夢現
久し振りの名古屋出張の夜、錦の端にある、中部支社の営業マン田中の行きつけの割烹のカウンターに落ち着いた。
「いや~!わざわざ九州からお出まし下さって助かりました!部長のおかげで、先方、すっかり機嫌を直してくれました!恩に着ます!!」
私のグラスにビールを注ぎながら、田中が平身低頭、頭を下げる。
我々の会社は、九州に本社を置く機械専門商社。
我が社の最上級得意先である、愛知自動車との取引で、チョットしたトラブルが生じ、その対応のため、営業部長の私が、田中の要請に応えて、出張して来たのだ。
世界トップの愛知自動車との円滑な取引継続は、当社にとっての死活問題。
先方が要求する、破格なコスト要求を呑む代わりに、支払い条件を前倒しに変更して貰う事で、何とかトラブルを収めた今回の出張。
通常、福岡・名古屋間であれば日帰りするのだが、事が事だけに、丸々2日間、スケジュールを空けて乗り込んできたのだが、初日で問題は片付いてしまった。
「まあ、良かったよな?今日は、久し振りに、楽しくやろうぜ。」
恐縮する田中の肩を叩き、ビールを返杯。
身内同士の酒は、どうしてもペースが速くなる。
いつの間にか、ビールが焼酎に変わった。
「時に、部長。もう、七回忌でしたよね?」
酔いの回った田中が私に問う。
そう、妻がこの世を去ってから、もう7年になるのか----。
「---ああ。その節は君にも世話になったな----」
皮肉な事に、私の妻は、愛知自動車関連会社の車による交通事故で急死した。
原因は、ドライバーの脇見運転。
訴訟を考えた私に、愛知自動車の重役からの、優先取引継続、破格の補償、という条件提示---。
公私の葛藤があったが、結局、提示された条件を承諾し、私は異例の出世を手に入れた。
3年後の入社である田中が課長職であるのに対し、私の、取締役営業部長というタイトルは、中堅商社と言えども異例中の異例だ。
おまけに、当時の愛知自動車の重役が、今では代表取締役副社長に昇任しており、私自身が、数年後の社長候補、とまで噂される程になっている。
---妻の不慮の死を踏み台にして---
苦い想いを芋焼酎のロックと共に流し込む。
「---実は、部長。もう一軒、お付き合い願えませんか?」
「うん??---大分、飲んだし、軽くなら---」
田中の連れて行ってくれた店は、錦の中心部にある、ラウンジ。
ボックス席が4つ程のこじんまりした店だ。
「いらっしゃいませ。」
名古屋のプロ野球チームの監督夫人に良く似たママが挨拶に来た。
「田中ちゃん、こちらが噂の?」
「そう、前に話した我が社の重役。しかも、こんなに色男なのに、不幸にして独身。」
「おいおい、田中君。この店で、俺の事を何て言ってるんだ?」
ママと田中が、悪戯っぽく、頷き合う。
どうも、何か、企みがありそうだ。
「いらっしゃいませ!」
私の背後から声が降って来る。
振り返ってみると!!
直美!?
死に別れた筈の妻が、微笑みながら立っている!!
「座っても良いですか?」
歳の頃は30代半ばだろうか?
美樹と名乗ったこの女性の出現に、私はすっかり、パニック状態に陥ってしまった。
「部長、奥様に似てるでしょう?私も最初会った時、びっくりしたんですよ。あんまりにも私が驚くもんだから、ママと美樹ちゃんだけに、部長の奥様の事を話したんです。---スミマセン----」
田中の説明を、ママがフォローする。
「いえね、実は、この美樹ちゃんも、5年前にご主人を病気で亡くしてるのよ。だから、部長さんの話を聞いて、泣いちゃって---だから、私が田中ちゃんに、頼んだの。絶対、連れて来てって。」
田中の話も、ママの声も、何処か、現実と感じられない様な状態の私。
美樹だけを見つめていた。
「----運命----信じます?」
美樹が私に囁く。
「田中!」
「はい!」
私が突然発した大声に、田中がびっくりした様だ。
「---ありがとう---だが、俺はこれで失礼する----ママ、感謝するよ---」
錦の大通りを歩きながら、ホテルに向かう私。
頭の中は混乱していた。
直美に似た美樹を見た瞬間、押し倒してしまいそうな激しい衝動を感じた自分。
いかん!
彼女は直美じゃない!
だが、美樹を抱きたい----。
ホテルの部屋に戻ると、ドアノックの音。
???
開けてみると、そこに、美樹が佇んでいる。
「---抱いて----」
もはや、私の自制心は効かない。
強く美樹を抱きしめ、唇を吸い、衣装を剥ぎながら、ベッドに押し倒す----。
7年間の禁欲を開放する様な、男の野性が迸る----。
何度肌を重ねただろうか?
部屋を照らす朝日が、私を眠りから覚ます。
ベッドには私一人----。
あれは現実?
9時。
中部支社に顔を出すと、田中が寄って来る。
「おはようございます!」
「---おはよう---昨夜は世話になったね----」
「何言ってんですか?こちらこそ、お疲れの所、無理をお願いしまして---。部長、大丈夫ですか?」
「何が?」
「だって、あの割烹で酔い潰れちゃったでしょ?ホテルまで、私と女将とでお連れしたんですよ----」