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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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 顔に水をかけられたのを感じた。さっと目が覚めた。薄暗いところにいる。洞窟の中みたいだ。壁面の灯りがぼんやりとあたりを照らしている。龍一は、自分が硬い長椅子に横たわっていることに気付いた。
 灯りの方を見つめる。

すると、その灯りの下にさらに光を放つものががあることに気付いた。だが、それは、そのものが光を出しているのではなく、壁の灯りに照らされ反射された光であることに気付いた。
 そして、それは人間の頭、それも禿頭であることに気付いた。その禿頭は、どんどん龍一の方に近付いて来る。
 龍一は怖くなった。この男が水をかけたのだろう。今度は何をするつもりだ。
「ここはどこだ、あなたは何者だ? 人をこんなところに連れてきて、どういうつもりだ」
龍一は、中国語で男に言った。
「日本語で話しても構わないよ」
と中国語訛りの日本語が返ってきた。それと同時に男の顔面がはっきりと見えてきた。写真で何度も見たことのある顔だ。禿頭に細身の角張った輪郭、細いがくっきりとした目に鼻筋の通った顔立ち。
「蒋介石総統閣下、あなたなのですか」
と中国語で言うと、龍一は、体中に緊張が走った。長いすに横たわった状態では失礼だと思い、さっと立ち上がった。
「すわりたまえ」
とまた、日本語で総統は言った。
 龍一は座った。総統は立ったまま龍一を見下ろす。何と言うことだ、チャーリーは本当に会わせてくれたのだ。
「総統、私はあなたとどうしても会ってお話がしたかった。私は近衛首相の代理として来た首相補佐官の白川龍一です」
 龍一は、相変わらず中国語で話しを続けた。相手のペースに乗せられてはならないと思ったからだ。
「君が来た目的はいちいち説明しなくてもよい。はっきり言うが、和平に応じるつもりはない」
 蒋介石は、さっと中国語で返した。怒りの感情がぐっとこもっていた。
「お気持ちは分かります。ですが、このまま戦闘を続けても、総統の軍の力では、勝ち目はありません。兵器の力でも、日本軍が勝っています。占領地域をさらに拡大させるだけです」
 龍一はひるまず言い返した。
「では、和平に応じれば、日本軍は戦闘をやめるというのかね。満州国を認めれば、軍隊を撤退させるというのか」
 蒋介石は怒りを露わにさせた。
「軍部は、何とか説得させて見せます。そのためにも、説得材料が必要なのです」
「君の総理は何もできやしないだろう。私はそう睨んでいるよ。私は、日本に住んでいたことがある。ありがたいことに、そこで軍事技術を学んだよ。そして、日本人のことは、性格的なところまでしっかりと観察した。君たちはいわゆる羊の群のような集団だ。その群の中にリーダーはいない。付和雷同的な連中ばかりだ。群衆の何気ない流れに一斉に乗り、歯止めをかけられる者は誰もいない。特に君の総理は育ちが良すぎて軍部とは張り合えない奴だ。何もかもお見通しだ」
「ですが、これ以上長引かせると、犠牲者はどんどん増えるばかりです」
 すると、蒋介石は、不気味な笑みを浮かべた。
「不思議な話だが、日本軍との戦いが、私や私の同士が願っていた中国の統一を実現させるきっかけになりそうなのだよ。これまで対立してきた共産党勢力とも共闘することになった、皮肉にもな。今や皆、共通の敵を持つことになったのだ」
「ですが、兵力では日本軍には太刀打ちできませんよ」
「悪いが、日本軍は我々を見くびっているようだね。満州の時とは今は違う。今は外国から兵器などの支援を受けている。軍隊も士気が高く、はるかに訓練されている。現にこれまでにない苦戦を強いられているようじゃないか。この中国は広い大陸だ。島国の日本とは違う。長期戦に持ち込めば、必ず消耗して、日本軍は降参する」
「しかし、その間に、また、中国の一般市民が酷たらしく殺されていきます。それでも、いいのですか」
 龍一は、南京での体験を脳裏によぎらせながら言った。
「皆、民族の誇りが汚されるよりも、死を選ぶ覚悟だ。ここまで人民の尊厳が踏みにじられることが続いているのだ。これ以上悪くなりようがない」
「ですが、冷静になってください。戦闘というのは、兵力の差で決まってしまいます。いくら、戦いを続ける強い意志がお有りでも、兵力が続かなければ、外国の支援があるとしても限度でしょう。それに支援をしている欧米諸国は、都合が悪くなると支援を打ち切り、あなた達を見放してしまいます。彼らだって満州国が成立した時、満州国は認めなかったものの日本の権益保護は認めました。同じ穴の狢、あなた達にとっては、同じ帝国主義者の敵です」
「敵の敵は味方だということわざを知っているだろう。使いようによっては、日本を倒す同士にもなる。彼らも日本が権益を独占することに脅威を抱いている。日本軍の非道な行為を知り、我々に同情心を抱いている。このまま行けば、彼ら自身が日本と正面から対立しなければいけない事態となろう。そうなったら、お前らの国に経済制裁でもしかけるだろう。それでますます持久戦では持ちこたえらなくなるのだ」
 龍一は返す言葉がなかった。だが、ほぼ予想通りで驚くこともなかった。龍一は、うなだれながら、言葉を発した。
「私は、この中国で育ちました。父は日本人で母はロシア帝政時代に祖国を追われたポーランド人です。だから、中国という国は、私にとって外国ではありません。その中国を救いたいという思いもあるのです。同じアジアなのにどうしてこうも争わなければいけないのかと思うと悲しいです」
 率直な気持ちを伝えすっきりしたい気分だった。
「私とて日本と争うことを好んでいるのではない。私は日本に感謝をしている。皮肉にも、私が軍事技術を身につけられたのは、日本のおかげだ。若い頃行った日本には敬服したものだ。アジアで唯一、欧米列強に対抗できる近代国家となった国だ。国内をまとめあげ、西欧の技術や文化を採り入れ植民地などにされず独立を守った。我々も日本に見習わなければと思った。だが、結局、彼らも強欲な欧米連中の仲間入りをしてしまった。なぜ、同じアジア人として、同胞を救うという気持ちを持てなかったのか」
 蒋介石は、目に涙を浮かべそうになるぐらい顔を赤らめて言った。
 龍一は、さらにうなだれた。
「もう話すことはないということは十分分かっただろう。帰り給え。元いたところに送り返してやるから」
と蒋介石が言うと、二人の兵士が現れ、椅子に座った龍一の腕をつかみ立ち上がらせる。
「手荒なまねはごめんだ」
と言うと、兵士は龍一の顔に布をまいて目隠しをさせた。視界が真っ暗になったかと思うと、両脇から男達が龍一を引っ張る。数百歩ほど歩いたところで、船に乗せられた。舟板に座らせれる。すぐに蒸気モーターの音がして、船が川を流れていくのを感じる。
 しばらくして、龍一は眠りに落ちてしまった。殴られたわけではない。ただ、疲れから眠気が襲ってきたためだ。
 はっと目を覚ました。明るい日差しが目を大きく開かせたようだ。すでに朝であることが分かった。そして、自分が来る時に運転してきた自動車の中にいることに気付いた。運転席に座っている。何ともご丁寧な送り迎えであると思った。
 東京に戻ろう、龍一はそう決めた。

一九三八年(昭和十三年)十一月三日