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桜と悲劇

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酒も大勢の仲間もない。上品なライトアップもなく、それを照らすものは不細工な街灯だけだ。しかし、桜は優美に佇んでいた。幹は、僕が二人いたらやっとのことで抱えられそうなほどもある。きっと戦前からここで花を散らしていたのだろう、貫禄のようなものも感じられた。
「夜桜って、いいわよねえ。妖艶っていうか」
 隣で先輩が独り言のように呟いた。
「……そうですね」
今日も、研究が遅くなったのだ。研究室の皆は、年度が始まったばかりの今でさえ慌ただしく薬品を混ぜ合わせている。いや、今だから、か。研究は大詰めを迎え、各人自分の仕事を鬼のようにこなしている。
そんなわけで、このように帰宅が遅くなることは、日常茶飯事だったのだ。たまたま今日は、先輩と時間が被ったから、駅に近い僕が、駅まで彼女を送っているだけである。
「研究が終わったら、この桜も年中見れるようになるんだなあ……」
先輩が口元を緩めながら話す。
「素敵かもしれませんが、風流ではなくなってしまいそうですね。日本人は、無があるから有を愛でているわけで」
「いいのよ、そんなことは。私達が目指したのはそんなものじゃない。世界が食糧危機から逃げられるってことなんだから」
 先輩は、研究目的の達成に心から喜んでいるのだろう、語気が荒んでいた。
 僕らが研究・開発しているのは「究極の促成栽培」。従来とは比べものにならないスピードで作物を収穫できる薬品を創っていたのだ。先輩の言う通り、上手くいけばノーベル賞ものだ。
「……楽しそうですね」
「ん? じゃあ君は楽しくないの? 心の底から好奇心が吹き出てくるような感じはしない?」
「あんまり、しませんね」
 先輩は根っからの研究者気質なのだろう。僕のように、潰しがきくからといって理系の道に進んだ人間とは、正反対のところにいる。やれ景気が悪い、やれ就職難だと言って、決定を引き延ばしてきて一体何年になるだろう。でも、そんな僕だからこそ、先輩を始めとした理系の人々の危うさには簡単に気付けた。
「先輩たちが、ノーベルみたいにならなければいいですけど」
「なによ、それ」
 意味は分かっているだろうが、先輩はまだ笑みを浮かべていた。
「桜が綺麗なのはね、死体が埋まってるからなのよ。知ってた?」
「常識的に考えて、有り得ません」
「もうちょっとノリが良いとやりやすいんだけどなあ。……華やかなものの裏には必ず犠牲者がいるの。それは科学の発展には欠かせない。犠牲者の上に私達は立ってるの。そして多分、私は次の犠牲者になるのよ」
 先程の言葉は訂正しなければいけない。先輩は、自分からノーベルになろうとしているのだ。それこそが、科学のあるべき姿なのだと、思っているのか。
「そんなの……」
 僕にとっては有り得ないことだった。そんなことはあってはならない。そうなるのが運命ならば、僕は、
「大丈夫ですよ、先輩は桜です」
 僕は、桜の下に埋まっている死体でいい。いや、死体がいい。
「てか、終電、あと5分ですよ」
「えっ! やば、走る!」
 くるりと回って桜を背にした先輩の背中を押すように、風が吹いた。桜の花びらがその体を包むようだ。
 どんな手を使ってでも、彼女を誰かの養分になどしたくない。悲劇は彼女以外が被ればいい。……そんな風に言ったら、先輩はどんな顔をするのだろうか。
作品名:桜と悲劇 作家名:さと