魔王の婚活
「はじめまして、わたし魔王です！」
こんな自己紹介をされるのは勇者の地位を得た選ばれしキャラだけのはずで、それは俺ではないはずだ。それなのにこの現実は何だろう。俺は田植えの途中で現れた奇抜な美少女に、開いた口が塞がらなかった。
「あの、わたし実は仕事に行き詰っちゃって、どうすれば世界を阿鼻叫喚の恐怖のどん底に落とせるかしらと下界を見ていたんですね、それであなたの御姿を拝見して、ああもうこれはあなたしかいないなって……」
自称魔王の美少女は薄桃色に染めた頬に鋭い爪の映えた手を添えて、恥じらうように身をよじった。この村に不釣り合いな露出の高い服装は悩ましく俺を誘惑するが、その足元の草木は急速に萎れ、死の大地を創造している。
「ええと、それはどういう……」
「嫌だもう、そんなこと魔王のわたしの口から言わせる気ですか？ だからつまり、その……一目惚れっていうか」
「はぁ!?」
「あなたのその悪人面、村人にしておくのは惜しいです。是非わたしにあなたの子供を産ませてください！」
魔王はがしっと俺の手を握りしめ、恥じらいに潤んだ瞳でそう叫んだ。その声量のせいかはたまた偶然か、すぐ傍にあった樹齢数百年の大木が地響きを上げて根元から突如倒れる。ついでに俺の手の骨も聞いたことのない音を立てた。
「うぎゃあああ！ 手がぁぁぁ！」
「えっ……そうですよね、ごめんなさい。やっぱりはじめは手紙とかの方がよかったですよね。でもわたし、いてもたってもいられなくて……」
そうじゃない、と訴える余裕は俺にはなかった。魔王は骨を粉砕した俺の手を握りしめたまま、もじもじして的外れなことを言っている。手がぐにゃってしているんですけど、背景も灰色になってきているんですけど、頼むから気づいてくれ。
「でもでも、わたし立派な新しい魔王を産みたいんです！ 今の魔界は草食系ブームでろくなのがいないし、時々いる肉食系魔族はなんか亭主関白気取ったのが多くて。でもほら、あなたなら肉食系な面構えだし、亭主関白きどろうとしたらすぐにさくっと殺せるし、ちょうどいいかなって」
「よくねえええええ！」
恐ろしいことをさらっと言ったよこの子！ 一目惚れどころかすごい打算で惚れてきてるよ！ その発言のどこに一体愛があるんだ！
「えっ……まさかわたしの求婚、受けてくれないんですか？」
魔王は俺のツッコミに大層ショックを受けたのか、俺の手をぱっとほどくとぐらりと体をよろめかせた。そんなことまるで思いもよらなかったというかのように、青褪めてしまっている。そこだけ見ると胸が痛むが、やはり背後の景色と俺の手が着々と滅びを迎えているのでこっちが青褪めたい。
「う、受けるわけないだろ！ なんで俺が魔王なんかと」
手の痛みに悶絶しながら、俺は絶え絶えに言葉を発した。ここでしっかり断っておかないと魔界に連れ攫われる身の危険をひしひしと感じていた。
しかし魔王はそんな俺を不安そうに上目遣いで見上げ、おろおろしながら言ったのだった。
「そんなの冗談ですよね。だってもし本当だったらわたし、失恋を癒すためにこの村滅ぼしちゃうと思うし……」
「え」
「あ、でもいいんですよ無理しなくても。痛みも感じないくらい一瞬で滅ぼしますから。大丈夫、約束します」
魔王の声の最後の方は涙に掠れていた。白い頬を一筋の涙が伝う。慌てて人差し指で拭い、笑顔を作ってみせる瞳は本気だった。こいつ、絶対この村滅ぼす。
「もう一度だけ聞かせてください。あなたの答えを」
「……そ、それは」
俺はただの「村人Ａ」のはずなのだ。それなのにどうして世界（というか村）の命運を背負わされてしまっているのか。どんなに自問しても答えは出せないし、今の俺が探すべき答えはそんなものではなかった。即決の、返答だ。
「受けるよ……君の求婚を……」
「きゃっ、やったー！ 世界を阿鼻叫喚に陥れる素敵な魔王を作りましょうね！」
山羊の角とコウモリ羽を生やした美少女は満面の笑顔でまた、粉砕した俺の手を握りしめた。ついでに倒れていた木が爆発炎上した。
こうして俺は「村人Ａ」を卒業し、「新生魔王の父親」とか「魔王をたぶらかした男」とか新しい名前を与えられることになるわけなのだが、それはまだ数年後の未来の話なのである。
拝啓勇者様。一刻も早い村へのおいでをお待ちしています。