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題知らず ~もしくは、雑輩に依るmadrigale~

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 新入りで手に職があるわけでもないので、雑用事は何でも回ってくる。鈴若も三味線は出来た。その腕を披露すれば少しはましな給金ももらえることはわかっていたが、読み書き以外の出来ることは言わずにおいた。言えば客の前に出なければならない。どこで習い覚えたのかを聞かれもするだろう。そうなれば元の素性が知れることになる。知られてもかまわないが、世の中には物好きがいる。変な目で常に見られ、「商売にしていたのだから」と納戸や座敷に引きずり込まれるのは御免だった。
 額に汗して働くことは最初こそ辛かったが、慣れれば大したことはなかった。前職とは違って妙な疲れが翌日に残らず、飯も都度、美味かった。肉がつかない質なのか、背ばかり伸びた貧弱な身体付きは変わらなかったが、陰間茶屋では出ていたであろう一種独特の色気はすっかりなりを潜め、どこから見ても、誰から見ても、宿屋の下男だった。
 『丸川』で働き始めてから八月(やつき)、その日鈴若は注文しておいた迎え菓子を取りに、本宿界隈の和菓子屋へ使いに出された。
 店先に今日配られたと思しき号外が置かれている。菓子を待つ間、鈴若はそれに目を通した。五稜郭が落ち、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争が終わったことを知らせる記事だ。徳川の世は一年も前に終わっている。それでもまだ戦っていた人間がいたのだなと、鈴若は感慨深かった。
 記事の中に「薩摩」の字を見つける。
――そう言えば、あの侍、どうしているのやら。まだ侍をやってんのかな。今じゃ侍って言わないか。
 ふと、向坂と言う侍のことを思い出した。一年ほど前、鈴若がまだ陰間茶屋勤めだった頃に出会った客。江戸入城の折、進攻してきた薩摩藩の侍だ。

『またいつか、会えるといいが』
『もう来んな、この唐変木』

 鈴若の捨て台詞通り、向坂は二度と来なかった。もっとも、あれからすぐに茶屋は閉店の憂き目にあったわけだが。
 思えば向坂が客として訪れて以降、鈴若の周辺は激変した。年季が明ければ店を出るつもりではいたが、よもや店自体が無くなるとは思わなかったし、一年後に堅気の仕事に就いている姿は想像しなかった。
 あの男は、鈴若に時代の終わりを告げに来た人ならぬ『人』だったのかも知れない。
 鈴若にとっては彼が最後の客となった。しばらく向坂の手の感触が忘れられなかったが、それもいつしか生活に追われる中で失せていた。しかし新政府軍と旧幕府軍の間で起こる小競り合いの話が出るたび、なぜか彼のことを思い出す。たった一晩の、一見の客だったにもかかわらず、鈴若の中に存在を強く印象つけて行ったことは否定出来ない。
 あのまま侍を続けているのだとしたら、上野戦争や会津や蝦夷に出兵しただろうか。「すべきこと」があると言っていたが、それは果たされただろうか。
――生きてんのかな。
 鈴若は今、本名の『キリヤ』の名で働いていた。字は向坂がつけてくれた『桐哉』を使っている。字をもらってすぐに、懇意にしていた寺子屋の師匠に意味を聞いてみた。
「桐は古来から尊く清浄だとして好まれている木だ。ほら、名高い武家の家紋にもなっていよう? 『哉』は感心した時などに使われる字であるから、すなわちおまえのことを『尊い』と名づけているわけだ。両親に良い名をつけてもらったな」
 あれだけ嫌っていた名だが、それを聞いて堅気になったら名乗る気になった。どうせ『鈴若』などと言う、いかにもな名は使えないと思っていたから、ちょうど良かった。そこのところは、向坂に感謝している。
「お待ちどう。ああ、それ、持って帰っていいよ。いよいよ『徳川は遠くなりにけり』だねぇ」
「本当に」
 懐に号外を仕舞い菓子を受け取ると、鈴若、もとい桐哉は店を出た。
 戊辰戦争さえも、庶民にとっては遠くになりにけりだった。一年以上前の江戸開城の折もそうだったが、火の粉が自分に降りかからないかぎり、今日の天気ほどには関心はない。
――いい天気だなぁ。明日の休み、晴れたら良いけど。
 桐哉の休みはここのところ雨にたたられている。雨降りだとどこにも出かける気になれないから、損をした気分になった。季節は梅雨の最中。一昨日、昨日、今日と梅雨の中休みの晴天が続いているので、明日あたりは怪しかった。『丸川』に帰ったら、天気を読むのが得意な仲居に聞いてみようと思った。
「ちっと尋ねるが、『丸川』と言う旅籠へは、いけん行ったらよかかな」
 歩きだそうとした時、後ろから声をかけられた。懐かしい薩摩訛りだ。
「ああ、それなら」
 今から帰るところだから一緒に…と続けようとして、言葉が途切れる。
 男が立っていた――総髪と散切り頭の違いはある。眼光もあれほどの鋭さは消えていた。しかし見覚えある面差しだった。
「あんたは」
「来るなち言われたが」
 低く響く、耳に心地よい声。忘れてはいたが、思い出せないわけではない。
「向坂…様」
「『様』はよしてくれ」
 向坂はそう言うと微笑んだ。
               

madrigale(マドリガーレ)=世俗歌曲