謎の少年
あの日は、たしか初夏のころだったわぁ。
あたしはさる美術館に出掛けた帰りだった。
地下から地上に出る階段を上ってると、むわぁっとしたあの雨の匂いが鼻をついてねぇ。
あーらら困った、傘なんか持ってきてないわあとか思いながら外に出ると、雨はもう止んでたみたいで……。それよりもあたしはまわりの景色に目を奪われた。
あたりは一面が真っ赤に染まってたの。なにかって、やーねー、夕焼けでよぅ。
ほんと、滅多に見られないぐらいの、それはもう見事な夕焼けだったわぁ。
故郷の古い街並が完璧な紅色に染まっててね。その上、空を見上げると、暗い色をした雲に大きな虹が綺麗にかかっていたわぁ。
すっごく幻想的で美しい風景だったんだけどぉ、なんだか強い引力のようなものを感じて、あたしは
目を奪われたままその場から動けなかった。
空を見上げて、辺りを見回して、空を見上げて。壊れたロボットみたいにその動作を繰り返していたの。
なんて言うのかしらぁ、見慣れた街並みなのにぃ、現実感がないの。
この世界にひとり取り残されちゃったような錯覚しちゃったくらいだもの。
本当にうつくしいものに出会うと人は畏怖を抱くというけどぉ、あれ本当よねぇ。あのとき、まさにあたしはそんな状態だった。
しばらくぼーっと佇んでいたんだけど、あたしはようやく我にかえった。
そして、そこで初めて、入り口すぐ横――つまりあたしが立っている真横に、子供が立ってることに気づいたの。
たぶん年は十歳そこらの、どこにでもいるおとなしそうな少年がね。なのになぜか目を引いたのは、彼はなぜだか式典で着るような礼服を着てたの。まぁ礼服を着る自体はともかくとしてぇ。
その服、よくよく見るとどう見ても冬用でねぇ。真夏ほどではないとはいえ、もう初夏だってのにネクタイまできちっと締めちゃってさぁ。
この子に服を着させた人は、なに考えてんかしらぁって思ったわ。
たぶんあたしは結構じろじろ見てたのねぇ、こっちの視線に気づいてその少年はあたしを見上げた。そしてこう言った。
「お兄ちゃん、ばいばい」
ものすっごく平坦な声で、にこりともせずに。無愛想とかそういうわけでもない、感情というものが一切含まないものだった。
あたしもまさかそんな少年に挨拶されるとは思ってなかったから、
「チャオ、坊や」
(そーいやあの子、なんであたしがオニイサンだってわかったのかしら……)
とっさに笑みを浮かべて、あたしはそこから離れた。
その日、人と約束があったのよぅ。
だから待ち合わせのカフェへ向かった。それで、あたしはいつもの通り近道をして行くことにした。この町のことはもう隅から隅まで知ってるから、迷路のように入り組んだ路地をあたしは迷いもせず進んでた。
それで何本目かの角を曲がったところだったかしらぁ。
突然ぼすんと、腰のあたりに軽い衝撃を感じた。
感触で、飛び出してきた子供とぶつかったんだなとわかったわぁ。
「あら、」
あたしは足を止めて、小さく声をもらしてしまった。
「大丈夫? 気をつけなさいねえ」
そう声をかけて手を差し出しながら、あたしはちょっとギョッとした。
あたしを見上げていたのは、さっきの……季節ハズレの礼服を着た少年だったんだもの。
正直、顔は曖昧だったんだけど、服装ですぐ分かったわ。
少年はあたしを穴があくほど見つめていた。
「あらぁ? 君、さっきの子ね。よく会うわねぇ」
あんまりじっと見られているからできるだけ愛想よくそう言ったんだけれど、少年はなにも答えずに踵をかえして行ってしまった。
そのときはあたしもなんとも思わなかったんだけどぉ……歩き出して、ふと気が付いた。
そして今さらながら不思議に思ったの。
彼は、なんでここにいたんだろう、って。
百歩譲ってたまたま同じ方向に進んでたとしてもよぉ。あっちは子供の足。ほぼ大人に近い体型のあたしと比べて歩幅はどうしても小さくなるだろうし、その上、あたしは路地裏をたどって近道したのよ。
どう頑張っても、同じ場所に同じころに着けるわけがないと思わない? テレポートじゃあるまいしぃ。
そんなことをつらつら考えながら、あたしは角を曲がった。
もう夕暮れの赤さに黒が混じってきていて、夜が近いわぁってふと顔をあげて、驚いちゃった!
その路地の目の前を、さっきのあの少年がサッと通りすぎていったんだもん!
