桜
私の傍で死にたいと、男は言った。
「それも満月の夜がいい」と。
男は坊主だった。
もとは出世を約束された上級武士だったらしい。
だが、妻も子供も捨てて修行の道に入った。
その際すがる子供を振りほどいたという噂は、ここまで届いた。
どんな非道な男かと思えば。
想像に反して立ち居振る舞いの美しい男だった。
坊主になった今も女にはもてるというのも頷ける。
坊主のくせに色気がありすぎるのだ、この男は。
男は歌が好きだった。
自然や風や私のことをよく歌った。
男の作る歌は、とても素直で美しいと私は感じる。
「最期にそれを実現出来たら。私の人生はきっといいものだった」
うっとりとした目で男は私の体をなでた。
その指は宝物に触れるような優しさで。
男に触れられることが私は好きだった。
そうして男は、さっき言ったことを歌にして詠んだ。
願はくは
花のもとにて
春死なん
その如月の
望月の頃
夢見がちな男だと思った。
でもそういうのは、嫌いじゃない。
それから何十年も会わなかった男は、ひょっこりと私の前に現れた。
老いた男は私のそばに庵を結んだ。
そうして数年後、私の下で、静かに息を引き取った。
奇しくも春。
満月の夜。
私が最も美しく咲き誇る季節であった。