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藤森 シン
藤森 シン
novelistID. 36784
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仏葬花

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第二話 ウィーケスト・リンク




もう、自分には何も無いと思う。一体、なぜ、この世に産まれたのか。
どういうつもりで人は子供を作るのか、そればかり考える。
自分が死んだあとのことを誰が考えている?この世界を見ればわかるではないか。自分が生きている間のことしか考えていない。なのに、なぜ。
そうまでして子孫を残そうとする。それはもう、自分ではないのに。
こんな人間に育つということを想定できなかったのか不思議だ。住んでいる家の規模と子供の数が合わないのに似ている。あらゆる可能性を考えて作るべきではないのか。どんなに心の優しい人間たちに囲まれていようと、自分みたいな人間は生まれる。
人は本来、そういう風に出来ている。
優しければそれだけ強く、真逆へ。確固として。
自覚している。とても冷静だ。惨めな姿を俯瞰で見る。
この世に善人などいない。悪を知っているからこそ善人になれる。
すべてに優しい、すべてに興味がない。どちらも同じ平坦だ。突き出た特別が無い。ちょっとへこんだそれは、暗ではないのか?暗を知っているからこそ、優しさがわかる。いつしかその仮面に支配され、暗を無意識に処理できるようになるだけだ。
弱い人間は、装うか、負けるか。
私は、従うとしよう。


まったく、馬鹿みたいに人、人、人。ついでに犬、犬、犬、犬。
一体、動物にいくらかけているのだ?どれだけ裕福なのだ?だったらその資金をくれ、まったく。
昼下がりの公園。敷地はとても広い。盛り上がった丸い芝生、その円周の道。それに沿って並んだ長椅子。散歩や運動、通勤の通り道にして、暗くなるまで、とにかく人が多い。
ここは散歩経路の一つにしている。一日一回は外に出るようにしている。毎日同じ時間に同じことをすれば、色々都合が悪いので少しずつずらす。部屋の中にいても腐るだけだ。電気がないことに初めて感謝する。しかし、無駄に熱量ばかり摂取してしまう。不思議と、体を動かすと食欲が抑制される気がする。室内では筋肉強化、外では長距離を走る。とても健康ではないか。
銀行の残高の数値を思い出す。気が重くなった。忘れろ、いや、忘れてはいけない。落ち込んではいけないが楽観もだめだろう。馬鹿か。まだ、もう少しは大丈夫だ。しかし、大丈夫な時期に手を打っておかねば、本当の窮地に追い込まれる。
恐ろしい世の中に生まれたものだ。何の関係もない次世代に、皺寄せがくるなんて理不尽だ。それを想定していなかったのか?死んでしまえば関係ないもんな、いい気なものだ。私も、早く死にたい。自分で死ねたらどんなに良かっただろう。死を理解する頭脳、ノス・フォールンめ、進化に拍車をかけやがって。いや、痛覚をなくせばいいのか。しかし、どうやって・・・。
くっそ、あの女、ぶつかりやがって。一人前に剣なんて持ちやがって。こら、それをよこせ!売って金にしてやる!と思ったら顔はまずまず、整っているほうだ。目つきがきついが笑うとそうでもないな。
こういうやつって、自覚しているのだろうな。まあ、使えるもんは使ったほうがいいと私も思う。女は武器が多くて羨ましい。騙されるほうが悪い。
お、謝った。仕方ねえな。

彼女は気が緩んでいると、自覚する。
腰に差してある剣の先が人に当たってしまった。とんでもない失態。
シヨウは社会の自分の立ち位置を、とても礼儀正しい人間、と設定している。そうしたほうが何かと便利だし、簡単だからだ。
たまに気が緩むのは当り前。人の最高の状態を維持し続けるのは不可能だし、たまに笑顔や優しさを装い、弱さを見せておく。この頃はもう、どちらが本当の性分か区別がつかなくなっているが、しかし、どちらでもよくなっていることも確かだ。
彼女はとても気が短い。自分に非が無ければ、理論と理屈と正論を使って、相手を押し黙らせる方法をつい考えてしまう。しかし、それを自覚しているからこそ、感情を抑えることが出来る。そこへ自分が到達しないようにすれば良い。許すという感情のコントロールはまだ苦手だった。
不思議な踏み心地の地面だった。その道を樹が囲む。木々の間に階段がある。それを下りると公園が広がる。物体の運動によって動く振り子に乗る遊戯、傾斜を滑り降りる遊戯、その着地点は砂が盛られている。電気があった時代に使われていた乗り物の、ゴム製の部分を組み立て、吊り下げたものもある。鉄を使ったものはどれも錆びている。そこを抜けるとこの公園一帯を囲む道路。そこに沿って植えられた樹。冬が終わり、暖かくなると花が咲く。
葉よりも花が先に芽吹く樹だ。
彼女にはそれが怖い現象に思える。
今は青々とした葉だけが生い茂っているが、幹を見ればその種だとわかる。花が咲くのは春だけ。しかも十日足らず。葉を付けている期間のほうがずっと長い。冬になる前に葉をすべて落とし、春になるのを待つ。枝と、幹だけ。その状態で雪や低温をやり過ごす。晴天の下に花を付けた姿が雄大だからか、短期間しか見ることができないからか、その季節だけ樹の下に集まったり、記録に残すために出向く人もいる。なんとも不思議な現象だ。葉を付けた姿には誰も目もくれない。ずっと多くの期間を見ているのに。だからだとも言えるが。
儚いことに美徳を感じる人間がいる。それは、人が有限の生き物だからか、この星も有限だからか。しかし、今生きている人間はその終焉に立ち合うことはない。
人は自分に関係のない話を、自分のことのように思うことができる。今の自分との不幸の度合いを比べ、心配し、その心があることを確認。次の瞬間に晩ご飯のおかずを考える。
それが普通。普通の人間だ。
道路の並木道を横断し、橋を渡る。橋の手摺が手頃な高さで、下を覗くと水の流れが見えた。水位は低い。落ちても溺死は無理だろう。
橋を越え、橋に沿った道を歩く。公園を対岸に見ながら歩く砂利道。石の感触が靴越しに伝わる。シヨウは足の裏に神経を集中させる。目が覚めるような感覚。今まで眠っていたのではないかという神経。気をつけて歩かなくては足を捻る。
そういった危うさを現代の人間はわかるのだろうか。舗装された平坦な道を歩く。何も考えなくてもいい。とりあえずは転ばない。そういう道しか知らない人間や犬さえ存在する。それは、幸せなことなのか。
風が吹く。民家の横の斜面に植えられた樹の葉の擦れる音が響く。近くの住民は日常的に聴いている音だろう。その音に耳を傾ける。前髪は翻り、後ろ髪もあちらこちらに飛ぶ。シヨウは樹を見上げた。
次に河の向こうを見る。星の自転に動きたくても動けない、雲が風の方向に大きく広がっている。その向こうに落ちかける陽。雲の間から漏れる、地表を長く走る波長。風の音しかしない。後ろには樹。運動着を着た男性が遠くから走ってくる。シヨウは息を吐いた。
男性が走り去る。もう一度樹を見上げる。
青い空だったら良かったのに、と思う。



誰にも迷惑はかけたくはない。それくらいは弁えている。
普通の人よりも死について考えていたと思う。
作品名:仏葬花 作家名:藤森 シン