piano
常連客には誕生日を迎える頃になると、バースデーカードを兼ねて特別コースの招待状が届く。
美穂も、この日、その誕生日特別コースを食べに、友人である涼香とともに店を訪れていた。
「ここのお店、美味しいって聞いてたけど、入る勇気がなかなかなかったんだよね」
メインディッシュを終え、実はね、という形で涼香は告白する。
確かに、郊外の一軒家風なこの店は、大学生が気軽に入るには少々敷居が高めである。料金設定もそれなりなので、イベント事でなければ横目で通り過ぎるばかりの店だ。
「あたしだってこういうときでなきゃ来れないよ」
持参した招待状を指で示しながら美穂も小さく言い訳する。
フルコースの料理なんて、食べ慣れてない。
それでも、今日、このレストランで食事をしたかった。
デザートがテーブルに運ばれてくる。
苺のタルトにバニラアイスが添えられている。美穂のタルトには、炎の揺れる細い蝋燭が立てられていた。
店内に、ピアノの調べが流れだす。
落ち着いた雰囲気の男性がグランドピアノの前に座っていた。しっとりとした音色。奏でられているのは、「Happy Birthday to You」。
ランチの時間帯、店内にいるのはオバサマ世代ばかりだったが、彼女たちはその調べに、うっとりとお喋りをやめていく。
あたたかな優しさが、曲から感じられた。
胸に沁み入る。
ひとり聴き入っていた短い曲は、すぐに終わる。
店員のひとりに促され、曲の終わりに美穂は蝋燭の炎を吹き消した。
「お誕生日おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「おめでとー」
涼香がぱちぱちと手を叩いてくれた。まわりのテーブルからも、オバサマたちから何故か熱烈な拍手が。
「当店からの誕生日プレゼントになります」
渡されたのは、手のひらに収まるくらいの小さな箱。
「ありがとうございます、あの、開けてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
どきどきしながら開けてみると、薄いピンクのアロマキャンドルが入っていた。
「かわいい」
ついつい顔がほころんでしまう。
「どうぞ。お使いください」
「ありがとうございます」
「へぇ、アロマキャンドルだなんて、あたし全然縁がないよ」
店員たちが去ったあと、涼香は美穂の手元を軽く覗き込んで感心する。
「ちょっと前まであたしもそうだったんだけどね。最近興味が出てきてて」
「お。さては新しい彼氏の影響だな?」
「そういうわけじゃないんだけどね。……というわけでもないか。もうちっとは大人っぽい女性ってのになりたいよなぁって思って」
「アロマでなれるの?」
「や。たぶんなれない」
「なにそれ」
肩透かしにおかしそうに笑う涼香。
そうだよね、と彼女に相槌を打ちながらも、彼が選んでくれたのかなと、美穂は期待してしまう。
「いつか、すんごい年上っていう彼氏紹介してね。すっごく気になってるんだからね」
「ん。いつか、ね」
言葉を濁しながら、美穂はちらりと店の中央に置かれたグランドピアノを見る。
そこには、先程まで曲を奏でていた店長の姿はない。
いつもはジーンズばかりの彼も、さすがに店ではスーツ姿だった。「おれは不器用なんだよ」と常々ぼやいている彼だったのに、奏でる調べはよどみなかった。
美穂のために奏でてくれたHappy Birthday to You。
誕生日を迎える常連客にはしていることなのだろうが、どんなプレゼントよりも、一番素敵で誇らしくて、嬉しかった。
きっといまごろ、店の奥で照れまくっているのだろうなぁと、店長なに照れてるんですか? と従業員に不思議がられているかもしれない。
それを想像すると、自然笑みがこぼれるのだった。