アジアへGo!
母は韓国で生まれました。
でも韓国人ではありません。日本人です。
日本が敗戦する前、まだ韓国が日本の一部だった頃、小学校4年生まで家族と
一緒に住んでいたそうです。
晋州という所に住んでいて、当時は建設業を生業としていたとの事。
韓国人とも普通に付き合い、ヨーロッパの植民地政策のように奴隷としたりする
訳でなく、共存・共栄のスタンスで共に汗をながしていたとか。
敗戦が決まった時、日本人の暮らす集落には今まで仲良く暮らしていたと
思っていた韓国人が略奪、迫害にやって来たそうです。
母達は両班(ヤンバン)という韓国のお役人血筋の大きなお屋敷にかくまって
もらい、難を逃れ、釜山港から船をチャーターして命かながら本土へ戻って
きたそうです。
あれから65年の月日が流れましたが、母はあれ以来一度も韓国の地を踏む事は
ありませんでした。
私が韓国営業を任される事となり、韓国語の勉強を始めた頃、母は私も知らない
韓国語の単語を話し出したのです。
今まで封印していた、かの地での生活を思い出し、色々な事をこの歳になって
初めて教えてもらいました。
死ぬ前に一度は母を里帰りさせてやりたいと、晋州という地を調べ、交通を調べ、
土曜日から3日間、韓国へ里帰りに連れて行きます。
遠い昔、私の先祖様が命を掛けて開拓した、かの地の近代化された佇まいを見、
少しは昔の面影のある地形や建物がみつかって、母が幼少の頃に思いを馳せる
事が出来れば良いと切に願うのであります。