小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

毒虫少女さみだれ/私に汚い言葉を言って

INDEX|7ページ/7ページ|

前のページ
 

 ──まったく、
 拗ねている、と自覚する。
 髪から落ちそうになった洗面桶の位置を首の動きだけで直し、込み上げるやるせなさに目を閉じた。一瞬落ちてきた闇に目を慣らして、勿体つけるでもなく再び瞼を持ち上げる。ぼんやりと見えていたものが、今度は明瞭な輪郭を得て部屋の中心に立っていた。
「──お母さんが心配ですか」
『……そんなわけないでしょ』
 冷酷ともとれる声音で囁き──彼女、アキヤマリカは僅かに渋面した。
 まだ二十歳前の、幼さを残した容貌。適度に発育し、適度に細く、しかしどこか背徳的な艶めかしさを漂わせている。一糸纏わぬ裸身は血に塗れ、暗くくすんだ景色の中で赤だけが鮮烈に浮き上がっていた。
 幽霊か──記憶の残照か、精神体か。
 そのどれかであり、どれでもない。
 実体を持たず、そういったものを見る素養がない人間には存在を感知することすら困難な存在。
 肉体を捨て去ってしまった者達の一人──リカはつまり、そういったものだった。
 いつもは104号室の中年男に張りついているのだが、実の母親が幽体と化して現れたことに気付いたらしい。何故か五月雨の部屋に現れた母親を追い、律儀に聞こえもしないノックをしてから扉をすり抜けてきた。
『……お母さんは──どこに行ったの』
「知りません。僕は追い払っただけです。案外その辺りにいるかもしれませんよ? 探しに行ってはいかがですか」
『冗談。あの人に興味ないし。そもそも──』
 ──あれは本当に、お母さんだったの?
 問われ、五月雨は小さく肩を竦めた。何を言いたいのかを嗅ぎ取りはしたが、答えたところで確証はない。
「さあ……どうでしょう、としか言い様がありません。あなたみたいに、生前の記憶を保って、個体として存在していられる霊は案外珍しいんです」
 ──大概、群体になりますから。
 言って、リカを避けて部屋の隅に移動するとテレビのリモコンを拾い上げる。適当なチャンネルを選びながら、五月雨はぼそぼそとした声で喋り続けた。
「肉体から離脱した精神は、それ故に二度と受肉できない。精神はそれ単体では維持存続が困難なことから、似た性質を持つもの同士で離散集合を繰り返しながら肥大化する傾向にあります。稀にリカさんのように単体で存在し続けられる人もいますが、純粋可能性的には稀有どころか例外的と言った方がいい。人間の精神──意志には二つの方向性があって、他者を排除して外部に居場所を作るものと、自己の内面を削って居場所を作るものがある……僕は単純に前者を『毒』と、後者を『薬』と呼びますが、精神を切り離してから単体で存続し続けるには『薬』の意志を持つ人間の方が──」
『待って──待って! 何の話をしてるの? 私は』
「お母さんが元のお母さんなのか、他の雑多なものとくっついた成れの果て──お母さんっぽい別の何かなのか、僕には判断がつかないという意味です。生前の本人を知りませんしね。たまたま今この時点で表出していたのが、あなたのお母さんの欠片だったという可能性もある」
 ──というより、その可能性の方がずっと高いですが。
 言い捨て、改めてリカと向き合う。血塗れの彼女が恐ろしくないわけではないが、だから無碍に扱って良いというわけでもない。彼女には悪意がないのだ。悪気すらあったわけではない。精神は群体に引き寄せられる──肉の壁を持たないが故に、容易く影響され合うためだ。全て祖父の受け売りでしかないので、実は全部でたらめだという可能性もあるにはあるのだが。
 ──まあ、だとしても僕は困りませんしね。
 結局、存在しないはずのものだ。理屈を捏ねようと思えばいくらでもできる。
『……あなたは──私が、見えるの?』
「見えますよ。話もできます」
『あなたは──』
 ──何なの?
 ──何でそんなことができるの?
 嘆息する。
 軋む脳を無理矢理稼働させるような心地で、五月雨は緩く息を抜いた。浮かぶ言葉は全て上滑りして現実感がない。何を言ったところでこの幽霊が納得するとは思えなかったし、納得させなければいけないだけの理由も見当たらなかった。
 ──理由ね。
 それが必要なのか。
 理由がなければ息ができない程の愚図でもない。
 正しい答えを知らないだけだ──嘘も吐けるし、何より、
 ──間違えていい。
 どうせ──答えはないのだから。
「僕は──晩生内五月雨だからですよ。晩生内五月雨は人にできることができなくて、人にできないことができます。ちなみに、変わった名前なのは──」
 ──偽名だからです。
 告げて──五月雨は、幽霊を部屋から追い出すべく、無数の言葉を弄し始めた。
 そのぐらいの労力ならば、支払っても損はしない。
 正月早々から、息をするように嘘を吐く。
 つまりはそれが──生きていく、ということなのだろう。

 【了】