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比翼連理=Fobidden Fruit=

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2.惑いの樹海



「―――・・・カ。シャカ」
 ひやりと冷たい感触を額に感じ、虚ろに瞳を開ける。視線の先には濃紺の天鵞絨で誂えた法衣を纏ったハーデスが、冬の木漏れ日のような瞳で見下ろしていた。
「ハーデス......」
 瞳が捕らえた姿にホッと胸を撫で下ろし、柔らかに滑る冷たい指先の感触に目覚め始めた触覚が後を追う。
「具合が優れぬようだが...大丈夫か?」
 労わる様な声に苦笑を浮かべたシャカはゆっくりと身体を起こす。その背を支えるようにハーデスの手が添えられた。酩酊にも似た不快な浮遊感に僅かに眉根を寄せたが取り繕うように軽く笑んでみせる。
「大丈夫だ......少し厭な夢を見ただけだ」
 背中に当てられたハーデスの手に仄かな温もりを感じながら、つくづくこの男は......と思う。
 勘違いをしてしまいそうだった。その深い愛情が自分に向けられているのだと。いや、傍からみれば、冥王は『私』を愛しているようにしか映らないだろう。
 でも、それは......違うのだと己を諌める。
 きっとこんなふうに不安定に揺れ動く心が、悪夢となって現われ、己を苛むのだろうと思った。

 ―――厭な夢をみた。

 だが、それが悪夢であったとは認識しているものの細部に渡っての記憶は混乱し、また目覚めと同時に少しずつ霧の彼方へと消えていった。まるで、貘が悪夢を喰らうかのように掻き消えていったのだ。
「―――何を心曇らせている?」
 そっとハーデスに引き寄せられ、その腕の中に抱かれる。仄かに鼻腔をくすぐる甘い香り。法衣に焚き染められているのだろう。
「いらぬことばかり考えては答えが見つからずに悩み続ける。おまえが気に留めることではないような些細なことばかり......」
「そうは見えぬ。申してみよ。余が答えられるものもあるであろう」
 その答えが恐いのだ...そう思いながらも、シャカは口にはせず言葉を濁すように別のことを尋ねる。
「―――ニュサには行けないのか?」
 地上と冥界の境ともいえるニュサはエリシオン同様、別次元にあることは知っていた。そこは美しい花々が咲く冥界において『生』を感じさせる場所。穏やかな気に満ちたニュサはシャカにとっても安らげる場所だと思ったのだ。
「あそこはおまえにとっての聖地。不慣れな此処ではなく、あの場所で過ごすことがおまえにとっても良いことだとはわかっているのだが......僅かばかり懸念が残っておるのだ。しばらくはここで過ごすことになるであろう。我慢できるか?」
 流れる髪に指を挿し入れ、絡まる事無く滑るのを楽しむようにハーデスはシャカの髪を何度か梳いた。
「懸念?そういうことならば...仕方がない。諦めるしかあるまい。だが、その分おまえが私の傍にいてくれ。おまえがいれば、感じる負担は軽くなるから」
 そう答えると、ハーデスはシャカの髪を玩ぶ指を止め、驚いたような困ったような、それでいて嬉しそうな何とも複雑な表情をした。
「―――どうした?」
 思わず、そんなふうに聞き返してしまうほどだ。
「いや...なるほど。そういうことか......」
 己自身に言い聞かすかのように呟きながら、ハーデスは僅かに頬を緩めた。どうやら喜んでいるようだ。
「ラダマンティスがよくパンドラに難問を突きつけられて、難しい顔をして頭を抱えていることがあったのだが。不思議とどこか嬉しそうな気を発している理由が、余にはわからなかったのだ。それが今わかった気がしたのだ。―――なるべく、おまえの傍にいよう」
 小さな喜びを噛み締めているようなそんなハーデスの柔らかな笑みに気恥ずかしくなる。理由はどうであれ、ハーデスに傍にいて欲しいと望んだ事実に気付いて、かっと顔を熱くした。
「わ...たしは......!大体、ここの結界が強すぎるのが悪いのだ。もう少し緩めてくれれば...私とて耐えられる」
 意地を張るようにハーデスの手から身を捩るがグッと抱きすくめられて、そのまま寝台に押し倒された。上からあどけないともいえる表情を浮かべながら覗き込むハーデスの瞳に見つめられて、益々顔も身体も火照った。


作品名:比翼連理=Fobidden Fruit= 作家名:千珠