毒虫少女さみだれ/私に汚い言葉を言って
PHASE 1 : I SPIT ON YOUR GRAVE
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「……僕の『毒』では、あなた達は死にませんよ」
──死ぬわけがないでしょう。
すげなく言い放ち、晩生内五月雨はすっかり温くなった煎茶を喉に通した。めぞん跡地の一階居間、畳敷きの住民共有スペースに炬燵を勝手に用意して、座布団を敷いた上に座り込んでいる。下肢だけの熱感は、体温が上がりすぎないせいで寧ろ心地良い──茶を飲み、蜜柑の皮と悪戦苦闘している最中に、奇妙な二人連れが通りかかった。世間体と近所付き合いには細心の注意を払っている五月雨にとって、間違っても無視できる相手ではない。彼女達は近頃このアパートに引っ越してきた姉妹だった──名前は確か、伊皆シノと伊皆シア。白髪に白衣のシノが姉で、黒髪に黒ずくめのシアが妹だということだったが、容貌的だけではそう簡単に判別できない。もともと人の顔を覚えるのが極度に不得手な五月雨にとってみれば、似たような人間が二人いるといった程度の認識しか抱きようがなかった。
学校にも行かず、新年早々の深夜徘徊はどこの道を通ろうか──と頭の中で地図を組み立てている最中、唐突に引っ越しの挨拶をされた。その後はうんだのへえだの適当な相槌を返している内に、いつの間にか姉妹は炬燵の魔力に囚われていたらしい。一向に出て行く素振りも見せず、姉の方は五月雨が用意した蜜柑の山を勝手に崩して皮を剥いている。
果汁が飛び、シノの口許を濡らしたときには、何故かシアの方がやけに嬉しそうに「そういうプレイもありかも……」と呟いていた気がするのだが、それはただそうであるというだけの話だった。気にしなければどうということもない──プレイとやらに巻き込まれるのはどうせシノの方なのだろうし。
「えー、嘘、さみちゃんでも駄目なの? 大家さんは何かイケる的なこと言ってたよっ」
「……僕の『毒』は万能の魔法じゃありませんよ。あなた達みたいに──」
──死を与えられた人も、
──死を剥奪された人も。
「僕の──『毒』の効果は、ありません」
──食事に喩えてみましょうか。
言って、目の前に積まれていた蜜柑の山を崩す。空になったカゴを手に取ると、
「これが人間としましょう。あくまでこれは僕の主観ですが……人間は、このカゴに命を乗せています……この蜜柑を、命としましょうか」
適当な蜜柑を手に取り、姉妹の眼前に示す。今のところは興味を持って聞いてくれているらしい二人に頷きを返すと、五月雨はひどく倦んだ口調で先を続けた。
「生きていくということは、この蜜柑がどんどん腐っていくことに似ています。そして──腐りきった蜜柑はある時期が来ると取り除かれ、新たな蜜柑を置かれる。先ほどの蜜柑が『生』だとするならば、今度の蜜柑は『死』です。こうして──生者は、死者として認識されます……まあ、この辺りの認識については、きっとお二人の方が詳しいのでしょうけど」
つい険のある口調になってしまい、慌てて五月雨はわざとらしく咳払いをした。幸い二人はこちらの喋り口調にさしたる興味もなかったようで、話題そのものの先を待ってくれている。
姉妹相手に世間話をするのが苦痛というわけではない──むしろ何の気兼ねもなく会話できる相手は貴重だったし、耳を傾けてくれることに嬉しく思わないわけもない。
それでも自然と倦怠が滲むのは、自分が明らかに受け売りの話をしているからだった。
──お爺ちゃんの受け売りなんですけどね。
老年になっても悪戯小僧のような印象しかない祖父の姿を思い出しながら、五月雨は意識的に淡々と語り続ける。
「『死』の蜜柑をのせたカゴが、いわゆる死人です。僕の『毒』は、時間よりも効率的に蜜柑を腐敗させるものです──言い換えれば、それだけのものでしかありません」
──ですが、あなた達は。
「伊皆さんは──シノさんもシアさんも、通常の状態から外れている。シノさんには腐敗した蜜柑だけが残り、新たな『死』の蜜柑を与えられることがない。シアさんの蜜柑は防腐剤漬けで、何をどうしても腐ることがない。腐った蜜柑をこれ以上腐らせることも、防腐剤で守られた蜜柑を腐らせることも、僕の『毒』ではできません。それこそ──魔法じゃあ、ないのですから」
「……魔法じゃない、ですか……」
妹──シアが、初めて五月雨に対して口を開いた。
落ち着いた、思慮深い声音で、ゆっくりと言葉を紡いでくる。
「……でも、普通の人から見たら……これは、魔法ですよ。きっと……」
言って、三人分の視線が畳の上を滑っていく。共有スペースとキッチンとの境界線、黄緑色のモルタルが敷き詰められた床の上に、二人の男が白目を剥いて倒れている。どちらも長身で体格に恵まれ、お世辞にも人相が良いとは言い難い──はっきり言えばちんぴらの風体で、身なりもやけに派手なものだった。曇天なのにサングラスをかけている理由はよくわからないし、今となっては聞きようもない。
実際馬鹿げた話だった。正月早々やって来たこの男達は、自分がナントカ組のナントカガシラのナントカさんとかいうヤクザの部下で、姉妹二人に用があると言って、わざわざこんなぼろアパートにまで乗り込んできたのだ──ご苦労な話だし、正直この奇矯な姉妹を助けてやるだけの義理もないのだが、目の前で拉致されようとしている住人を無視はできない。ましてヤクザ絡みとなると、最悪五月雨の祖父繋がりで居場所が知られた可能性もある。
──まあ、それは流石に勘繰り過ぎでしょうけど。
どれだけ低い可能性であっても、見逃せないのであれば結果は同じだ。
為すべきことを為す。
言葉の『毒』を──服毒させた。
「──あなた達に関する『記憶』だけを『殺し』ました。僕は別に、魔法使いでもなければ殺人犯でもありませんから……この人達は、後は適当に片付けておいてくださいね」
「……勿論です……私の必殺・西部劇馬引き摺りごっこで、しっかり片付けておきます……」
「お姉ちゃん思うけど、そのごっこ遊びって絶対相手死んでるよね?」
「何を言いますか……ついでにお姉ちゃんも引き摺ってあげたいです……性的な意味で」
「性的な意味と一切噛み合わない単語だったよ今の!?」
蜜柑の皮を剥きながらおののくシノを尻目に、五月雨は共有スペースの一角を占めるテレビにリモコンを向けた。適当なテレビ番組でも流しておけばそちらに集中できるだろうと思っていたのだが、正月特番はどれも似たような内容ばかりで、まるで興味をそそらない。かといって炬燵から出たところで、どこかに行く当てがあるわけでもない──いつもなら自室にこもっているはずの時間なのだが、正月ぐらいはと早起きしたのが仇になった形だった。
偶然、104号室の住人──佐佐木原金太郎とかいう名前の、成人病予備軍みたいな中年男性だ──が出掛ける場面に遭遇し、その後ろに続いて部屋から出て来た『もの』に目を付けられたのだ。
とりあえず近付いてこないようにと『毒』を濃厚に漂わせては来たのだが、それすらものともしない姉妹には捕まってしまった。
──まあ、この人達は僕の『毒』が効かないみたいですから、いいんですけど……。
気兼ねなく会話できるという点では、彼女達はひどく貴重だ。
作品名:毒虫少女さみだれ/私に汚い言葉を言って 作家名:名寄椋司