夢の運び人13
月明かりすらない暗闇で、白い目が夢の運び人の行動を追う。
夢の運び人はその視線に気づいていない振りをしながら、ベッドで寝ている男に近づく。
男は二十代後半くらいで、茶色の髪に歳に似合わない可愛らしい顔が印象的だ。
夢の運び人が夢を男に入れようとする瞬間、運び人の腕を何者かが掴んだ。驚いた運び人は振りほどこうと力を込めるが、冷たい手の力は強い。
ぱっと手を放されて運び人は尻餅を着く。暗闇の中に浮かび上がった白い目と目が合った。
夢の運び人が目を丸くして怯えていると、白い目は冷やかな目で見つめて、暗闇へと消えていった。
夢の運び人は、しばらくそのまま固まって、久しぶりに冷や汗を感じた。
早く立ち去りたい、という一心で夢を茶髪の男に入れて窓から出ようと振り返る。
いきなりばん、と窓にか細い指の手形がいくつも現れた。思わず声にならない声を挙げる運び人。
窓から外に出る必要がない事にようやく気がついた運び人は、どこかに消えていった――
――ホストの仕事は感覚的には遊びだ。現に俺も仕事とは思っていない。友人に「仕事は?」と訊かれて、ホストなんて胸を張って答えれる物じゃない。
今日も俺は、そんな仕事なのか遊びなのか、自分でも踏ん切りのつかない接客をする。
自慢じゃないが、俺は指名率トップのホストだ。黙っていても金は入るし、女にも困らない。ほら、また指名が入った。
ざわつく店内を指定された席に向かって歩く。そこには、酒や軽いつまみが円いテーブルに置かれていた。
「どうもー。ウラキでーす」
いつもの調子で自分のここでの名前を言う。
客など気にせず隣に座った。別に気にする必要などない。話し掛けられたら返して、落ち込んでるようなら優しく話し掛けるだけでいい。簡単な作業だ。ただし、それらは相手の目を見て実行しなければならない。今回もそのようにした。
相手の目を見ようと向き直る。しかしその瞬間、俺は凍りついた。
目がなかったのだ。目玉が在るべき場所にぽっかりと暗い穴が空いている。余りの驚きに声など出ず、すぐに目をそらす。
俺は息を呑んで、目の前の女を上から下へ見る。目玉がないこと以外は金持ちのよくいる女だった。華やかで如何にもお嬢様を思わせる服。目が収まっていれば相当な美人であっただろう。
俺は女の右手薬指にはまった指輪に目が留まった。見覚えがある銀の指輪で、この女が何者なのか証明するのに十分だった。
「お、お前……」
震えた声が喉を通る。
「久しぶりね、ウラキ君。私の事、覚えているかしら?」
女の声は覚えていない訳がなかった。だってこの女は――
「殺した相手を覚えていない訳ないわよね。だって、あなたは優しい人だもの」
俺の顔が歪む。この歪みは後ろめたさだろうか。
「な、何で生きてるんだよ」
決して目は合わせない。この女と目が合ったら、その深い闇に飲み込まれてしまう気がしたからだ。
「……あの日、私は凄く幸せだった。ホストとしてのあなたじゃなくて、一人の人間としてあなたと一緒にいられると思ったもの」
女は懐かしむような口調で言う。
俺は瞼を閉じ、開く。ただの瞬きのはずが、開いた先にはあの場所が広がっていた。車が二、三時間に一台通るか通らないか、都心からかなり離れた一車線の道路だ。森に囲まれていて街灯はない。
しかし、全く見えない訳でもない。背後にある車のヘッドライトで俺の周りは照らされていた。
「は、早く埋めなきゃ……」
俺は振り返って車に駆け寄る。数歩の距離だというのに息が上がった。
後部座席のドアに手を掛けて止まる。なぜか目の前の黒い窓を凝視してしまった。
窓にか細い指がうっすらと浮ぶ。
彼女のだ。
その指は窓に何かを描き始めた。きゅ、きゅ、と窓を擦りながら何かを描いていく。俺はその指の動きを目で追っていく。どうやら文字のようだ。
やがてその文字は言葉となって俺の脳に入ってくる。
「助けて」
何度も脳内で連呼された。俺が頭を抱えるように耳を塞いでもその言葉は脳を響かせる。
助けて……助けて……
「止めろ……止めろ!」
俺は窓を力いっぱい叩いた。
がしゃん、と甲高い音がして車の窓が割れる。
俺は窓を割った勢いで車に上半身を突っ込んだ。
一瞬何が起きたのか分からず、とりあえず体制を直そうとする。
顔にひんやりとした冷たい感触。暗い後部座席から白い二つの腕が伸びて、俺の頬に冷たい手が触れていた。
突然その手に力が入り暗い後部座席に引き寄せられる。必至に車から離れようと抵抗するが、まるで力が入らなかった。
そうこうしていると、白い二つの腕の間から顔が浮かび上がる。
長く黒い髪、そして吸い込まれそうなぽっかりと穴の空いた目。俺がついさっき車の中で殺した女だ。
女の、本来目が納まっているはずの場所から赤い血が垂れていく。
顔はゆっくりと俺に近づいて耳元で言葉を発した。言葉は俺の脳に何人もの声が混ざったように響く。
大好きよ――
――男は掛け布団を蹴り上げ身を起こす。
寝起きとは思えないほど目を見開き、部屋を見渡した。
「夢……夢か」
大きく息を吐いて、安堵したように呟く。
「ちくしょう、変な汗かいちまった」
男は寝癖が酷い髪を掻きながらベッドから立ち、テレビを着けると朝のニュースを一通り確認する。男にとって重要なニュースは流れなかった。
表情には出さないが、男は心の奥でほくそ笑む。絶対に見つからない、と。
男は踵を返して洗面所に向かう。
洗面所の鏡には用はなかったのだが、横目で違和感を感じて足を止めた。
鏡の正面に立ちそこに映った自分の顔を見る。
男は目を丸くして驚愕すると同時に背筋に冷たいものが走るのを感じた。
整った顔の頬に手のひらの痕が二つ。まるで、顔を優しく包み込むような痕。
『大好き』
そんな声がした気がして、男は再びベッドに戻りうずくまる。
これから先、頬の痕が消える事はないと知りながら。