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佐崎 三郎
佐崎 三郎
novelistID. 27916
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筑波山礼賛

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『筑波山礼賛』

‘弁慶七戻り’を御存知だろうか。茨城県、筑波山の名所である。詳しくはネットで調べてもらえばいいし、最近はつくばエクスプレスが開通し、駅からのシャトルバスで容易に行ける。知名度も上がったようにも思う今日この頃である。たまたまその岩のある筑波山を調べていたら、去年の震災で「あの奇石は大丈夫だったのか」と心配した人を見つけて、なぜかくすくすと笑ってしまった。確かに言われれば心配だ。知らない人には失礼な話で申し訳ないが、それこそ現実に生でその大きな岩がいかにも落ちそうで落ちない不思議なバランスでくっついている。その緊迫を喩えて、あの弁慶ですら七回戻ったというわけである。それぐらい危ういのである。だから、その心配は決しておかしな話ではない。しかし、だ。悪いとは言わないけれど、そこに意識が働いたということが面白いのである。特筆したいと思ったのだった。

父が亡くなってかれこれ16年が経つ。亡くなる2年前につくば学園都市の病院から、理由はよくは知らないが筑波山の麓にある病院に移動し、そこで闘病生活を送り、リハビリを続けていたが、やはり詳しい理由も聞かされずに亡くなった。東京に出て、大学を出、家族をもち、細々と生活しているわたしは、定期的にはお見舞いにも行けず、気が向いたら行く程度の親孝行であった。今更反省しても仕方がないけれども。都心から車で向かうと先ず、筑波山の姿が目に懐かしい。物心ついたときから、毎日のように眺めた山だ。家から100歩も行けば、空の一部には山があった。その山をこういう状況で眺めるとは思いもしなかったが、ある意味特別なものとしてわたしの記憶に深く刻まれたのだった。

国道から筑波山に向かって真っすぐに突き進み、蛇行する田舎道を走ると、街から人里離れた小高い丘にその病院は建っていた。ヒッチコック映画の「サイコ」ではないが、なにか不気味な気分になったこともあった。それはまだ「死」というものを余り知らなかったからだと思う。父は10年以上車椅子生活を送っていたのだが、母は元気に兄夫婦と孫たちと暮らしていた。しかし、世間にありがちな家庭内の問題で、軽いノイローゼになり、手に余った兄は病院に入れた。どんなことが起こったのかそれこそ知る由もないが、一年後そこでひっそりと亡くなってしまった。父よりも早く。それはどういう運命なのかと、わたしは悩んだ記憶がある。

もちろん父に話した。その瞬間も覚えている。父は半身不随で、言語障害をもってはいたが、頭ははっきりしていたので、意思は明確だった。力ない目を曇った二月の寒空に向け、遠くを見ていた。言葉は曖昧だったが「そうか。しょうがないな」と言った。遠い目はわたしの知らない、二人だけの想い出を頭に浮かべていたに違いない。母から聞いたことのある、二人のお見合いから結婚、そして祖父母の早くの死、兄弟5人の長として父は親代わりをしていた。その横で苦労したのが母だった。

父は無口で、なにかについて多くを語った試しがない。学生時代に帰省するときの迎えの車の中で、少しは社会人になったわたしに二言三言、重たい口を開くだけだった。その父は母が先に亡くなっても、今度は言葉を出そうにも出せない身体になっていたのだ。この運命とはなんなのかと思う。だが、父は必死にリハビリをし、少しでも元気にと努力していたと聞いていたが、伯母からの噂では、元気になり過ぎて、それを押さえる鎮痛剤の注射を打たれ、そのショックで亡くなったと葬式で語っていたのを覚えている。いずれにしても父は後を追うように亡くなった。

お墓参りに来るたびに、筑波山と必ずや逢う。すると否応なく、その病院と父とを思い出す。そして、時と共に山を眺めたときの気持ちの変化を感じる。それはまるで筑波山そのものである。昔からの言い伝えで、一日のうちで七色に変化する山なのだ。関東平野に孤独に持ち上がった大地はその心を色で表わしているのだろうか。わたしも人生の半ば、いや後半になり、様々なものを眺め、日々心の色を変えながら生きている。これは不思議な気持ちだ。けれどこれが正しいことなのか。

中学時代、剣道部の先輩と同級生の3人で、自転車で山を登ったことがあった。神社に辿りつく前に挫折して、林の中に自転車を置き、獣道を歩いたことがあった。その時の「わたし」といまの「わたし」はどう違うのか。またはどう同じなのか。わたしも弁慶のように、転がり落ちそうな岩を前に、行きつ戻りつしながら、こうして生きてきたのだろうか。その石の門を潜ることもできずに、トンネルの向こう側に行くことを怖れているだけなのだろうか。まだ、わたしはまだなにもしていないのだ。

筑波の山は美しい。美しいものがあるのではない。田圃中の農道の真ん中に立って、青く輝く筑波山を見ながら、もう一度、帰るのだ。生まれたことを考えるのだ。父のこと、母のこと、すべてを眺め直すのだ。するとすべてが美しいと思えてくるのだ。人生は美  しい。美しい人生(ドラマ)ではない。すべてが美しいのだ。そう思うわたしだが、ずっとずっと‘か弱き弁慶’なのであった。
                  (了)
作品名:筑波山礼賛 作家名:佐崎 三郎