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ホムラケイ
ホムラケイ
novelistID. 34064
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帰りたいと、君は泣き

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帰りたいと、君は泣き

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 丘の上には、一本の立派な木がそびえている。誰がいつ植えたのか、何の木なのか、よく分かりはしないけれど、その港町の人々には馴染み深い木であった。

 その、馴染み深い木の下に、馴染みのない人影が現れるようになってしばらくが経った。新緑の丘の上、濃緑の木陰に、そっと寄り添う、誰か。気付けば、その誰かも馴染みのものとして、ああ、今日もいるんだね、あの人、などと人々に言われるようになった。噂好きの、女性曰く。

「なんでも、軍人さんらしいわよ。訳あって退役して、身内のつてで、この町へ来たんですって」

 へえ、そうなのかあ、気の毒に、と頷く人もいたし、逃げ出したんじゃないのか、と笑う人もいた。彼らは好き勝手にその人を想像して、けれど近付こうとはしなかった。どことなくその人が、そうしていて欲しいように、人々の目には映ったのだろう。けれど、なかなかどうして、その人への興味は尽きなかった。

 ――意を決して、その丘に登った。緩やかに続く坂を登るのは、思っていたよりも大変だった。そうして、ようやく間近で、その人の姿を見た。

 潮風が乱す髪は炎の色。細く白い腕で膝を抱え、木に凭れるように、片耳を幹に押し当てて目を伏せている。少女だろうか、少年だろうか。いや、そもそも生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。心配になるほどに、その人の存在は希薄だった。

 そろそろと近付いて、そっと、白い頬に触れてみると、ゆるゆるとその人は瞼を上げた。綺麗な青緑の瞳。だけど、なんの光も宿してはいなかった。

「ご、ごめん。息、してないのかと思っちゃって」

 慌てて言うも、その人は聞いているのかいないのか、虚ろな目でこちらを見つめ返す。どこも見てはいないようなその目が、何故か射るように心に刺さった。その日、その人が何かを口にすることは、なかった。

**

 次の日、もう一度丘に登ってみた。その人は昨日と同じ格好でそこにいて、しかし今度は触る前に、こちらに気付いたのか目を開けた。

「や、やあ」

 声をかけるが、反応はない。めげずに、続けてみた。

「ここ、海、綺麗に見えるよね」
「……海」

 その人はようやく口を開いた。

「……あれは、海、なんですか」
「え……」

 驚いてその人を見る。虚ろな目は、確かに海の方を向いている、けれど。

「……どうして、ずっと、ここに?」

 問いかけたが、その人は答えなかった。居たたまれなくなって、またね、と声をかけて丘を降りた。

**

 余りものの果物を持って、丘に登った。その人はぼんやりと海の方を見て座っていた。声をかけて隣に座ると、不意に、その人は口を開いた。

「光を」
「え?」
「光を見ていたら、戻るような気がしたんです」
「……そっか」

 果物を食べやすいように剥いて、手に乗せてやると、その人は黙々と食べた。良かった。食欲はまだ、残っているようだ。ちらりと、横顔を盗み見る。別に、堂々と見れば良かったのだが、どうにもはばかられた。

 元軍人、という噂が本当かどうかは定かではなかったが、とてもそうとは思えないような容姿だった。何というか、綺麗だった。それも褒め讃えて手に取りたくなるような宝石のそれではなくて、足跡一つない雪原のような、侵し難い美しさだった。

 けれど、それは放っておけば全てを、その雪の下に永遠に閉ざしてしまうような、そんな危うさをも、感じさせた。

「もし、なにか、困っているなら、」

 力になるよ――そう言おうとすると、不意に、虚ろな目から雫が落ちた。それはあとからあとから落ちてきて、しまいにその人は、両手で顔を覆って震え始めた。どうした、と肩に手を置くと、叫ぶように、その人は言った。

「かえりたい」

「かえして」

「かえらせて」

 延々と、その人は。帰りたいのだと、泣き続けた。あの海へ、太陽がすっかり沈んでしまうまで。ずっと、ずっと。それをただ、見ていることしか出来なかった。星が数え切れないほど見える頃になって、ようやく、声をかけることが出来た。

「……帰ろう。そろそろ、風が冷えてきたから。ね、」

 今は、帰ろう――腕を引くと、静かにその人は立ち上がった。

 きっと、この人の帰りたい場所というのは、ここではないのだ。ここではないどこか、泣き出すほど恋しい何かが、叫び出すほど愛しい誰かがいる、どこかなのだ。そしてそれは、自分では到底連れていってはやれない、遠い場所なのだ。

 いやきっと、この人自身ももう、帰ることの出来ない、遠い遠い、場所なのだ。