ナマステ!~インド放浪記
ホテルの前には、ボロボロの黄色いタクシーが数台スタンバっていました。その
1台のドアを開け、ゴリさんが念入りに「おしりナップ」で座席を拭いているの
を見ていました。顔に似合わず、相当な潔癖症です。カルカッタ駅に向かうタク
シーの中で、ベンガルさんがゴリさんと私に
「はい、これ。」
と紙切れを渡しました。
その紙切れには、英語でなにやら書いていますが、印刷がとても薄いため、読み
取れませんでした。
「これは何ですか?」
と私が聞くと、
「ジャムシェドプルまでの特急のチケットです。昨日、買ってきておきました。」
と言いました。
どう見ても、ヨレヨレの買い物レシートにしか見えません。こんな物で、本当に
列車に乗れるのだろうかと心配になりました。それを察してか、
「まぁ、無くても乗れるんですけどね。列車ごとに張り紙がしてあって、そこに
席ごとの予約者が張り出されているんです。そこに座ればOKなんで。」
と説明してくれました。
「当日にならないと、どこのホームに列車が着くか、何番の列車の何番の座席に
座ればいいかなど、分からんのだ。まぁ、行き当たりばったりというお国柄だっ
て事だ。覚えとけ。」
とゴリさん。
(はいはい、覚えることが一杯でございます。)
駅に近づくにつれ、まばらだった人通りもどんどん賑わいを増して行きました。
信号で車が止まる度に、ボロボロの服を着た子供たちがやってきます。窓ガラス
をコツコツと叩き、「マネー、マネー」「1ルピー、1ルピー」と手を出すので
す。ポケットに丁度小銭があったので、それをあげようと窓を開けるハンドルに
手をかけた時、
「やめとけ。」
ボソっとゴリさんが言いました。
「一回出したら、どんどん集まってきて収拾つかなくなるぞ。ほれ、あのタクシ
ーを見てみろ。」
ゴリさんが指差す先を見ると、10人ほどの乞食に囲まれ、恐怖におののくヨー
ロッパ系外国人を乗せたタクシーがクラクションを鳴らしながら交差点を右折し
ようと苦戦しているのが見えました。
「僕はねぇ、この国には乞食労働組合があるんではなかろうかと思っているんで
すよ。これも観光の風物詩で、良く見る光景です。まぁ、みんなたくましく生き
てますわ。」
ベンガルさんがその光景を見ながらそう言いました。
私は、ポケットの中の小銭を握り締め、屈託無く笑いながらタクシーとタクシー
の間を走り回る子供たちを、家で帰りを待つ同じ年頃の娘に思いを馳せながら、
ただただ見つめておりました。
「撤廃されたとはいえ、この国にはまだまだカースト制度の残骸が残っている。
靴磨きの親の子は靴磨き、乞食の親の子は乞食のままだ。どんなに優秀でも、そ
れを超えることは難しい。それがインドだ。」
ゴリさんが昨日、なんちゃってベンツの中で私に言ったこの言葉が当時の私の心
に悲しく焼き付いておりました。今のインドは、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長し、
優秀な子には教育を施して特にITの分野では、日本を凌ぐ程の優秀な人材を多く
輩出するIT大国として世界にその名を轟かせる程になりました。本当に良かった!
机の引き出しに眠る、ボロボロのルピー紙幣を見る度、そう思わずには居られま
せん。
さて、画して私達を乗せたタクシーはインド国鉄のカルカッタ駅に到着しました。
車のドアを開けると、10人程の赤いターバンを巻いた男たちが私達を取り囲み
ました。
「お前とお前とお前。」
ベンガルさんが、彼らから3人を選択し、荷物を託して駅の構内へと向かいます。
もうお分かりですね? そう、赤いターバンを巻いた彼らはポーターさん達です。
インドはいつも手ぶらで本当に楽な国です。
エジプトに旅立ったベンガルさんの荷物は結局この日、戻って来ず、書類を入れ
た小さなバッグ1個でジャムシェドプルまで移動する羽目になったベンガルさん
ですが、ゴリさんが空港で買った使い捨ての紙Tシャツと紙パンツを分けてもら
い、大層喜んでおりました。さすがゴリさん。用意周到です。
この日の気温は43℃、うだる様な気候です。北海道から来た私とゴリさんにと
っては、まるで低温サウナに入っているようなものです。ホームに出るとアスフ
ァルトの照り返しが相当きつく、体感温度は50℃を超えます。そんな中、ちょ
っとした木陰で昼寝をしている乞食の人たちを見るにつけ、
(本当にたくましいなぁ。)
と思いました。
「ほれ、これ使え。」
ゴリさんが、私とベンガルさんに、日本の100円ショップで買ってきた扇子を
くれました。まったく、ゴリさんの鞄はまるでドラえもんの4次元ポケットの様
です。
3人のポーターを引き連れた私達一行は、私達の名前が記された張り紙のある列
車を探して歩きました。パタパタと扇ぐ扇子から流れる安物の香水の香り付きの
生暖かい風が一層暑さに拍車を掛けます。
(あー、早く涼みたい。)
「ほれ、これ飲め。」
またもや、ゴリさんの4次元ポケットから、ハーフサイズのミネラルウォーター
が3本出てきました。ホテルの冷蔵庫にサービスで入っていたものです。ゴクゴ
クゴク、ちょっとぬるいけどおいしい〜。
「ホテルのサービス品は持っていくのが鉄則だ。覚えとけ。」とゴリさん。
(はい、絶対に忘れません!!)
やっとのことで、特等席車両に私達の名前が記された張り紙を見つけることが出
来ました。特等席といっても、日本の新幹線の普通席より貧弱です。しかも、窓
ガラスにはひびが入っている始末。
(やれやれ。)
自分の席を見つけると、ポーターさんに上の棚に荷物を上げてもらい、10ルピ
ーを渡しました。どかっと席に倒れこみ、「ふーっ」と一息。クーラーが効いて
いて快適です。隣のゴリさんはまたもや「おしりナップ」で念入りに席を拭いて
いるのでした。
車内では、さまざまなもの、たとえばビール、ジュースなどの飲み物、雑誌、お
菓子、弁当(の様な物)を売り歩く売り子さんが回ってきます。私達はジュース
を購入し、とりあえず喉の渇きを癒しました。もう、昼近くになったのでちょっ
とお腹も空いた私は、弁当(の様な物)を売っている売り子さんを呼びとめ、物
色していると、
「やめとけ。」
またもやボソっとゴリさんが言いました。
「この席は食事付きだ。今食ったら食えなくなるぞ。」
(あー、そうなんだ。)
売り子さん達に混じって、小さな乞食の男の子が、柄の折れたほうきを手に持っ
て、回っています。ごみなど無い席の下を掃除して、お金を貰っている様です。
ゴリさんが、周りをきょろきょろと見回し、他に乞食がいない事を確認すると、
その男の子にお金をぱっと渡すのを目撃しました。私と目が合うと、ちょっとバ
ツ悪そうな顔をして、
「乞食に金をやるなとは言ってない。やるときは回りに他の乞食がいないのを確
認して、こっそり渡せ。覚えとけ。」
と言いました。
(はいはい、貴方のその優しさ、忘れはしません。)
さあ、これからジャムシェドプルまでの列車旅行が始まります。車窓からどんな
風景が見えるのか、車内食はどんな味がするのか、心弾みます。
作品名:ナマステ!~インド放浪記 作家名:ohmysky