突撃
深雪のアルデンヌに、狼の遠吠えが響き渡った。
マンエーの小さな村落には、その村を象徴するようなチャペルが存在した。
その尖塔で、凍えそうな体を揺らしながらアメリカ軍の前進観測員が、
双眼鏡に穴が開くほど東の森林と、
村を東西に貫く道路を必死に確認していた。
やがて狼の声だと確認すると、
しわくちゃになった煙草を口に加え、火を灯した。
「マンエーです。」
「ああ。」
第653重駆逐戦車大隊の小隊長、
オットー・クラッセン少尉は苛ついていた。
彼の指揮する重駆逐戦車小隊は、二両のヤクトティーガーで構成され、
マンエーへの最初の攻撃部隊として投入されていた。
クラッセンにとっては、このヤクトティーガーこそが
”アミー”よりも重大な問題だった。
彼はこの無用の長物に対して悲観的であったのだ。
ヴァハト・アム・ライン作戦が開始されてから、
既にエンジントラブルだけでも十数回を経験し、
彼と小隊の戦友達はほとほと困り果てていた。
マンエーへ続く、一本の街道を直進する二両の怪物は、
やがて村落の全容を捉えた。
村落は完全に静まり返っており、
クラッセンにとって激戦などは、到底感じさせ得るものではなかった。
キューポラから外を覗くと、4両編成の3号突撃砲小隊が、
ゆっくりと怪物の横を追い越して行くのを確認した。
「曹長、これで全速か。」
当然、クラッセン自信もそのような事は把握していた、
しかし聞かずには居られなかったのだ。
それだけ怪物はうすのろだった。
「はい。」
運転兵は既に何回も、この台詞を聞かされ、言わされていた。
そうであっても運転兵自信は、
少尉の立場なら同じ事を言っただろうと納得もしていた。
クラッセンは、後続の装甲擲弾兵の車列を一瞥すると、
更にネガティブな思考になった。
彼ら装甲擲弾兵達はこのデカブツを頼もしく思うかもしれないが、
この重駆逐戦車小隊が狙われれば、
足をこちらに合わせている装甲擲弾兵もろとも、
砲撃によって一網打尽にされるのではないか。
クラッセンは、もしもこの鈍足な怪物が
アメリカ軍の砲撃や戦車砲の猛攻に晒されたのなら、
そのまま動けずに縫い止められてしまうのではないか、と考えていた。
突撃歩兵達を指揮する、エーリヒ・ベルクマン少尉は思わず舌を巻いた。
マンエー市街へ、正面から突入する装甲擲弾兵達の側面支援を行う為に
彼らの小隊は森林から飛び出し、ゆっくりとした前進を行っていた。
市街をよく観察すれば、少なくない戦車が巧妙に隠匿されており、
このまま正面から攻撃するのは明らかに無謀に感じた。
「ハインケル、司令部へ繋げ。」
通信兵を手招きで呼び、小さな声で指令した。
寒風が吹き付ける中、無線が繋がるのを待った、
随分混線しているようだった。
突如、鉄と鉄が激しくぶつかり合う、
甲高い叫び声のようなものが遠方から聞こえ、
ベルクマンは思わず声を上げてしまった。
「畜生、遅かったか!」
市街を東西に走る道路を見ると、
撃たれたと思しき巨躯の怪物が、その全身を震わせ吼えていた。
火線は先ほど射撃したM4A3へと吸収され、
遠目からでも分かるほどにその砲塔が吹き飛んだ。
その直後、砲兵中隊の一斉射のような音がベルクマンの耳に届いた。
30mだろうか。
ふと、冷静にベルクマンは砲塔が吹き飛ばされた距離を測っていた。
その間も次々と重突撃砲へ砲火が降り注ぐが、
街道上にふてぶてしく居座るその怪物は
それを意に介さないように毅然と反撃し、次々に火点を制圧していった。
遥か西方でも砲声が鳴り響き、戦闘団の迂回部隊が交戦を始めたようだった。
ベルクマン少尉はハッとわれに返り、直ちに小隊を前進させた。
「チャペル12時、250m、HE、撃て。」
クラッセンの声が終わるのと同時に、ヤクトティーガーは巨砲を放った。
チャペルの尖塔はなかほどから砕け折れ、
激しい衝撃音と、破片と雪の混じった煙が舞った。
クラッセンは思わず微笑を浮かべた。
このヤクトティーガーが初弾を側面にうけ、M4A3の76.2mm砲を
ほぼ垂直面ではじき返した時、クラッセンはこの鈍足な怪物に対しての
認識を180度改めた。
これ以上の砲を持った連合軍戦車は、今のところ居ないのである。
つまりこの怪物は、
このマンエーの小さな村落において、無敵以外の何者でもなかった。
激しい金属音と共に、怪物の正面装甲がAPCR弾をはじき返す。
チャペルの鐘を打ち鳴らした様な音が響き渡り、車体がかすかに揺れた。
その衝撃にクラッセンは眉をピクリとも動かさず、冷静に告げた。
「M4A3、11時、300m、AP、撃て。」
128mmの巨砲が震え、また一つ遠吠えを響かせた。