その先にあるもの。
小阪先輩は、唖然とした顔から再び、微笑んで、窓の外を寂しげに見つめた。
笑いながら後輩と写真をとる同級生達を見た後、星夏の方を見る。
「そうね…。もう、見つかるはずないのに。記憶が頭の中から離れなくて、忘れられなくて、妹が怖い思いしながら死んでいったのだと思うと、余計…ね。時々、自分が今、何をすべきか分からなくなるの。私が居ても居なくても結果は同じだったのかもしれないけど、目を離さず、ちゃんと妹の手を握っていれば、妹が死ぬ事はなかったんじゃないのかって」
理屈では分かっていても、出来ないことがある。
悪いことだと分かっていながら、犯罪に手を染めるように。
でも、小阪先輩の心の中は――。
「あったかいです。小阪先輩の心」
「そう…?」
「はいっ。暖かくて、優しい感じがします」
星夏がそう言うと、小阪先輩が自分の胸に手を当てて目をつぶる。
違った…。
私は、小阪先輩のことを心配をする必要なんか全然なかったのだと気づいてしまった。
「先輩は、過去に囚われている訳じゃなかったんですね」
「どうして、そう思うの?」
だって――。
「先輩の心の中には、妹さんとの楽しい思い出がたくさんありますから」
その楽しい思い出が、小阪先輩の中でずっとあり続けられますように。そして、何時かまた、こんな風にそっと浸れるように――。
「あなたが、最近の噂の正体ね」
「噂…?」
「知らないの?心が読める人が居て、悩んでいる人の元に現れては、言葉を授けていくって」
「言葉を授けるだなんて、そんなっ…」
まさか、噂にまでなっているとは知らなかった。
早く何とかしなくては、後々大変なことになるかもしれない…。
小坂先輩は、慌てる星夏を見てクスクスと笑いながら、その横を通りすぎていく。そして、振り返り、
「有難う」
という言葉を残して、教室を出て行った。
私は、自分は、何か小阪先輩の役に立てただろうか。
誰かの役に立ちたくて、誰かを救いたくて、そして、気づいたら、こんなことをやっていた。
正しいことかどうかは分からない。
逆に傷つけてしまうかもしれない。誰だって、心の中を見られるのは嫌なことだから。
でも、小阪先輩みたいに素敵な笑顔と言葉を残してくれる人が居るから、やって良かったと、この能力があって良かったと単純に思うのだろうか。
人に迷惑をかけないようにする心。
最善の結果を出そうとする心。
嫉妬で満ち溢れた心。
悪意と憎悪の心。
人を敬い、鏡とする心。
他人を気遣い、優しく接する心。
どの心も大事にしたいから。
そんな事を言うと、悪意ある心なんて…と思うのかもしれないけど、その悪意の奥底に何があるかなんて、考えたことないでしょう。本人さえも気づいていない、そんな気持ちを、そっと、拾ってあげられたら。
桜が舞い散る季節、春。
「わぁー」
友恵が桜の花びらを追いかけている。
卒業式も終わり、春休みも過ぎ、学校では毎年恒例の入学式が始まっていた。
「こらこら、桜追いかけてる場合?新入生を教室まで連れて行くんでしょう?」
「もうちょっと時間あるって」
「後、五分しかないんだけど」
「大丈夫、大丈夫、間に合うって」
「その大丈夫がいかに信用できないか…」
「大丈夫だって」
「って、そんなこと言っている内に一分経過したんですけど。ほら、行くよ!」
星夏が友恵の腕を引っ張る。
「あっ」
友恵が声を上げた。
「んっ?」
振り向くと、強い風が吹いて、桜が一気に舞っていた。
視界が桜一色に染まり、そして、ふと思った。もしかしたら、小阪先輩の妹さんは、今も何処かで生きているのではないのかと――。根拠はない。何となく、そんな風に感じて、思わず立ち止まっていると、友恵が星夏の腕を引っ張る。
「ほら、遅れちゃうでしょう。間に合わなかったら、星夏のせいね」
「えっ?何で、私のせいになるのよ。元々は、友恵が花びらなんか追いかけてたからっ」
「言い訳は無しだよ?」
「これは、言い訳じゃなくて、真実を述べているだけでしょう。これだから、友恵は!言い訳と真実の区別もつかないの?」
「星夏こそ、私が腕引っ張らなかったら、何時まで桜見てるつもりだったの?」
「それは、友恵も同じでしょうが!」
これが、私の日常。
何処にでもある、だけどそこにしかないもの。
一人一人の、その人だけの世界や価値観。
忘れてはいけない、自分だけの――。