光の弟
まさかクロノスが鎖から解き放たれるなどだれが考えるだろうか。
妻や子に迷惑を掛けないように繕ったが、勘のいいものなら気づくだろう。
なんせ舅であるネウレスには、感づかれ毒づかれてしまったのだ。
「…兄貴はどうするんだ?…冥府から逃げたことに気付かないとか、やばいだろう」
ポセイドンは日の光が入る未だ平和な光景を見る。
そういえばゼウスとポセイドンとハデスは、遊びという遊びをしていない。
ゼウスと出会ったのがティタノマキア前。
その時は兄弟全員が父の体の中で成長していた。
初めて見た青年は、光を纏い自分たちを救った。
それが気に食わなくて、多くの嫌味や皮肉をぶつけた気がする。
いつも俺と出会うと喧嘩ばかりで。
喧嘩はハデスかヘスティアが仲裁していた。
だが本気でぶつかった日。
ゼウスは泣き叫んだ。
俺はわめき散らした。
泣くな!叫ぶな!!喚くな!!!…甘えるな!!!!
あの後、俺は兄ハデスに謝罪を述べながら叫んだ。
「ゼウスは穢したくない!!あいつだけは壊したくない!!!」
体中が沸騰するような感覚に襲われ、崩れ落ちた気がする。
そして父クロノスがゼウスに近寄って来たとき、体中の血の気が引き、俺が言った。
(ゼウスを殺せ。光のゼウスでなく闇としよ)
それは俺の中に眠る、闇の俺。
兄ハデスも恐れる闇の人格。
姉たちに宿らぬ黒き人格。
母が哀れみ、父が狂喜し落胆した人格。
だからこそ、俺と兄は闇を知っている。
お前だけはこの人格を知るな。知らないでくれ。
俺の。俺たちの希望である弟。
「弟よ。闇知らずに光をみよ。お前は光の御子。前だけを見据え、後悔など捨ててしまえ。多くの苦痛は我らが」
らしくもない歌をうたう。
ティタンの一人オケアノスがクロノスに向けて歌った歌。
あの神も弟を守ろうと自らの骨を断った。
俺もいつかは。
オケアノスのように。
自らの何かを犠牲にして、ハデスと朽ちるのだろうか。
それでもいいかもしれない。
きっとゼウスなら前を見据えるはず。
あいつは俺らの弟。
誰かが阻止するのなら俺が潰す。
「あなた、どうしたの?」
考え事をしている俺を不思議そうに妻アンフィトリテが近寄る。
異形のような魚人。
青い肌に金の瞳、額に紅い宝石の飾り。
魚の尾ひれに耳もひれ。
最愛の妻は俺に近寄り、だきしめる。
落ち着く。俺は多くの神々を容赦なく葬った。
そして、兄を苦しめ続けたのに。
「あなた、泣かないで…お願い」
気が付けば俺は泣いていた。
海の中なのに、俺の涙は流れている。
そして、泡となり真珠となる。
俺も弱虫。いや、ゼウスよりも臆病者。
俺は兄弟の中で一番粗暴で暴れ者で。
よく、生き残れたものだ。ティタノマキアでよく勝てた。
体中を抉られる苦痛と心を抉られ苦痛。
双方を味わい、双方を受け止めた。
それが正しいと信じ、兄妹たちと闘いつづけ。
「俺はここにいて、いいのか?」
「えぇ、許される。あなたは海の覇王、私の夫。ネウレスの息子よ」
アンフィトリテはポセイドンに歌う様に言う。
ポセイドンは頷き、妻と陽の光が差し込む玉座の間にて歌う。
それは最愛の弟への不器用な家族愛のうた。
素直でないポセイドンの精一杯のうただ。
響く、そしてオケアノスがネウレスが…
多くの海や川の神たちがポセイドンのうたに涙した。
誰もが感じていたのかもしれない。
ポセイドンこそ一番多くの絶望を知り、多くの幸せを願っていると。
ハデス同等の過酷な運命を背負って生きていると。
大切な弟よ 夢を見てくれ
光の夢を 悪夢は見るな 見たならここへおいで
兄が払ってやろう 涙を拭き取り お前の苦しみを拭おう
大切な弟 俺たちの光 あぁ 消えないでくれ
闇を知るな 闇は兄たちのみが背負おう お前は闇を見るな
さぁお眠り まどろめ 兄は真珠をやろう 兄は貝をやろう
お前は弟 俺の弟 俺たちの弟
あらゆる悲しみを俺が被る あらゆる喜びを俺が渡す
そこで笑え 笑ってればいい 悲しみは俺らしか知らない
涙の味など 憶えるな 光の弟よ
ポセイドンの歌はティタンに届き冥府へと流れていく…兄が涙しながら聞いている