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佐崎 三郎
佐崎 三郎
novelistID. 27916
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眼鏡橋、あの日の

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大型11トントラックが坂道を上手く上がれないので、劇団員はじめスタッフや劇場関係者が集まってきた。そこは長崎のある大きなホールで、わたしたちの舞台公演の旅の途中である。監督であるわたしは情報としては聞かされていた。もちろん運転手もあらかじめ知っていた。けれども、その緩やかに見える長い坂道は、幅3メートル、長さ10メートル近くある四角いタイヤ付の箱はその重みせいもあり、坂道をずるずると下端を削りながら上がらねばならない状況だった。

開館の時間がきていたが、トラックはあいたままだった。若い運転手はありったけの知恵と技で少しずつでも上がろうと、彼の提案で短い角材をタイヤにかまして、巨人が一歩一歩前に進むかのように上がっていくことになり、みんな見守る中作業は進められた。快晴の空の下。朝から汗ばんでいるのを感じた。しかしわたしの心の空は‘うわの空’だった。

ある3月の頭からその公演の旅は始まった。山口の下関、福岡の小倉、そして博多と周り、佐賀、長崎と南下していくのだ。その途中、わたしはある連絡知人からを受け取った。一月、住んでいた新潟で行方不明になった友人H君が見つかったと。それも宮崎の某小学校で発見された身元不明の遺体として。晴天の霹靂とはこのことだ。その頃鳥栖市に移住出張していたやはり共通の友人Sに電話し、いま九州を旅しているが、宮崎にも行く予定なのでそこで会おうという話になった。勢いでそういう流れになった。何も考えていなかった。

朝のトラックの件が無事に解決し、公演も終え、トラックが劇場を去る時は意外にもするすると降りて行けた。その時も考えているのはHのことだった。翌日はオフだったので市内見物をしていた。初めてではなかったが、ゆっくりすることは余りなかったので、名の知れた観光地を歩いてみた。オランダ坂を登り、深呼吸をして下り、繁華街へと歩き、アーケードを歩き、路面電車を見送り、ただただ歩いた。ずっとHのことを思いながら。思いだしながら。彼は音楽家だった。精神科医でもあった。たった一人でライブも数ヶ月前にみたばかりだった。あれは湘南だった。

川の方へ歩き、ガイドブックでもよく見る「眼鏡橋」に着いた。石造りのアーチが二つ並び、その形が水面に映る。それが丸眼鏡に見えるのだ。そうだった。彼のトレードマークは黒の丸眼鏡だった。姿形はがっちりとし、音楽などよりも柔道をやりそうな体つきだったが、繊細なピアノ弾き語りを聴かせてくれた。彼のその演奏する横顔が思いだされた。風景がどんどん彼の顔に変わっていく。どうして自殺したんだ。

重い心を引き摺りながら歩いた。アスファルトをずりずりと擦っている音だ。あのトラックのように何かをかませば、少しでも上に浮いてくれるのか。それが一体なんなのか分からない。ぼんやり歩いていたら街中の小学校に出た。薄汚れたフェンスの向こうに大きな校庭と灰色の校舎が建っていた。ジャングルジム。ジャングルジムはどこだろう。わたしの脳は意志に関係なく目に命令し、そして探しだした。その細い棒で組み合わされた建造物は、生き物のように立ち、陽の光に輝いて、黙ってこっちをみていた。全身の力が抜け、足が震えた気がした。手を握り締めた。涙は落ちなかったが、地面には音をたてて水銀のようなものがぱらぱらと散らばり、消えて行った。

宮崎空港で落ち合うと、わたしとS夫妻はある方向へ歩き出した。大通りを横切り、川を渡り、田畑の広がる畦道を歩いた。日曜日の昼ごろはどこも同じような時間が流れるものなのだろうか。ひとことふたこと言葉を交わしながら歩いた。
「この道をあるいたのかな」「そうかも知れないね」「どんな気持ちだったのか」「わからんわね」名古屋弁の彼の声が懐かしく響く。わたしたちは名古屋で知り合った。数年間ある劇団で同じ舞台に立って、面白可笑しくやっていたのだ。みな就職で舞台から遠ざかり、それぞれに分かれて行った。Hは医者、Sは実家経営の会社に、わたしは裏方へ。それぞれ違う道であるが、この畦道を歩いているようなものだと漠然と思った。

誰もいない小学校へ入った。違法なことかも知れないが構わず門を潜り、グランドへ向かい、片隅にあったジャングルジムへ3人は歩いた。頭の中は真っ白だった。無言で立ち竦む。目を閉じる。銀色のキューブに問いかける。風が静かに肩を叩き、いろいろあるのさと言う。Sの奥さんが線香に火をつけた。風が火を消さないように体を寄せ合ったとき、みな冷たくなっていた。煙は細々と流れ、消えていく。束を分け合って、ジムの前の地面に立てようとしたが、硬くてなかなか刺さらない。せめて茶椀と白いご飯でもあればお箸を刺すようにできるのにな。結局、ジムの根元のコンクリートの上に置いて、手を合わせた。ここで、白いロープで首をくくったHを思い浮かべた。

わたしたちは暫くおもいおもいにあてどなく歩き、振り返り、空を見上げ、目を閉じ、溜息をし、唾を飲み込み、風に肩を叩かれ、また振り返り、重力を感じ、地球を感じ、生命を感じ、鉄の棒の冷たさを感じ、白いロープの柔らかさと硬さを感じ、息苦しさを感じ、なにかが止まるのを感じた。それぞれ、感じながら、小学校を後にした。

彼らは車で鳥栖に帰って行った。わたしは宮崎の宿泊先へ歩いて行った。どれくらいかけて歩いたかはもうすっかり忘れてしまった。もう20年も前の話になった。  (了)
作品名:眼鏡橋、あの日の 作家名:佐崎 三郎