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紺碧塔物語

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「……貴方もまさか、試技は中止にすべきだと言いに来たわけですか?」
「……? いえ、そうではなく──テンポとレガートの件について、数に入れて良いのかどうか、聞きに来たのですが」
「ああ──そういうことでしたか」
 良かった、と安堵する。
 まがりなりにも自分の生徒だ。あの恥知らずな坊ちゃんよりはまともに頭が回っている。
「彼らのことなら心配いりませんよ。帰投報告は受けています。あと一週間程度で戻ると連絡がありました」
「そうですか……では、来週からの訓練予定表に組み込んでしまっても良いですね」
「ええ、お願いします」
 言って。ふと、悪戯心が湧き上がる。或いはただの八つ当たりか──イドは自身の幼稚な思いつきに苦笑しながら、さっさと踵を返そうとする生徒に呼びかける。
「イオニス──少し、聞きたいことがあるのですが」
「──はい? 何でしょうか」
「公開試技への正式参加が決定したら、あなたはどちらの教室が勝ち進むと思いますか?」
 それこそ口さがない連中の言い草だが。
 イドの突拍子もない質問に、しかしイオニスは一瞬の迷いもせず、
「五対一か、一対零で、俺達が勝つでしょうね」
「五対一の内訳は?」
「レガートが負けるでしょう。不戦敗で。あいつがこの手のイベントでまともに出席するとは思えません」
「成る程。では、一対零というのは?」
「先鋒がホウメイだった場合です。残りの相手は棄権します。あいつはそういう女ですよ──やれと言われれば何だってできる、そういう奴です」
「……級友同士の信頼ですか」
「いえ、厳然たる事実を述べただけです」
 簡潔な答えだった。及第点を貰おうと必死な顔でもない。
 イドは成る程、ともう一度頷いてみせた。軽く首を傾げ、質問を続ける。
「事実としたら、少し意外ですね? あなたは、自分が負けるとは思っていないんですか?」
「そのための訓練を積んできました。騎士が負けていい戦いなんてない。だったら、勝つ以外の可能性を視野に入れるのは問題外ですよ」
「成る程……少し、貴方達を見直す必要があるようですね」
 こちらの言葉に、イオニスはしかし微妙に表情を変えただけだった。言葉にすれば「うげえ」とでも言ったところか。まあ、甘い言葉で釣って厳しく教練してきた手前、文句を言えた筋合いもない。
 用事が済んだら後は一秒もここにいたくないといった様子で、イオニスは足早に退室していった。引き止める程の用事もなく、再度仕事に没頭する──人数に入れるべきか否か悩んでいた生徒二人については、まあ報告通りに期日までには戻るのだろうと楽観視することにした。最悪あの二人がいなかったとしても、試験は予定通りに行われるのだ。素行不良を理由に課外学習を命じられたような連中だが、可愛い生徒には違いがない。久し振りに顔を見ておきたくもあった。
「テンポとレガート……か」
 実際、彼らがいても結果にさほど影響はない。
 実力以前の問題として、そもそもやる気が欠如しているのだ。イオニスが懸念していた通り、レガートに関してはほぼ確実に不戦敗だろうという予測はしていた。だからといって試験参加を通達しないわけにもいかない。やらなければいけない作業は多く、手の抜きどころも見当たらない──それでも教師職を続けている理由は、きっと公開試技の日に生徒達が改めて教えてくれるだろう。
 つまるところ。
「──自分の生徒を馬鹿にされて、大人しくしている程の人格者でもない──」
 ホウメイが浴びた罵声は、その後ろにいる自分に向けたものに等しい。
 思い知らせてやる義務があるのだ。
 かつて、イオニスを騎士の道へと駆り立てた事件が起きたとき、シシュカがこう言ったのだという──応報せよと。
 まさに、その通りだ。
 あの坊ちゃんが育てた、鼻っ柱の高さだけなら無駄に壮大な馬鹿どもは、自分と自分の生徒を愚弄したのだ。直接自分が手を下されたわけではないのだから、生徒同士で報いを与えてやらねばならない。その期待に応えてくれるだろう──信用できる程度には、密度の濃い訓練を課してきた自覚もあった。
 椅子の背もたれに体重を預け、午前中の訓練を思い返す。
 ホウメイは、全く問題がない。ダメージを受けた振りをしていたが、その実最も被害を小さく抑えていた。基本に関しては問題がない──思い切りの良さも活きている。
 思い切りの良さで言えばシシュカとレンティもいい勝負だ。若さ故に突出しがちだが、それはこれから矯正していっても十分に間に合う程度の問題でしかない。
 イオニスは──あの少年は、言ってみれば才能の塊だ。それ以上でも以下でもなく、自分の天才に振り回されている。だからこそ問題なく公開試技参加を請け負うことができた。結局才能とは原石のようなもので、他者と擦れ合うことでしか磨かれないのだ。
「……不良二人組さえ戻ってくれば、万全──ね」
 今は遠く、大陸の七大秘境まで行くことを命じられた二人の生徒を思い浮かべる。
 その顔が変わらずふて腐れたような、拗ねたようなものであることにいっそ安心すらして、イドは自身の仕事を進めていった。
 ──命じる方は気楽だものね。
 無茶を言い渡すのも教師の役目だ。
 藁半紙に無数の文字を躍らせて、イドは薄い笑みを浮かべていた。
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司