ナマステ!~インド放浪記
会社から、インドへ行って、納めるシステムの仕様をまとめて来いとの社命を受
けました。初めての海外出張でインドって・・・
どうなるか、想像すら出来ません。当時30歳、この業界ではまだまだ駆け出し
の若造です。一緒に行ってくれるのは、先輩のゴリさん。この方、海外の仕事を
多くこなし、ベテランでありました。面白いことに、日本語以外、全く話す事が
できません。それでも、ちゃんと仕事をこなしています。
(どうやってやっているんだろう。)
と、いつも不思議に感じていました。
今後、この人の底力を思い知ることになるのですが・・・
今回、英語が少々使える私は、彼の仕事の通訳として同行せよとのお達しでした。
ゴリさん(当然、仮名です。)曰く、
「インド人との交渉は、英語が出来ないと大変なことになる。
今回の仕様調整は直接交渉になるのでよろしく頼む。」
最初から、かなりハードルが高い。
この先輩のゴリさんですが、親会社がスポーツ(柔道)で採用した人で、最初は
工場のオペレータをしていました。不況の折、職種転換教育を受けて、今私のい
る会社の職場に出向してきた人です。柔道で国体まで行った人ですから、体格も
良く、こわもてで、ちょっととっつきづらい人でしたが、実はとても面倒見が良
く、頭も良くてユーモアもあり、とても信頼できる人物でした。
そんな先輩から、私は今後海外の仕事をこなして行く上での、心構え、身の処し
方、リスクマネージメントについて多くを学ばせていただきました。私は現在で
は、営業部門の海外専門と技術部門のマネージメントを兼務する立場にあります
が、その両方の礎を築く上で本当に重要な存在でありました。
現在彼は、会社を離れ、独立してシステム会社を起業し、社長さんとなっていま
す。今も彼とは一緒に仕事をする仲であります。
現地の工場に入ることもあり、召喚状をもらって、ビザ申請をしました。ビザは、
郵送にて受け取ることもできましたが、なんやらかんやらで準備がおくれまして、
直接大使館で受け取ってから、その足で渡印するというスケジュールとなりまし
た。インド大使館は当時東京・九段下にありましたが、現在は四谷の方に移転し
た様です。我々の本社は北海道ですから、一度東京に行き、ビザをもらって一泊
してからの出発です。
早めに東京に着いた私達は、時間があるということで両国へ行き、新しく出来た
両国国技館を見物し、ついでにちゃんこ鍋でも食べようという事になりました。
折りしも、若貴ブームで相撲人気が最高潮に達していた時期でもありました。
両国駅に着くと、駅舎の壁には額縁にいれられた歴代の横綱の大きな写真が飾ら
れていて、相撲の本場に着たんだなという実感がわきました。まだ大銀杏も結え
ない若手がぞろぞろと通りすぎて行きます。
私達とすれ違う時、彼らは必ず先輩のゴリさんに向かって、「ウッス」と頭を下
げて行きました。ゴリさんも間髪をいれず、当たり前の様に「ウッス」と会釈を
返します。
「ゴリさん、お知り合いですか。」
と聞くと、
「いいや、知らない、俺も何で挨拶されるのか全然わからん。」
と首を傾げていました。
ゴリさんの顔をまじまじと見ると、耳が柔道の時にできた練習ダコでパンパンに
膨れていました。すれ違う若手のお相撲さんの耳とおんなじです。
(これか!!)
きっとお相撲さん達は、スーツ姿で平日にこの界隈をうろつく、耳に練習ダコの
出来たゴリさんを見て、相撲協会関係者と勘違いしたのでしょう。それにしても、
すれ違うお相撲さんに、次から次えと挨拶されながら、国技館へと向かう道中は
とても気持ちの良いものだったことを覚えています。さながら私は、かばん持ち
の秘書か何かに見えていた事でしょう。
一通り、国技館を見物し、昼時になったので、ちゃんこ鍋でも食べましょうとい
うことになりました。駅前通りには、ちゃんこ屋さんの看板が多く立ち並んでお
りましたので、一番大きな「横綱」という看板が出ているちゃんこ屋さんに入り
ました。
入り口を入った途端。「いらっしゃい。いつもお世話になっております。」と下
へも置かぬもてなしです。ここでも関係者と間違われているようです。調子に乗
ってきたゴリさんは、注文の際、「いつもの鳥ちゃんこ。」と「いつもの」とい
うフレーズを付けて、初めて食する「ちゃんこ鍋」を頼みました。
これが不幸の始まりでした・・・
「はい。」と何の疑問も持たない様子で、太った相撲くずれの若いウエイター
(?)は厨房に入って行きました。それから数分後、私達のテーブルに置かれた
のは、絶対に2人前じゃないという量のちゃんこ鍋。びっくりして伝票をみまし
たが、書いてあるのは鳥ちゃんこ2人前ポッキリ。他の、お客さんの食べている
鍋とは明らかに大きさの違うキングサイズなのでした。「いつもの」という呪文
には、鍋のサイズを巨大化する、おそろしい呪いが込められていたのでした。
「先輩、どうしましょう。」
私が言うと、ゴリさんは、
「とりあえず、食おう。」
それからは、2人、この鍋を完食するために悪戦苦闘しました。頼んだ手前、残
す訳には行きません。「いつも」食べていることになっているのですから・・・
腹がきつくなったゴリさんは突然、先輩風を吹かせ。
「お前、若いんだから、食え食え。」
と、私のお皿に次から次へと、具材を放り込みます。
(ヒー!)
心の中で、悲鳴をあげながら、格闘する私でした。
やっとの事で、全てを平らげ、さぁ、とっとと帰ってビザを取りに行こうと腰を
浮かせかけたその時・・・
さっきのウエイターがニコニコしながら大盛りのご飯と生卵を持ってやってきま
した。
(ま、まさか!)
そう、そのまさかです。
鍋物の締めといえば、そう、おじやです!!
(ヒー!!!)
呪いの呪文はその呪力を衰えさせていませんでした。
ちゃんこ屋で思わぬ足止めを食らった私達は、急いでインド大使館に向かいまし
た。窓口締め切りの16:00にギリギリの時間です。膨らんだ腹をさすりなが
ら、冷あせと油あせにまみれ、走りに走った九段下。ちゃんこ食って、飛行機に
乗れなかったら、会社に何を言われるか分かりません。大使館について、窓口へ
行くと、既にカーテンが掛かっていました。
・・・ああ、私の全てが終わった。
と思った瞬間、何を思ったが、ゴリさんはそのカーテンの掛かった窓を「ドンドン」
と叩き始めました。すると、しばらくして、「シャー」とカーテンが空き、おば
さんが、「どうしました?」と聞いてきました。
(しめた!!)
事情をはなし、無事、ビザを受け取ることが出来ました。事情といっても、ちゃん
こ食って遅れたとは言いませんでしたが・・・・
なんだかんだとありましたが、とりあえず予定の任務を完了し、前泊のホテル、
成田エアポートレストハウスに行き、チェックイン。
その日は、胃が持たれ、全然寝れませんでした。
「俺の胃、インドで壊れるんじゃねーか?」
最悪のコンディションでインドへ向かう私達でした。
作品名:ナマステ!~インド放浪記 作家名:ohmysky