万の葉の煌き
Ⅰ
チョークが飛んでこようが
ゲンコツが落ちてこようが
眠いものは眠い
教壇から届く声は
しだいに消えていき
酸素の足りない魚の様に
先生の口だけがパクパクと動く
教室の隅で睡魔に襲われて
私の頭は垂れていく
かろうじて耳に残ったのは
迷い込んだ蜂の羽音と
語尾が消えていく先生の言葉
「今は何の役にもたたないけれど・・・」
過ぎ去った話など
何の役にたつの?
今さらなぞったところで
何が学べるの?
遠い昔の
知らない人の喜怒哀楽など
活字の化石かミイラ同然
役に立たない話など
たいくつな講義など
寝るに限ります
ねぇ、本田先生
目の前の夢と可能性にかすんで
古い言葉は枯れ枝の山に見えた
歳月の陰で色あせていく運命の
二度と生命を吹き込まれない運命の
時の忘れ物に
Ⅱ
気配に目を覚ます
耳に入るのは
時を刻む音と
遠くで電車が走る音
目を凝らせば
かすかな光を反射して
本棚のあたりから
どこ、どこ
どの本?
取り出して、しまって
取り出して、しまって
一冊の本にいき当たる
騒ぎはここで起こっている!
角がすり切れて
薄汚れた一冊の本
セピア色のぺージを繰れば
カビの胞子が舞い上がりそうな本
はるか昔を閉じ込めた本から
茶色の花びらがハラリと落ちる
この花びらは何色だったのか?
花びらの色を思い出そうとして
気を抜いたのがいけなかった
中庭に咲いた色とりどりのバラの花が
一瞬にして甦る
鮮やかに
もろもろの記憶とともに
もろもろの言葉とともに
Ⅲ
化石の様な
ミイラの様な言葉達が
時空のむこうからなだれ込む
絶滅したかに思えたシーラカンスが
目の前で突然泳ぎ始めた様に
モノクロの静止画像が
突然色づいて動き始めた様に
生き生きと
立体的に
万の葉がそよぎ
万の葉が煌く
祈りが、喜びが、悲しみが、怒りが
ゆらゆらと立ちのぼり
すすり泣きが、ささやきが、歓声が、怒声が
地鳴りの様に近づいてくる
熱気の渦があたりを飲み込み
時の壁を突破する
化石は色彩をとり戻し
ミイラはむっくり起き上がる
不思議な歌集
「万葉集」
Ⅳ
耳に残った蜂の羽音と
先生の声は
今でも時々甦る
「今は何の役にもたたないけれど・・・」
春が来て
蜂が飛び始めると
私達はあの教室に舞い戻る
そして
あの言葉を噛みしめる
若気の至りの居眠りも
罰当たりな屁理屈も
先生はすっかりお見通し
それどころか
ずっとずっと先までも
先生はこんなに遠い将来に
素敵なワナをしかけられていたのですね
見事にはまった私達は
その巧みさに驚くばかり
いく千万年の彼方までも見わたせそうな
そんな春が過ぎていく
言葉は生き続けるだろうか