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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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「あれは君が書いた記事だろう。分かっていたんだ。それを大西君が、君の身代わりに」
 龍一は言葉を失い、体中に身の毛がよだった。
「だから、彼には言ったんだ。君を突き出されたくなければ、控訴を断念しろと。会社のためにも断念しろと説き伏せた」
「何ですって?」
 龍一は、胸をぐさりと刺された感じがした。
「会社を守るためだった。言論機関を潰してはならない。そのためには妥協も必要だと考えた。だが、だが、普通選挙が実現しても治安維持法とか出来て、自由は縛られていくばかりだ。そんなことなら、あんな妥協をさせるんじゃなかったと。悔やまれて仕方なかったんだ。大西君は会社のことはどうでも控訴するつもりだった。戦い抜くつもりだったが、彼の弱みにつけ込んで、彼の意志に反することをさせてしまったと思っている。だから今度こそは・・」
 酔いに任せて放った言葉に龍一は、言い返す言葉がなかった。岸井を責めるわけにもいかない。大西が自らの身代わりになることを龍一こそが容認し、大西の意志に沿うという口実で自らは、記者としての歩みを続けて来た。大西が控訴を断念した理由に自分のことがあったことは考えれば分かったはずだ。本来なら自分が被るべき罪状を代わりに被ってくれた。犠牲を強いたのは、龍一自身であったといってもおかしくない。そんな自分に誰を責めることができよう。
 岸井は酔いつぶれ、座ったまま眠りこけてしまった。
 龍一は立ち上がり、勘定を二人分支払い、居酒屋を出ていった。
 龍一は思った。何が何でも大西を救い出さなければ。

 翌日、龍一は日比谷の帝国ホテルの中の貴賓室にいた。その日、ほぼ六年ぶりに顔を合わす人物と会うためだ。今や貴族院議院副議長となった近衛文麻呂侯爵だ。面会の約束は秘書を通して、二週間以上も前にしていた。当初の目的は、婦人参政権付与のための公職選挙法改正案の貴族院通過、最終的な成立を陳情するためであった。
 九年前に女性が政治集会に出席する権利を認められてから、さらに運動が進められ昨年には、婦人公民権法案が内務省より提出され、衆議院で可決された。だが、貴族院で審議未了となった。やはり伝統的な家制度への挑戦と受け取る保守派議員の反対にあったからだ。今年になって、法案は再提出され衆議院で可決された。貴族院では委員会可決が確実視されている。だからこそ何とか、今度こそは本会議での可決成立と考えていた。近衛氏には、反対派議員を説得し何とか貴族院本会議での成立に尽力して欲しいとここでお願いするつもりでいた。
 だが、面会の目的は急遽変わった。近衛氏に頼み込みたいのは、大西のことだ。何とか、近衛氏の政治力を使って検察にかけ合い、大西の起訴を取り下げるか、でなければ求刑を引き下げて貰えないかと考えた。今、大西氏は終身刑を検察側から言い渡されている。こんなことを近衛氏に頼むのは、明らかに逸脱行為で忍びないが、今は藁にもすがりたい思いだ。無理でもお願いするしかない。
「やあ、久しぶりだな。白川君。嬉しいよ」
 貴賓室に入ってきた近衛氏は、微笑み顔で龍一に挨拶した。
「こちらこそ、お久しぶりです。時間をさいていただいて誠に光栄でございます、侯爵」
 龍一は、深く頭を下げ礼をした。
「そんなにかしこまらなくていいじゃないか。私と君の仲じゃないか。侯爵などと呼ばないでくれ」
 目の前の近衛氏は、九年前見た時と何ら変わらず、気品に溢れ、また気さくさをも醸し出していた。
 龍一は、さっそく本題に入って大西哲夫氏のことを話し始めた。近衛氏は、龍一の必死さを読み取り熱心に耳を傾け聴きいった。
 龍一は話の最後にこう言った。
「近衛さん、何とかなりませんでしょうか。もちろんのこと無理なお願いだと言うことは百も承知ですが」
 近衛氏は、しばらく沈黙して考え込んでいるようだった。しかし表情をさっと変え
「申し訳ないが、私じゃあ何の助けにもならんよ」と言った。
 そうか、と思った。最初から無理だということは分かりながら頼みこんだことだ。もちろんだ。議員が検察に口利きすることなんて明らかに脱法行為だ。こんなことを頼む自分はどうかしていると、龍一は思った。
「ここ最近は共産主義に対する取締りは厳しい。誤認逮捕なのかは分からないが、その君の先輩が共産主義活動家と深く関わっていたのは事実なのだろう。それに、君の先輩はかつて新聞紙法違反で有罪を受けたこともある人物だ。検察は断固たる措置をとらざる得ないだろう」
 近衛氏は淡々と言った。龍一は、しまったと思ってしまった。近衛氏に軽蔑されてたんじゃないかと。いくら自分が必死だと言っても、貴族院副議長の近衛氏に時間を割いてもらって脱法行為をわざわざ頼み込むなんて非常識極まりない。近衛氏に縁を切られてしまうのではないかと心配になった。
「お父さま、どうしても頼みたいことが・・」
 貴賓室に青年が現れた。龍一は、その青年に見覚えがあった。彼ともほぼ六年ぶりの再会となる。最初に会ったのは、十一年前の軽井沢でだ。
「隆文、何だ失礼だぞ。突然、こんなところにまで押しかけて」
 目の前に立っているのは、近衛文麿氏の長男、隆文だ。歳は十五歳ぐらいだ。
「ああ、白川さんですね。ご無沙汰しています。アメリカにいらしたって聞いていたのですがもう帰って来られたのですね」
 目を輝かせ、龍一を見つめる。
「正確に言うと、一年前にアメリカから戻って、その後中国に一年間赴任して帰って来たところなんだ。隆文君、久しぶり、大きくなったね」
 隆文は、背が高く、そして気品に溢れており、見事な父親譲りの外見だ。
「すまないな。この子は最近しつこく私を追い回しているんだ」
 近衛氏は、長男を前にさっきまでの硬い表情をほぐらして言った。
「どうしても、お父さまに承諾して欲しいんです。僕のアメリカ行きを」
「この子はどうしても、アメリカに留学したがっているんだ。だが、公家の血を継ぐ近衛家では、外国で教育を受けるなど猛反対でね。伝統を汚すからとね」
「日本人だからといって、外国に行って勉強してはいけないってことはないでしょう。白川さんも外国で育ったと聞くけど、立派な日本人として振る舞っていますよ」
 龍一はどきっとした。
「だが、お前は近衛家の跡継ぎだ。伝統を受け継ぐものとして誰よりも振る舞っていかなければならない」
 そう言われて隆文は落ち込んだ表情になった。だが同時に龍一に助け船を求めるような目配せをした。 
 龍一は言った。
「近衛さん、ご存知かと思いますが、アメリカの建国の父であるトーマス・ジェファーソンは、フランスに留学したことがあり、その時にこんな言葉を残しています。外国の言葉を話せるようになってこそ、自国の言葉のすばらしさが理解できるものだと。つまり、自国の伝統を受け継ぐものだからこそ、外の世界をしっかり知ることで、自国の伝統のすばらしさを誰よりも実感でき、誇りを持てるものだと」
 こんなものでいいのだろうかと、龍一は隆文を見つめた。
 すると、近衛氏は微笑みを浮かべ、隆文の方を見つめて言った。
「家に帰ってさっさと荷造りをして来い、お前は一族の期待を背負っているんだからな。これから私はアメリカの大使と会ってくるよ」