山芋
門の内側には砂利が敷き詰められていて、その中を不自然なほど形の揃ったまん丸い飛び石がちょうど十枚、連なって玄関まで続いている。
その飛び石の上を渡っていくと、左側に、二十畳ほどの庭が見えた。庭は高い塀に囲まれており、その塀に沿ってコブシの木がきれいに並んで植わっている。
木はどれも丸裸だけれども、玄関から一番遠い、隅の一本だけが、白い大きな花を五つ六つぽつぽつとつけている。
その木のふもとに苔で深緑色に汚れた小さなししおどしがあった。
そのししおどしの脇に子供の腰ほどの高さの、黄土色の泥の山ができていて、三歳ぐらいの男の子が、大きな一枚歯の下駄をぶかぶかとはいた足で、その泥の山をせっせと蹴り崩している。
何をしているのだろうと思っていると、玄関の扉ががらがら開いて、髪のほつれた女が顔を出した。
「どうしましたの、こんな遅くに」
私は慌てて玄関へ駆け寄った。
「道の途中で兄とはぐれてしまったのです。御覧になりませんでしたか、こう、私とよく似た背格好だけれど、眼鏡をかけて、少し痩せた」
女はしばらく私の顔を見ていたけれども、やがて、
「とにかくお入りなさい。その方については、知らないでもありませんから」
と言って私に背を向け、すたすたと奥へ歩き出した。
その後へついていくと、女は庭へ面した廊下を伝って、奥の部屋へ私を通した。
廊下を歩いている間じゅう、「知らないでもない」という女の言葉が、心の中を何度も跳ね返って、なかなか腑の中に落ちなかった。
途中居間と思われる部屋の前を通り過ぎる時、締め切られた障子越しに十数人の人間のひしめく影が見えた。
人間はみんな廊下の側へ背を向けて、並んで座っているようだった。
脈絡もなく、兄が一人だけ、その列の前へこちら向きに座って、じっと目をつぶっている光景が、頭の中へしきりと浮かんだ。
「どうぞ」
通された部屋は灯かりがなくがらんとしていて、そのくせ妙にしらじらと明るいところだった。
部屋の真中に、空になった椀と箸が一膳、今ちょうど誰かが食事を終えたような様子で、置かれている。
その隣へ腰を下ろしてあぐらをかくと、女が抑揚のない調子で言った。
「今法事を行なっているところですので、しばらくお待ちくださいませ。この子の生まれなかった兄の、今日が四回忌になりますの」
見ると先ほど庭の隅で泥の山を蹴っていた男の子が、いつの間にか女の脇へ引っ付いている。
その男の子の顔を見たときに、私は「あ」と声を上げかけて、息を飲んだ。
何だか非常に恐ろしく、悲しい事が、一瞬分かりかけたような気がした。
「あの」
と私は喉から声を押し出すように言った。
「兄はこちらにいるのでしょうか」
言ってみてから、その言葉の浮いているのが、自分でもわかった。
全く無意味な事を訊いたのだという気が強くした。
何故そういう気がするのかは分からない。
手がかりがあるのかないのか、物事の下半分は見えかけているのに、肝心の上半分が、分厚い雲で覆われていて、その雲が、いくら払っても散らずにその場へ立ち込めていた。
「兄はいるのでしょうか。私の兄は、こちらへ来ているのでしょうか」
私はもう一度、精一杯落ち着きを込めてそう言ってみた。
しかしその言葉はますます浮いて、どうしようもなく場のしらけていくのが、ありありと感じられた。
女は黙って私を見ている。
この女は全てを知っているのに違いない、そうしてそれをわざと、私に黙っているのに違いない、そう考えて私は身震いした。
すると女が、さっきと同じような、抑揚のない調子で口を開いた。
「法事が終わったら、宴会を催します。仏の供養になりますから、あなたもぜひおいでなさいな」
仏という冷めた響きが、首筋をひやりと撫でるように思われた。
そして同時に、私は今度こそはっきりと思い出した。
その冷めた響きは、以前に聞いたことがある。
十何年か前、同じようにどこかの家の部屋の前で、同じような調子の声がその響きを口にするのを、脇に立って私は確かに聞いた。ように思う。
すると突然、さっき草原で山芋を踏んだ右足の裏が、火の点くように痒くなりだした。
今まで経験した事のない、飛び上がるほどの痒みである。
幾千匹もの細かい虫が、足の皮膚から中へ入って、足の裏に通る神経を直接くすぐっているのではないかと思われた。
女や男の子が見ている前だと分かっていても、居ても立ってもいられない、両手の爪を全て使い、前後もなくして私は必死に掻き毟った。
痒みは掻けば掻くほど燃え上がるようにひどくなって、きりがない。
分かりかけたことも思い出したことも、何もかもどこかへ飛んで、無我夢中に掻いていると、いつの間に部屋へ入ってきたのか、白い着物を着た兄が、刃物のように尖った爪で、私の足を一緒になって掻いていた。
兄の顔は、目の周りが墨を塗ったように真っ黒で、上顎の両脇には、喉元まで届くのではないかと思われるほどの長い牙が生えていた。