君にこの声がとどくように
「やはり、行くんじゃな?」
「はい」
司祭であることを示す法衣を纏っている老人は、少年が予想通りの答えを返してきたことに、ため息をつく。
「傷が癒えるまで、いや、その後もここアルザットに留まってくれて構わんのだぞ?」
「ありがたいお言葉ですが、私は義父が果たせなかった理想の実現を目指したいと思います」
少年は、その年齢とはかけ離れた巨漢の風貌と落ち着いた物腰で、丁寧な言葉ながらに説得は聞き入れないという我を主張していた。
満身創痍の少年をその傍らで支えている銀髪の美少女は、自らの意志をはっきりと宣言した少年を見上げた。
その表情は、我が事のように誇らしげであった。
アルザットの砦から西へ。
二人が乗った馬車は、エルセントとフロンティアの境目となるヨーン河の渡河地点へ向けて、ゆっくりと進んでいた。
「キャス」
荷台に座るナインは、御者席を頑として譲ろうとしないキャスの背中に声を掛ける。
「何よ」と、キャスの返事はぶっきらぼうだ。
「エルセントに戻ったら、やりたいことがあるんだ」
「そうね、クオンのお墓参りに行かないとね」
「それもあるけど、違うんだ」
キャスは、ちらと肩越しにナインを振り向いて、すぐに視線を正面に戻す。背中合わせに座っている二人の視線は交わらない。
「好きにしたらいいじゃない? 騎士になっても、パン屋になっても、アンタはアンタよ。いちいち干渉しないわ」
ナインは空を見上げる。
雲一つない空は、何処までも高く、何処までも蒼く。
「旅に出ようと思う」
「ダメよ」 それは即答であった。
「え?」
冷淡な強い口調で発せられた言葉に、ナインは狼狽する。
「まずは身体を治すことを考えなさい」
「キャス……」
このときのキャスが寂しげな表情を浮かべていたことを、ナインは知る由もなかった。
キャスは嫉妬していた。
いつも自分の後ろをついて来ていたナインが、いつの間にか自分の前を歩いていることに。
キャスは恐怖していた。
自分の道を見つけて進み出したナインに、このまま置いて行かれてしまうのではないかと。
だからキャスの言葉は、悪足掻きの時間稼ぎだ。抜き返すまでには至らなくとも、せめて並んで歩けるようになるまでの。
「一緒に……一緒に来て欲しい。僕の旅について来て欲しい」
ナインは再びの拒絶を恐れて両の拳を強く握り、キャスは旅の誘いを受けた喜びに口元を緩ませた。
「イヤよ!!」
キャスは叫んだ。腹の底から。
力の限りの大絶叫。
「え!?」
思わず振り向いたナインの視界には、はにかんだキャスの顔が映った。その瞳には、わずかに光るものが湛えられている。
「間違えないで。アンタが、アタシに、ついてくるのよ」
キャスは照れくさそうに頬を掻いた。
「……キャス」
遠くに見えるクルンク山は太陽の光に映え、高く飛ぶ鳥は明日も晴れであると教えてくれた。
「キャス、こっちの道はクルンク山行きだよ……」
「え?」
「僕たちが行くのはアゴの渡河地て……」
ずびしっ!!
「うっさい! アタシに指図すんな!!」
ナインの旅は続く……
― 君にこの声がとどくように 了 ―
「はい」
司祭であることを示す法衣を纏っている老人は、少年が予想通りの答えを返してきたことに、ため息をつく。
「傷が癒えるまで、いや、その後もここアルザットに留まってくれて構わんのだぞ?」
「ありがたいお言葉ですが、私は義父が果たせなかった理想の実現を目指したいと思います」
少年は、その年齢とはかけ離れた巨漢の風貌と落ち着いた物腰で、丁寧な言葉ながらに説得は聞き入れないという我を主張していた。
満身創痍の少年をその傍らで支えている銀髪の美少女は、自らの意志をはっきりと宣言した少年を見上げた。
その表情は、我が事のように誇らしげであった。
アルザットの砦から西へ。
二人が乗った馬車は、エルセントとフロンティアの境目となるヨーン河の渡河地点へ向けて、ゆっくりと進んでいた。
「キャス」
荷台に座るナインは、御者席を頑として譲ろうとしないキャスの背中に声を掛ける。
「何よ」と、キャスの返事はぶっきらぼうだ。
「エルセントに戻ったら、やりたいことがあるんだ」
「そうね、クオンのお墓参りに行かないとね」
「それもあるけど、違うんだ」
キャスは、ちらと肩越しにナインを振り向いて、すぐに視線を正面に戻す。背中合わせに座っている二人の視線は交わらない。
「好きにしたらいいじゃない? 騎士になっても、パン屋になっても、アンタはアンタよ。いちいち干渉しないわ」
ナインは空を見上げる。
雲一つない空は、何処までも高く、何処までも蒼く。
「旅に出ようと思う」
「ダメよ」 それは即答であった。
「え?」
冷淡な強い口調で発せられた言葉に、ナインは狼狽する。
「まずは身体を治すことを考えなさい」
「キャス……」
このときのキャスが寂しげな表情を浮かべていたことを、ナインは知る由もなかった。
キャスは嫉妬していた。
いつも自分の後ろをついて来ていたナインが、いつの間にか自分の前を歩いていることに。
キャスは恐怖していた。
自分の道を見つけて進み出したナインに、このまま置いて行かれてしまうのではないかと。
だからキャスの言葉は、悪足掻きの時間稼ぎだ。抜き返すまでには至らなくとも、せめて並んで歩けるようになるまでの。
「一緒に……一緒に来て欲しい。僕の旅について来て欲しい」
ナインは再びの拒絶を恐れて両の拳を強く握り、キャスは旅の誘いを受けた喜びに口元を緩ませた。
「イヤよ!!」
キャスは叫んだ。腹の底から。
力の限りの大絶叫。
「え!?」
思わず振り向いたナインの視界には、はにかんだキャスの顔が映った。その瞳には、わずかに光るものが湛えられている。
「間違えないで。アンタが、アタシに、ついてくるのよ」
キャスは照れくさそうに頬を掻いた。
「……キャス」
遠くに見えるクルンク山は太陽の光に映え、高く飛ぶ鳥は明日も晴れであると教えてくれた。
「キャス、こっちの道はクルンク山行きだよ……」
「え?」
「僕たちが行くのはアゴの渡河地て……」
ずびしっ!!
「うっさい! アタシに指図すんな!!」
ナインの旅は続く……
― 君にこの声がとどくように 了 ―
作品名:君にこの声がとどくように 作家名:村崎右近