しかもちゃんと目があったのよ。
その少年は、まるであたしに存在を知らしめるように、顔だけはこちらを、つまり進行方向から横に向けていたからね。
さすがのオネイサンも少し気味悪くなったわぁ……。
え? その後? とくにそれ以降なーんにもないわよ。ちょっと気味わるーいって程度の体験だから。
あたし、ふと思ったんだけどね。きっと、不思議なものはあたしたちのすぐ近くに存在してるんじゃないかしらぁ。
大多数の人(マジョリティ)はそれに気付かず生活してるけど、彼らはちょっとしたきっかけでふっと姿を現す。
それを、今回は夕暮れ時っていうきっかけで、今回偶然あたしはのぞき見ちゃったってワ・ケ。
それにしても、あの子は一体なんだったのかしらね……。
あたしはさる美術館に出掛けた帰りだった。
地下から地上に出る階段を上ってると、むわぁっとしたあの雨の匂いが鼻をついてねぇ。
あーらら困った、傘なんか持ってきてないわあとか思いながら外に出ると、雨はもう止んでたみたいで……。それよりもあたしはまわりの景色に目を奪われた。
あたりは一面が真っ赤に染まってたの。なにかって、やーねー、夕焼けでよぅ。
ほんと、滅多に見られないぐらいの、それはもう見事な夕焼けだったわぁ。
故郷の古い街並が完璧な紅色に染まっててね。その上、空を見上げると、暗い色をした雲に大きな虹が綺麗にかかっていたわぁ。
すっごく幻想的で美しい風景だったんだけどぉ、なんだか強い引力のようなものを感じて、あたしは
目を奪われたままその場から動けなかった。
空を見上げて、辺りを見回して、空を見上げて。壊れたロボットみたいにその動作を繰り返していたの。
なんて言うのかしらぁ、見慣れた街並みなのにぃ、現実感がないの。
この世界にひとり取り残されちゃったような錯覚しちゃったくらいだもの。
本当にうつくしいものに出会うと人は畏怖を抱くというけどぉ、あれ本当よねぇ。あのとき、まさにあたしはそんな状態だった。
しばらくぼーっと佇んでいたんだけど、あたしはようやく我にかえった。
そして、そこで初めて、入り口すぐ横――つまりあたしが立っている真横に、子供が立ってることに気づいたの。
たぶん年は十歳そこらの、どこにでもいるおとなしそうな少年がね。なのになぜか目を引いたのは、彼はなぜだか式典で着るような礼服を着てたの。まぁ礼服を着る自体はともかくとしてぇ。
その服、よくよく見るとどう見ても冬用でねぇ。真夏ほどではないとはいえ、もう初夏だってのにネクタイまできちっと締めちゃってさぁ。
この子に服を着させた人は、なに考えてんかしらぁって思ったわ。
たぶんあたしは結構じろじろ見てたのねぇ、こっちの視線に気づいてその少年はあたしを見上げた。そしてこう言った。
「お兄ちゃん、ばいばい」
ものすっごく平坦な声で、にこりともせずに。無愛想とかそういうわけでもない、感情というものが一切含まないものだった。
あたしもまさかそんな少年に挨拶されるとは思ってなかったから、
「チャオ、坊や」
(そーいやあの子、なんであたしがオニイサンだってわかったのかしら……)
とっさに笑みを浮かべて、あたしはそこから離れた。
その日、人と約束があったのよぅ。
だから待ち合わせのカフェへ向かった。それで、あたしはいつもの通り近道をして行くことにした。この町のことはもう隅から隅まで知ってるから、迷路のように入り組んだ路地をあたしは迷いもせず進んでた。
それで何本目かの角を曲がったところだったかしらぁ。
突然ぼすんと、腰のあたりに軽い衝撃を感じた。
感触で、飛び出してきた子供とぶつかったんだなとわかったわぁ。
「あら、」
あたしは足を止めて、小さく声をもらしてしまった。
「大丈夫? 気をつけなさいねえ」
そう声をかけて手を差し出しながら、あたしはちょっとギョッとした。
あたしを見上げていたのは、さっきの……季節ハズレの礼服を着た少年だったんだもの。
正直、顔は曖昧だったんだけど、服装ですぐ分かったわ。
少年はあたしを穴があくほど見つめていた。
「あらぁ? 君、さっきの子ね。よく会うわねぇ」
あんまりじっと見られているからできるだけ愛想よくそう言ったんだけれど、少年はなにも答えずに踵をかえして行ってしまった。
そのときはあたしもなんとも思わなかったんだけどぉ……歩き出して、ふと気が付いた。
そして今さらながら不思議に思ったの。
彼は、なんでここにいたんだろう、って。
百歩譲ってたまたま同じ方向に進んでたとしてもよぉ。あっちは子供の足。ほぼ大人に近い体型のあたしと比べて歩幅はどうしても小さくなるだろうし、その上、あたしは路地裏をたどって近道したのよ。
どう頑張っても、同じ場所に同じころに着けるわけがないと思わない? テレポートじゃあるまいしぃ。
そんなことをつらつら考えながら、あたしは角を曲がった。
もう夕暮れの赤さに黒が混じってきていて、夜が近いわぁってふと顔をあげて、驚いちゃった!
その路地の目の前を、さっきのあの少年がサッと通りすぎていったんだもん!
しかもちゃんと目があったのよ。
その少年は、まるであたしに存在を知らしめるように、顔だけはこちらを、つまり進行方向から横に向けていたからね。
さすがのオネイサンも少し気味悪くなったわぁ……。
え? その後? とくにそれ以降なーんにもないわよ。ちょっと気味わるーいって程度の体験だから。
あたし、ふと思ったんだけどね。きっと、不思議なものはあたしたちのすぐ近くに存在してるんじゃないかしらぁ。
大多数の人(マジョリティ)はそれに気付かず生活してるけど、彼らはちょっとしたきっかけでふっと姿を現す。
それを、今回は夕暮れ時っていうきっかけで、今回偶然あたしはのぞき見ちゃったってワ・ケ。
それにしても、あの子は一体なんだったのかしらね……。