前、莉彩ははるかな時を越え、再び五百六十年前の朝鮮へと飛んだ。実はその前にも一度、莉彩は同じ時代へと時を飛んでいる。
 今を遡ること十四年前に十六歳の莉彩は時空を旅して千四百年代後半の朝鮮王国へと辿り着き、そこで当時の国王―第九代朝鮮国王徳宗とめぐり逢った。莉彩の髪を飾るアメジストの簪が運命的に二人を引き寄せたのである。
 ライラックの花を象ったその簪は、花びらの部分にアメジストがはめ込まれ、莉彩の父が韓国旅行の土産として持ち帰ったものであった。不思議な露天商から求めたという簪は、さる昔、朝鮮の王が寵愛した妃の持ち物だったという言い伝えがあり、また離れ離れになった恋人たちを再び引き寄せる力を秘めていた。
 簪を手にしたそのときから、莉彩は簪をめぐる不思議に巻き込まれることになった。徳宗と烈しい恋に落ちた十六歳の莉彩はやがて現代に戻った。
―十年後のりらの花の咲く頃に再びここで逢おう。
 都の町外れの橋のたもとで徳宗と莉彩は約束を交わした。到底果たされることがないと思えたその約束はしかしながら、十年後、現実となった。莉彩はリラの簪を髪に飾り、またしても朝鮮王国時代へと飛んだ。
 奇蹟的に再会を果たした徳宗と莉彩はついに結ばれ、莉彩は国王の正式な側室として従三品・淑容の位階を賜った。国王のただ一人の寵妃として徳宗の愛を一身に集めていた莉彩だったが、徳宗の義母金大妃からの迫害は厳しく、自分が徳宗の傍にいては大妃の王への憎しみが余計に増すことを知る。
 徳宗のために自ら身を退く決意を固めた莉彩は、懐妊していることを誰にも告げず、ひっそりと現代へと戻った―。
 奇しくも、莉彩が五百六十年の時空を行き来するのには、月の満ち欠けが大きく影響しているようであった。最初に現代に戻ってきたのも満月の夜であり、二度目に現代に召還された夜もやはり月は満ちていた。
 今夜のような明るい満月の夜が来る度、莉彩の心は切なく疼く。二度とは逢えないあの男を想い、涙が眼の淵までせり上げてくる。
 だが、今の莉彩はもう泣いてばかりはいられない。莉彩は既に一児の母となったのだ。母親であるからには、恋しい男を想って泣くよりは子の身を考えねばならない。
 二度目の帰還を果たしてから後、莉彩は自分の予感が的中していたことを改めて知ることになった。莉彩は、やはり徳宗の子を懐妊していたのだ。
 あれからの日々は正直、莉彩にとっては苛酷だった。前回と同様、現代と朝鮮王国時代では時間の流れる速さが微妙に違っており、莉彩が向こうに滞在していた四ヵ月が現代ではひと月にも満たない間のことだった。
 それでも急に姿を消した莉彩の身を案じて両親は半狂乱になっており、当然のことに警察に捜索願が出ていた。それでなくとも、莉彩はその十年前にも謎の失踪を遂げている。車に轢かれそうになったところを急に姿が見えなくなり、帰還直後は、結構な話題になったほどであった。
 莉彩はすべての問いに対して口を閉ざした。両親からも警察からの聴取に対しても、ただ〝話せません〟と頑なに口をつぐんだ。警察としても当人の身柄が無事に戻ってきたのだから、追及のしようがない。両親もあまり責めて、莉彩を追いつめてはいけないとひとたびは質問を止めた。
 が、ほどなく莉彩の妊娠が判ってからというもの、大騒動になった。
―一体、相手はどこの男なんだ?
 父には問いつめられ、母は予想外のなりゆきに号泣した。
 しかし、莉彩は幾ら問いつめられても、これに対しても何も応えなかった。業を煮やした父は莉彩の頬を打った。
―お前は父親の名前も言えないような男の子を妊娠したのか? 出て行け、お前のようなふしだらな娘を持った憶えはない。男のところへなり、どこへなりと行くが良かろう。
―あなたッ、お願いですから、落ち着いて下さい。莉彩がこんなことをするなんて、よほどの事情があったんですよ。今、この娘を追い出したら、また、どうなってしまうか判りません、今度こそ二度と帰ってこなかったら、どうするんですか!?
 母は泣きながら父に取り縋ったが、真面目一途な父は娘が未婚の母になることには到底我慢ならなかったらしい。とうとう、莉彩の顔を見ようともしなかった。
 莉彩が出てゆく時、父も握り拳を痛いほどきつく握りしめ、男泣きに声を殺して泣いていた。
 莉彩は当時、実家を離れ、北海道のアパレル・メーカーに勤務していて、休暇を取って実家のあるY町に帰ってきたときに二度目のタイム・スリップが起こったのである。
 実家を出た莉彩はとりあえず北海道に戻り、産休に入るまでは同じ会社に勤務し続けた。そして、妊娠九ヵ月まで働き続け、退社を願い出た後、故郷のY町の隣のI町に移り住んだのだ。そこで小さなアパートを借り、一人で子どもを生んだ。赤ちゃんが生後三ヵ月になるまでは、それまで貯めてきた貯金と退職金をやりくりして凌ぎ、四ヵ月めに入ったのを機に再就職した。
 とはいっても、産前のようなちゃんとしたOLには程遠い。新聞の求人広告を見て色々と探し回った挙げ句、最終的に雇って貰えた惣菜屋の店番であった。できればI町の店が良かったのだが、生憎とY町の店しか空きがないということで、莉彩はY駅の近くの小さな惣菜屋で働くことになった。