アジアへGo!
成田で家族と別れ、ベトナムに出張に来ています。
タクシーに乗ってホーチミン市街を取引先へと向かう道すがら、
おびただしい数のバイクとすれ違い、交差点ではタクシーに突っ込んで
ギリギリのところでかわすという曲芸まがいの交通事情に、
助手席に乗っていた私は冷や汗を掻いていたのでした。
交差点でタクシーが止まり、その隣には色々な車種のバイクがたくさん
列をなして止まっていました。
ベトナムでは、バイクの事を、”ホンダ”と呼ぶ程、
日本のバイクが有名なのだとか。
工事用ヘルメットをかぶった人、ヘルメットすらかぶっていない人、
家族4人で1台のバイクに乗っている人達。
人、人、人・・・・まさに人の波です。
そんな時、タクシーのすぐ隣に母親が運転し、後ろに幼い姉妹が乗ったバイクを
目にしました。
真ん中に5歳ぐらいの幼い妹を乗せています。
ふと、彼女と目が合いました。
その時その幼い女の子は、こんなおじさんの日本人に、ニコリと微笑んだ
のでした。
思わず、僕もニコリと微笑み、軽く手を振って見せました。
その反応にちょっと驚いたような顔をした女の子は、すぐにとても嬉しそうな
顔にパっと変わり、手を振り返してくれたのです。
ベトナムの少女が泣きながら裸で逃げる写真の事を思い出しました。
ピューリッツァー賞を受賞した、とても有名な写真です。
キム・フックとして知られるこの当時の彼女は、ベトナム戦争時の空襲で背中
にひどい火傷を負いながら裸で逃げる9歳の少女でした。
その写真は「戦争の恐怖」と題され、翌1973年、ピューリッツァー賞を獲得して
いました。
修羅場を背景に小さな少女が裸で逃げるこの写真はベトナム戦争で一番、
人々の心に印象深く焼きつきけられた一枚となったのです。
後のインタビューでは彼女は「熱い!熱い!」と言って走っていたことを
覚えていると話したそうで、カメラマンは写真を撮った後、キム・フックと
他の子供たちを病院へ運んだとの事で、写真を撮るだけの身勝手なものでは
なかった様です。
昔、この地で戦争があり、たくさんの罪も無い子供達が尊い命を落とした事を
私がふれあったこの子は知らないでしょう。
いや、知らないまま、幸せに家族といつまでも暮らして欲しいと、
私との出来事を嬉しそうにバイクを運転する母に伝えている彼女の後姿を眺め
ながら願いつつ、仕事場へと向かったのでした。