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かいかた・まさし
かいかた・まさし
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失敗の歴史を総括する小説

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第1部 大正デモクラシー



1918年(大正7年)3月 神戸

「白虹、日を貫けり」


 神戸は北野の丘の上にある青色の洋館。窓の外の景色を眺めながら、18歳の青年、白川龍一は、思った。白い虹が、日、つまり太陽を貫くようなことが起こりうるのだろうか。彼は、たまたま中国の古典書、史記の一節を読んだところだった。中国にある古いことわざで、国が崩壊し、政変が起きる予兆を意味している。
 龍一の目の前にあるのは、青い大きな空と丘から見下ろす神戸の町並みだ。神戸の町並みと自分の間には、何軒も洋館の屋根がずらりと並んでいるのが見える。この丘一帯にある洋館だ。


 耳からは、蓄音機の奏でるオペラが聞こえた。隣の父の書斎からだ。この曲は、何度も聞いたことがある。父、白川源太郎の好きな曲、イタリアのテノール歌手、エンリコ・カルーソーの歌うプッチーニ作曲「星は光りぬ」だ。
 龍一は、オペラよりジャズが好みであったため、音楽に意識を集中しないようにした。
 ドン、ドン、ドンと、突然、玄関を叩く音が響いた。かなり、荒っぽい。
「開けろ、開けろ、警察だ。開けないとドアを壊すぞ」
 大声で怒鳴る声だ。今日は、日曜で家政婦がいない。自分が出なければと思い、部屋を出、階段を駆け下りた。玄関の戸を開けると、ものすごい剣幕の警官が数人、立っていた。
「白川源太郎はいるか?」
警官の一人が言った。
「父ですか?」
と龍一はきいた。玄関先にも、蓄音機から流れるオペラは聞こえた。
「いるんだな。じゃあ、入るぞ」
 男たちは、ずかずかと階段を駆け上っていった。龍一は、訳の分からぬまま、後を追った。
源太郎の書斎のドアが開け放たれた。警官たちと白川源太郎は、見つめ合った。
「白川源太郎、アヘン密輸の容疑で逮捕する」
と警官はにらみながら、言った。手には逮捕礼状を持っている。
 龍一は、目の前で起こっていることが信じられず困惑し、父を見つめた。源太郎は、手に銃を持っている。
「リッチー、風見鶏だ。いいな、か、風見鶏だ」
と震えながら、龍一を見つめ言う。手に持っている銃を動かす。
 警官たちは、ぎょっとしたが、銃口は、彼らに向けられず、源太郎の頭のこめかみに刺さった。パーンという、銃声が響き渡った。源太郎の体は、目の前の机上に倒れた。辺りが、血まみれになった。
 オペラが終わり、蓄音機の針がレコードの中心をかすめる、シー、シーと言う音がラッパ型の拡声器から流れた。

 リッチーこと、白川龍一は、この時、唯一の肉親を失った。

 龍一は、一八歳で神戸にある私立姫路高等学校の学生である。と言っても、一月もしないうちに卒業の運びとなる。卒業後は、同志社大学に入学する予定となっていた。
 龍一の父、白川源太郎は、白川商会という貿易会社を営む裕福な貿易商であった。生まれ育った横浜で事業を起こし、明治の文明開化の時代に外国人居留地を拠点に海外の国々との貿易で財を築いた。
 源太郎は、貿易商としてイギリスを訪ねたときに龍一の母、エヴァと出会った。エヴァはポーランド人だった。
 ロンドンのバーで偶然出会った源太郎とエヴァは、すぐに恋に落ち、源太郎はエヴァを日本に連れて行き結婚した。
 エヴァは、その後、男の子を産んだ。それが、龍一である。龍一という名前は、父がつけたが、日本語が全く話せない母は、「リッチー」と呼んだ。そのため、父も龍一を「リッチー」と呼んだ。

 龍一が、二歳のとき、一家は横浜から清国の上海に移り住んだ。上海は、清国の中にありながら西洋的な都市であった。清国が、一八四〇年、アヘン戦争でイギリスに敗北したのを機に欧米列強の租借地、いわゆる租界となったところだ。日本人も一八九四年の日清戦争の勝利から、上海に多くが移り住むようになった。
 租借地ということもあり、清国の権限は及ばず、世界中の様々なものが、自由に商取引される場所として栄えた。
 貿易商の白川源太郎にとっては、事業を拡大させる上で、格好の場であった。上海では、これまでの貿易事業をさらに拡大させ、プール付きの豪邸を構えるほどに財を成した。
 龍一は、国際都市上海の租界で裕福な生活を営みながら育つこととなる。日本人の父と白人であるポーランド人の母を持つ龍一には、類稀な特質があった。
 龍一は、白人とアジア人の混血ということになるのだが、顔つきはどちらともいえる。日本人から言えば、やや色白く彫りの深い西洋的な顔立ちをしている日本人だが、西洋人から見ると、やや浅黒く彫りが浅めの東洋的な顔立ちをした白人に見られるらしい。
 だが、唯一、彼を双方から見て、日本人か西洋人にはっきりと分ける方法があった。髪の毛の色だ。髪の毛が黒ければ日本人で、髪の毛の色が茶色になれば西洋人となる。
 そもそも生まれた赤ん坊の時から幼少の時は、髪の毛が茶色で完全に西洋人と見られていた。母親と白人しか入れないレストランや教会に通ったことがある。学校も日本人でありながら英国人やアメリカ人の通う小学校に通い英語で授業を受けた。外見が西洋人であったため日本人の学校では馴染めないからだった。
 だが、十歳を過ぎた頃になると、髪の毛が段々黒くなっていき、はっきりと日本人に見られるようになった。そこで、龍一は、中学校からは日本人の学校に通うこととなった。
 その後、父が事業の拠点を神戸に移すこととなったため、上海の日本人中学校を卒業後、一家で神戸に移り住むこととなった。高等学校は、神戸の私立高校に通うことになった。
 住まいは、神戸の北野の丘にある洋館が立ち並ぶ住宅街だ。地元の人々は「異人館街」と呼んでいるが、その呼び名の通り、この場所は、西洋人が多く住んでいる。上海に住み慣れた一家にとっては、最適の環境であった。二百坪の敷地に佇むプール付きの洋館で、使用人を五人ほど雇っていた。
 龍一は、物心ついたころから初めて祖国の地に足を踏むことになった。自分が日本人であるという意識は、実のところ薄かった。母親がポーランド人であり、上海で育ったということが原因したためだろう。
 上海では、日本人社会よりも西洋人や中国人の社会と接することが多かった。そのおかげか龍一は、六つの言語が母国語のように流暢に話せ理解できる。父の話す日本語、母の話すポーランド語、小学校の時から話した英語、上海のある中国の中国語、また、上海で米英人と同じぐらい接することの多かったフランス人とドイツ人の話すフランス語とドイツ語だ。環境のせいでもあったが、龍一は、語学に関しては天才的な学習能力を持っていた。
 自分が日本人であるというよりも、上海人という意識が強かった。ある意味、無国籍人ともいうべき意識があったのである。
 帰国後、両親は龍一に日本人である自覚を持つよう言い聞かせた。日本人の父もそうだが、ポーランド人の母も同じ考えだった。
 母は、ポーランド人であるが、国を追われた身であった。ポーランドは帝政ロシアの支配下にあり、そのポーランドで生まれ育った母は、独立のため抵抗運動を行っていた。