失念できないことだった
それはあまりにも有り得ないような出来事が起こり、困惑して周りに(インターネット内だが)何か助けを求めていたことから始まっていた。最初は釣りだろ、と言われてしまうような展開だったが、その話を書き始めた人のぐるぐる悩んでいる様子や、今までの体験談を、周りは見ているうちに引き込まれ、様々な意見が飛び交うようになり、話は大きく膨らんでいった。
そうして暫く読み続けたその話には、もう釣りだろ、という言葉は見当たらなくなっていた。有り得ないと思っても、話を書き始めた人の事をなんとなく信用し始めたのだと思った。誰もそんなことは書いてはいないけれど、そう思った。
長く長く葛藤した後、話を書いていた人と、その話の原因となった人物はめでたく結ばれた。悪い話ではなく、告白を受け入れるのか、それともこのままでいるのかというもどかしいような話の展開だった。話をこれまで見て、意見していた人たちは深く祝福の言葉を書き、そして笑える言葉を次々と繰り広げていった。それだけで終わるような話ではなかったけれど、私は恋ってこんな感じなのだろうかと、ただ傍観していただけの一人だったけれど結ばれた二人を祝福しつつそう思っていた。
そしてそれが原因だったのだと思うのだが、感情の表れと言うべきなのか、不思議なこともあるものだ。それは、その話を読んだ数日後の出来事だった。
私はある夢を見た。場所は小学校なのか、中学校なのか高校なのかよく分からない。空けた場所で、コンクリートの壁で囲われていたのをよく覚えている。そしてどこかで見覚えのある、何人横に並んでも上っていけるような学校の階段があった。周りに目を向けると、見知った顔が何人かいた。しかし思い出せない。記憶をめぐらすと、みんな靄が掛かったようにぼやけてしまう。けれど、一人、確かにいたと言えて未だに覚えている人がいる。それは小学校の頃に片思いしていた人だった。
夢の中で皆は何かの作業をしていた。まるでクラス発表の準備でもするかのように、床に座って取り組んでいた。そんな中私は誰かと会話をしたり、作業をすることもなく、それをただ黙って見ていた。すると視線が切り替わり、突然その場から皆いなくなってしまった。私は周りを見渡して、なぜだか“もう帰ろう”という気になっていた。そして目についた、あの学校の階段を上り始めた。辿り着いたのは、なぜか兄の部屋の扉の前だった。そういえば私の家は、階段を上りきった真ん前が兄の部屋になっている。夢はこんなところでも見覚えのある風景を活用するのだと、後から気づいた私は思った。
私はその扉を開き、中を覗いた。そこには、皆が犇きあうようにして集まり、楽しそうに遊んでいる姿があった。そして、よく見ると、私の好きだった人が座ってゲームをしていた。“もう帰るね”そう私が声を掛けると、ぼやけた人たちが何人か振り向いた。そして彼も振り向いた。私が覚えていたその顔は、無表情のまま片手を上げて“お疲れ様”と言った。そこで夢から覚めた。
なぜあんな夢を見たのだろうと思った。さしてあの話を見たあとに、その人の事を考えていたわけでも、見たいと思ったわけでもなかったのに。しかし正直に言うと、日常的に少しその人の事を思い出すことはあった。それもひょんなことで、少しの間だけのことだったが。それがこんな夢にまで出てきてしまうと、いくら私でも動揺する。そこまで好きだったのだろうか。自分自身に聞いても、明確な答えは返ってこない。あの頃の私は、告白しようとは一度も思わなかった。けれどその片思いに胸を苦しめていたことは嫌でも思い出せる。
だけど、私はあることに気づいてしまった。
扉を開き、声を掛け振り向いた彼の顔は、私が最後に見た時と変わらない、当時のままの幼顔だった。私はもうすぐ高校を出るというのに、小学校6年生に見た、彼の顔しか知らなかった。
それだけのことなのに、あの無表情さが忘れられないままでいる。
作品名:失念できないことだった 作家名:織嗚八束