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佐崎 三郎
佐崎 三郎
novelistID. 27916
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さかさな金魚

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『さかさな金魚』


ぼくは「さかさな金魚」です。ちょっと聞きなれない感じだと思うけど。だってこんな使い方しないもの。ふつうだったら「さかさま」っていうところを「さかさな」って言ってるんだ。漢字で書けば「逆さな」ってこと。つまり「逆さま」。わかってると思うけど、念のためね。「さかさな」って言おうと思ったのは、一応金魚って魚じゃないですか。だから「さかさな」という言葉のなかに「さかな」って音を入れたかった。まあそれだけと言えばそれだけなんだけど。でもなかなかいいんじゃない。自分でいうのもなんだけど。

それで、ぼくの話をしようと思うんだ。大した話ではないんだけど、ちょっといいかなって。ぼくにもそういう気持ちになることもある。ふつうの金魚は知らないけれど。こうして言葉を理解し、考えたり、つまり意志表示できるのも「さかさな」のお蔭なんだ。ある特殊な方法でぼくは人間並みに存在している。そういうことになるかも。偉そうに言う訳ではないんだ。たまたま、そうたまたまそういうことになった。そういうことなんだ。

この家に(家といってもふつうの家ではなく、家賃が2万もしない、オンボロアパートの一室)来たのは、いまからもう6年も経つのかな。ここの主(かつては女性が一人で住んでいたんだけど、途中から男の人も住みだして、いわゆる同棲してるわけ。だからそういう意味では女性のほうが主かな)が、ここから歩いて10分ぐらいにあるペットショップでぼくともう一匹を買ってきて、飼い始めた。その頃は「さかさな」ではなかったので、ここまで器用に伝えることはできなかった。ぼくたちはただ鑑賞用にいるだけ。餌もまあ適度にもらえたし、水もこまめに替えてくれたので、こうして長生きしてるのかな。

いままでに何匹かは増えたり減ったりという環境で、決して餌や水だけの問題ではなく、ぼくたちの出生の秘密があり、強い身体で生まれたか、弱い身体で生まれたかでやっぱり違うと思う。環境ストレスとどう付き合い、どう解消していくか。先天的なものとそういう後天的なものとのバランスっていうのかな、強靭な肉体を作り上げるってわけにもいかないから、どうやって順応するか、そういうことだと思う。

それに負けた仲間は数匹だったけど、みなどこかしら欠陥があったみたい。たいがい、ぼくたちみたいな50円ぐらいで売られている金魚は、「餌」として生まれた運命なので、たまたま万が一に「商品」に選ばれ、掬われ、まさに救われたのだ。大きな水色の盥に入れられ、水の中でただただ泳ぎ、たまたま目に留まった人に掬われ、小さな水槽、あるいは大きな生け簀に入れられて、生を全うする。たまたまそういうこと。それが生きる道ということだ。

楽なようだけど楽じゃない。それなりに悩みの種はある。だけどどうすることもできないというのが本音っていうことか。ぼくは、ほんとうに救われたと思う。主はとてもやさしいし、気を使ってくれる。生活はほそぼそとしてるけど、「役者」っていう、夢をみさせることをやってるようだ。よくわかってないけれどね。いろんな人が話しているのを聞くとまあよく言えばそういうことだと思う。あまり悪くも言いたくないし。そう、そんな日々が大きく変わったんだ、ある日ある時。

それは6月の梅雨時のことだ。同棲していた二人は結局めでたく結ばれて、このアパートを出ることにした。そう引っ越しである。思ってもみなかったけど、特別なことでもないのだ。なにやらぼくらのこと(言い忘れたけど、ぼくの他にもう一匹いた。彼はうまく生き延びて、もう3年ぐらいたった)をいろいろ話し合っていたようだけど、ちゃんと一緒に連れて行ってくれることになって、ほっとしたし嬉しかった。

水槽に入ったまま、トラックの助手席の主の膝の上に載せられて、小さな旅を経験した。これも長生きしたお蔭だ。ぼくらは目と目で微かな意志の疎通をし、お互いに笑った。笑ったように感じたっていうのがほんとうだけど。まだ「さかさな」じゃなかったからね。

それからしばらく経ったある日、新しい友がやってきた。それは珍客だった。金魚ではなく鮒だったのだ。鮒というのは噂でしか知らなかったので、実際目の前にしたときは、瞬きもできずにただ見つめるしかなかった、みたいな状態だったのを覚えている。そしてまた月日は巡り、陽は上り陽が沈んでいった。

それがつい昨日のことだ。なにか異常を感じて目が覚めた。(そうだよ、魚だって眠るのだよ)。あれ、風景が変わっている。どうしたのだ、なにが起きたのだと思ったら、目の前にいた鮒が逆さに見えた。おい、どうしたのだ、そういう芸当も鮒さんという種類はできるのだ。と解釈したが、どうもやはり変だ。呼吸もすこしだけだけど苦しい。このいつもと違う感はなんだ。身体もぎごちないし。重いものを運んでいるかのような感覚。水槽のガラスに映る己を見た時、パクっと口を開けたまま固まってしまった。逆さまじゃないのか、ぼく。よく見るとすべて逆さまだ。頭の上に砂利があり、偽物の藻は上から生えている。おい、いったいどういうことだ。

ぼくは冷静に考えた。考えられるってことにも驚いたが、ひとつひとつ回想しつつ、このいまの現実を見つめた。逆さまだ。逆さまになっている。だけどこうして生きている。泳いでいる。餌もなんとか食べられる。理由はおのずと分かった。何が変わっていたかは一目瞭然だ。鮒だ。鮒の存在だ。あいつがやって来て、知らぬ間にわたしはストレスを感じ、何かが冒され、バランスを崩したのだ。まさにバランスを!これでぼくはどうなるのだろ?うまく生きていけるのか?

主たちも希有なものを見る目でわたしを見る。それはそうだ。背びれが胸鰭で、白い腹が上になって、つるんとした島のようだ。6年も経つと身体も大きくなり、見た目は金魚に見えないようになっていた。いうなれば赤い鮒だった。まさか、ぼくは鮒?そんな妄想のなか、いまもぼくは生きている。世の中ってほどでもないけれど、大袈裟に言えば世界を逆さまに眺めていると、なにかすべてがひっくり返り、いままで成り立っていた関係がすべて逆転し、錯覚のなかに放り込まれたような感覚で日々過ごしている。例えるのが難しいが、オランダの画家エッシャーのだまし絵のようだ。下に流れるべき水が上へと流れてゆく。登っていたはずの階段がいつのまにか降りゆく階段に代わっている。現代風に言えば、上りエスカレーターに載っていたはずなのに、気が付けば降りている。視覚の魔法の中の住人のような気分というのか。ぼくは自問自答を繰り返しながら、人生、いや、魚生のバランスと闘い、生命をまっとうしようと思う。頭に血が上ることにも慣れてきた。主夫妻の顔も逆さでも識別できるようになった。呼吸も無理せずに楽にできる。なにも問題はないかのようだ。しかし、ぼくをこんな身体にしたあの灰色の鮒を見る度に、自分の鱗に虫唾が走り、鰓の動きも乱れるのが分かる。修行が足りないなと思う。もうすぐ7年目に入る。もう寿命なのか、この気の持ちようは。

ぼくは「さかさな金魚」です。まだまだ悟りへの境地にはなれませんが、生きてます。
作品名:さかさな金魚 作家名:佐崎 三郎