禁じられた恋
秋、誰もいない新潟の浜辺。浜辺と並行する形で道路が走っている。
もう、どれほどの時が過ぎただろうか。ゆかりは夕時からずっとその浜辺に立っていた。ゆかりの足元で波が押し寄せては崩れてゆく。
日が沈んだ。少し風が出てきた。風はゆかりの顔を掠めては過ぎてゆく。やがて、一台の車が止まった。
ゆかりは振り向かない。
男が降りた。四十過ぎのちょいと渋くていい男である。名は野沢啓介といい、不動産業を営む実業家だった。ゆかりに近づいた。それでも、ゆかりは海の方を見ていた。暮れなずむ海に何かあるかのように。
「待ったかい?」と野沢は尋ねた。
「私も、今、来たところよ」とゆかりは微笑む。
「車で?」
「友達に送ってもらったの」
「男友達か?」と男は一瞬顔を曇らせた。
「違うわ」
「少し寒いな」
「もう秋ですもの。秋と思ったらすぐに冬がやって来る。冬は嫌い?」
「嫌いだね」
「私も」
野沢はポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
二人は黙った。打ち寄せる波の音と遠くで浜辺の近くの道路を走る車の音がその場を支配していた。やがて、ゆかりが泣き出した。野沢の手がゆかりの肩を抱いた。
「どこへ行っていたの?」
「仕事で札幌に行っていた」
「本当に?」
「嘘をついてもしょうがないだろ」
「嘘……」
「信用しないのかい?」
「信じたいけど」
「よかった」
野沢はゆかりを抱き寄せて,口づけをした。長い口づけであった。
「夢みたい」
「なぜ、そう思う?」
「だって、あなたが突然、音信不通になったから? 何となく、もう二度と会えないと思った」
「さっきも言ったけれど、突然の用さ」
「どうして、携帯電話を切っていたの?」
「大きな仕事のときは余計なことに気を使いたくないから電源を切る。そしてじっくり考え、自分の力で仕事を片づけるんだ。誰の力も借りない」
「どんな、仕事なの?」
「そんなに仕事の話が好きかい?」
「ごめんなさい、あなたの仕事に口出しして……」
「いいのさ」と言って野沢はゆかりの髪をなぜた。
「あなたが私のことを嫌いになったのではないかと考えたり…また、他に好きな人ができたのではないかと考えたり……ごめんなさい。勝手に涙が出てきてしまって。でも、電話をもらったときは嬉しかった」
「いいさ、泣きな」と野沢はハンカチを差し出した。
「でも、またこうして会えるなんて、まるで夢みたい」
「夢の続きをみたいなら、僕の部屋に来ないか」と啓介はゆかりの耳元で囁いた。
ゆかりは黙っていた。
「嫌か?」
ゆかりは首を二、三回降った。ゆかりにとって野沢は初めての男だった。
野沢は自分のマンションには行かず、食事をとった後、ホテルに入った。
ゆかりは男の腕のなかで深い眠りについた。
目覚めたとき野沢は居なかった。彼は泊まらなかったのである。
ゆかりは彼の匂いを感じながら着替えた。
翌朝、ゆかりは新幹線に乗り、昼前には東京に着いた。東京に戻るのは、二年ぶりのことだ。ゆかりは東京の大学ではなく新潟の大学に進み、そのまま新潟の会社に就職したのだ。
東京駅につくと、姉のさゆりが出迎えてくれた。
「今日は休みなの?」
「そうなの」
「学校出て、何年になる?」
「二年よ、忘れたの?」
「二年になるんだ」とさゆりはびっくりした顔をした。
「時間が経つのは早いわ」
「光陰、矢の如し……」
「そうね」とさゆりがしみじみは言った。
二人は顔を見合わせると笑った。そして、黙って歩いた。
二人の年は十才以上離れている。どちらも美人だが、姉のさゆりが華やいだ雰囲気があるのに比べ、妹のゆかりの方は清楚な感じがした。したがって、ふたり並んで歩いても到底、姉妹には見えない。それもそのはずで、彼女たちは血がつながっていなかったのである。それでも、二人は仲が良かった。
二人は駅を出た。近くにあるホテルの喫茶店に入った。コーヒーを注文した。
「ゆかり、好きな人でもできたの?」
ゆかりの顔が少し赤くなった。
「そんな人はいないわ。いたら、今頃、デートをしているわ」
「そう」
「どうして、そんなことを急に聞くの?」
「何でもないの。……でも、ゆかり、何だか色っぽくなったわよ。女は好きな人が出来ると、自分でも知らないうちに少しずつ変わってゆくものなのよ」
「じゃ、姉さんは今も恋をしているの?」
さゆりは微笑んだ。そして、コーヒーをゆっくりかき混ぜ、
「止めましょう、こういう話は」
「ずるいわ、自分から仕掛けて、自分勝手に止める。いつも姉さんはそうだわ」
「ずいぶんと絡むのね」
「絡んでなんかいないわ」
さゆりは昔のゆかりを思った。小さくて可愛かった。決して姉には口答えすることはなかった。それが今では自分を批判している。それは成長したことを表していると思う反面、同時に遠く離れてしまったような寂しさを感じさせた。
「お母さんは?」
「旅行に行ったわ」
「まあ! どこへ」
「香港よ。近所のおばさんたちと。半年前から計画していたの。だから、急にゆかりが里帰りするといっても旅行を止めるわけにはいかないと言っていたわ」
「どうしたの?」
「え? 何が」
「何がって……。何か放心したような顔をしているから」
「そうかしら、二年ぶりに戻ってきたものだから……。ねえ、今夜、ご馳走作ろう」
「料理、作れるの?」とさゆりは驚いたような顔をした。
「少しは」とゆかりは微笑んだ。
さゆりがタバコに火をつけた。すると、その横顔を見て野沢のことを思い出した。彼のタバコの匂い、吸う時の穏やかな顔……ゆかりはあらためて自分が深く彼を愛していることに気づいた。妻子のいる彼といつかは終わらせなければならないと思っているのに、深くのめり込んでいく自分をどうすることもできないことにあらためて苛立ちを覚えた。