たんていきたん
犯人がいっぱい
本ホテルは、幻と現実の境界線。幻が実は現実であったり、また現実が幻でもある。今宵一晩の夢と思し召し、ごゆるりとお楽しみ下さい。
僕は人と待ち合わせで、とあるホテルに泊まっていた。森の奥深くに建っている、五階建てのレトロな造りのホテル。話によると、とある貴族の館を移築したホテルらしく、部屋数も十三室しかない小さなホテルである。僕は、そのこじんまりとしたところがお気に入りだった。
顔なじみの支配人と挨拶を交わし、羽ペンで台帳に自分の名前を書く。無表情で有能な従業員が音もなく現れて、荷物を部屋へと運んだ。全て、いつも通りのこと。まるで儀式でもしているかのよう。そして、その日もいつもの通り最上階の501号室に通された。
かなり辺鄙なところにある為か、このホテルはその部屋数にも関わらず客で満室になることは少ない。皆、ある時ふと現れて、そしてまたある時ふと去っていく。まるで影のように現れたり消えたりしている。常連と言えるのは、もしかしたら僕ぐらいのものかもしれない。しかし、この時は思いの外に客がいるようだった。
待ち合わせの相手は三日経っても、まだ来ない。
とんとん。ノックの音。
僕は待ち合わせの相手が来たのかと思って扉を開けると、そこには見知らぬ人。しとやかな感じの着物姿の女性が立っていた。匂いたつような素晴らしい美人だった。
「どなたですか?」
見覚えのない美人に僕は軽く眉ねを寄せる。自慢ではないが、僕は女の人、それも美人に突然訪問を受けるようなタイプではない。
「私は101号室の美人客。ぜひ、あなたに聞いて頂きたいことがあるの」
美人は、僕の質問を答える気はないらしい。一方的にセリフを言うと美人は僕を押し退け、勝手に室内に押し入ってきた。そして、摺り足で部屋の中心に進み出る。無言のまま、僕を見つめる美人の目。彼女がいったいここに何をしに来たのか、僕は解らない。ただ少なくとも、彼女が僕に何かを尋ねて貰いたいと思っていくことだけは明白だった。
「なんでしょうか?」
仕方がないので、僕はあたりさわりがないセリフで彼女に尋ねてみた。それ以外に僕に何か言えるだろうか。このような場面で言うべき科白が解る人がいれば、ぜひ教えて貰いたいくらいである。
「私、人を殺しました。ここの402号室で、人を殺したのです」
謎の美人は、それこそ艶然な笑みを浮かべて以上のことを言ったのである。僕は殺人の告白をされて少しだけ戸惑った。何故、彼女は僕のトコロで殺人の告白をする気になったのだろうか。そこが問題だった。
「あの男が悪いのです。不倫の清算に、あの男は私を捨てようとしたのです。だから、私は彼を殺しました。誰にも渡したくなくて、彼を殺しました。ナイフで彼の胸を刺すと、血がいっぱい出ました。彼の心臓がどくん、どくんと鼓動がゆっくりとなるのを見てました。そして、彼の心臓は永久に止まったのです」
演劇のセリフでも言っているかのような声。そして、大げさな身振り手振り。彼女は僕に言いたいことだけ言って、この場から退場した。僕に質問の暇さえ与えずに。僕は彼女が立ち去った後もぼんやりとしていた。しかし、それも束の間。
また、扉がノックされた。
今度の来客は、頭がはげかかった中年の小男。男はねずみのような顔をしていた。どうやら、僕の相手はまだ来ないらしい。小男は、こう言った。
「すいません。よろしいですか。実は私、殺人の告白をするために・・・・・・・・」
小男のセリフに、僕はなんとなく嘆息をした。どうやら、誰かが僕を探偵役に定めたらしい。またかと思い、長めの前髪をかきあげた。僕はどうぞと言って小男を室内に呼んだ。小男はそそくさと室内に入ってくると、先程の美人と同じ立ち位置についたのだった。そしてまた、殺人の告白が始まったのである。
僕に殺人の告白をしたがったのは、彼女らだけではなかった。これが、僕の運命なのだろうか。
その後、次々と僕の所には殺人の告白をしたがる人々が現れた。どうやら、僕以外の101号室から403号室の全ての泊まり客が、自分のした殺人の告白をしたがっているらしい。
被害者は男の時も有り、また女でもあった。動機は痴情の沙汰から、快楽殺人まで何でも。殺し方も絞殺、刺殺、毒物、それこそ考えつくだけの多種多様なものだった。ここまで揃えば、お見事と言うしかない。
ただ、被害者が402号室の客とだけが、彼らの一致した意見だった。これは、どういうことなのか。402号室にはそんなに客が泊まっているのだろうか。それとも、402号室の客は怪人二十面相のような奴なのだろうか。
最後の403号室の客が告白をし終わった時に、ようやく僕の相手がホテルに現れた。僕は待ち合わせた相手とホテルを去ることにした。
部屋を出るときに、初めて僕は僕の部屋の扉に『名探偵の部屋』と書かれたプラカードが下がっていたことに気がついた。なるほど、皆が犯罪に告白をしにくるはずである。
荷物をまとめ、チェックアウトを済ませる為に階下に降りると、支配人が見送りのためにロビーにいた。いつもと変わりない光景。今まで、殺人の告白を次々と受けていたのが嘘のようだった。
「402号室の客はどうしました?」
僕は支配人に尋ねた。支配人は厨しげに、僕の顔を見た。冷静沈着を絵に描いたような態度の彼にしては珍しい。どうやら、彼にとってはとても意外な質問だったらしい。首を傾げると、彼はこう答えた。
「はて、確か402号室は空き室でございますが」
「そうですか」
僕はそれ以上支配人には何も聞かなかった。実は、僕はロビーに降りる前に、402号室を覗いてきたのである。やはり、支配人が言う通り部屋の中には誰もいなかった。屍体もいわずもがなである。
402号室の屍体。
彼らはいったい402号室で、何を見たのだろうか?幻か現実か。もしかしたら、本当に彼らは誰かを殺してからここに来だのかもしれない。真実は闇の中。残念ながら、確かめる術は僕にはない。
このホテルは、幻と現実の境界線。ここで起きることは幻でも有り、そして現実でも有る。と、誰かが言っていたことを僕は思い出した。 ふと僕は最後にホテルを振り返る。そこに見えた光景は本日の一番の出来事だった。窓から落ちる人影。鳴り響く銃声。倒れる人影。悲鳴。悲鳴。悲鳴、ひめい。 悲鳴が耳につく。
どうやら、彼らは悔恨の情に駆られて自分自身を始末することにしたらしい。
僕は帽子を被り直し、ホテルに背を向けた。二度とホテルを振り返ることはない。立ち去る他に、僕に何かできようか。
そして、僕はホテルを立ち去ったのであった。
作品名:たんていきたん 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