The El Andile Vision 第4章 Ep. 2
しかし、現実の状況を見れば、そう疑わざるを得ない。
現に今、この『邪悪な生き物』を前にして、彼の中の『力』がこんなにも強く反応している。
それは確かに、拒絶ではなかった。
あのエルダー・ヴァーンや、ジェリーヌ・ヴァンダといった魔導師たちが手を触れようとしたときの反応とは明らかに違う。
それは――求めているのだ。
目の前のこの生き物を、取り込んで、自分のものにしようとしている……。
(……なぜなんだ……?)
イサスは、呆然と同じ問いをただ繰り返すしかなかった。
そんなイサスの心の内を全て見透かしたかのように、『生き物』が嘲笑った。
「そなたの中には怒り、恨み、憎しみ、そして絶望の感情が鬱積しているな。今、そなたの中に入るのはたやすい。そなた自身がわたしを望んでいるのだから」
「――馬鹿な……なんで、俺がおまえなんかを……!」
イサスはそう言いかけたが、なぜか言葉はあえなくそこで途切れた。
新たな疑念が押し寄せ、彼を悩ませる。
――そんな……
――違う……俺は、そんなこと、望んじゃいない……!
――だが、本当に……そうなのか?
イサスは、一瞬自分の中に渦巻く感情を整理しきれなくなり、混乱した。
(恨みと絶望……?)
確かに――
信じていた者に裏切られたことに対するやりきれない思いが、彼の胸の中に暗い影を落としていたことは事実であった。
そして、抑え切れない憤怒の感情も……
それがザーレン・ルードに対する怒りなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか……彼にはよくわからなかった。
「……そなた自身が、『力』を変容させようとしているのだ。ゆえに、この私をも引き寄せた。そなたが『力』を制御できぬゆえに、招いたこと。もっとも、私にとってはそれが幸いしたが……」
そう言うと、それは手を差し伸ばした。
イサスの体を絡めとろうとするかのように。
逃れたくとも、もはや逃れようがなかった。
白い手が、彼の胸の石に触れる。
その瞬間、石が強い閃光を放った。
冷たい触手が、彼の心臓を掴んだ。
息ができない。
鋭い痛みが瞬時に全身を駆け抜けていく。
と同時に、イサスの体内で、何か異様な変化のうねりが生じた。
気が付くと、すぐ眼前に悪魔のような笑みをいっぱいに浮かべたその『生き物』の顔が迫っていた。
あっと思った瞬間に、その顔から、まるで鍍金が剥がれるかのように、皮膚が砕片となって、ぼろぼろとこぼれ落ちていった。
そしてその下から、現れたのは……
――何もない空間。
……それは、ただの『闇』の広がりでしかなかった。
しかし、その闇の色は何と暗く、底知れぬ深さを宿していたことか。
そこに落ち込んでしまえば、恐らく二度とこの世へは戻ってこれなくなるのではないかと思えるほどの、深く暗い闇黒の世界の広がり。
イサスは、わけもわからぬまま、ただ恐怖に慄いた。
「……『無』(ヌール)……!」
自然とその名が、口をついて出た。
――その言葉の意味は彼にはさっぱりわからなかったものの、それが何か彼自身に深い関わりを持つ言葉であることを彼の本能的な直感が教えてくれた。
自分は、それを知っている。
遥か以前……恐らくはこの世に生を受けるずっと前から――
遥か彼方に埋もれた記憶。
その記憶の微細な断片が、彼の頭の中で激しく飛び交っていた。
自分自身が、何者であるのか。
その答えを探す重要な鍵がそこにある。
しかし、肝心なところで、記憶に靄がかかり、再び全ては虚空に沈む。
イサスは、もどかしさに駆られた。
もう少しで手が届きそうなのに、あと一歩のところで全てが霧散してしまう――。
それでも、ひとつだけ確かに感じられたことがあった。
――俺は、『こいつ』を知っている。
『無』と呼ばれるもの……闇黒の世界に巣食うこの『魔物』を……!
怖れと強い警戒心が沸き上がる。
しかし――
(――もう、遅い!)
『魔性のもの』の哄笑が彼の脳裏一杯にがんがんと響き渡った。
その瞬間――
『それ』は彼の中に侵入することに成功した。
イサス・ライヴァーは、抵抗する間もなく、既に『そのもの』の手の中に、捉えられていたのだった。
大きなうねりが彼の身内を駆け巡り……その不快な異物の侵入に、体は声のない悲鳴を上げ、衝撃で彼の意識は一瞬途絶えた。
そして、次に彼が立っていたのは、何もない闇の空間。
何も見えないし、何も感じられない。
……永遠とも思えるような虚無の広がり。
その中で、ただひとり――
苦悶に喘ぐ息を吐き出しながら、イサスは、自分のものであってなきかのような異物の蠢くその体を、どうしようもないほどに打ち震わせていたのだった……。
(...To be continued)
作品名:The El Andile Vision 第4章 Ep. 2 作家名:佐倉由宇