LITTLE 第二部
怖くなって逃げ出したんだけど、追い掛けては来なかったらしいよ。
ママにこの話をしたらね、この街では十何年か前にも同じ様な人がその時間に住宅街とか公園をうろついてたんだって。
これって、巷で言う口裂け女って奴だと思うんだ。
口裂け女。
その呼び名が出た瞬間、私はマミちゃんの手を咄嗟に握った。
マスク越しの耳まで裂けた痛々しい口、サングラスの下の血走った目、不気味な程に真っ赤な服。
話を聞き想像した口裂け女は、あまりにも恐ろしい。
「マミちゃん……帰りは……一緒だよね?」
たぶん、私は震えていると思う。
自分の住んでいる街に、そんな異質な存在がいるなんて事を考えたら、背筋が寒くなって来る。
「う、うん。勿論、帰る時は一緒に……」
どうやらマミちゃんも私と一緒で、怖がっていた様だ。
「まったく、二人とも怖がりだなぁ」
由美ちゃんは相も変わらず、私達を見てニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。
「由美ちゃんは怖くないの?」
「こういうのには慣れてるもん。もっと怖い話も知ってるし。聞きたい?」
全力で首を横に振った。
「それにね、今日はもうすぐお母さんが迎えに来てくれて、塾まで送ってくれるから、とりあえずは口裂け女に会う事もないしね」
「いいなぁー、由美ちゃんは」
私の家の車は、パパが出張先に乗って行ってしまった為、今はない。
でも、こんな噂話を本気で怖がって親を呼ぶなんて、小学五年生としては恥ずかしい。
それにまだ五時ちょっと前だ。
春の最初というだけあって、まだ陽は僅かに出ている。
帰るのなら今だろう。
「マミちゃん、そろそろ帰ろうか?」
「うん。今、私も帰ろうと思ってた」
由美ちゃんは、「口裂け女に食べられないようにね」と私達をからかいつつも、学校の少し外まで見送ってくれた。
先程よりも陽は沈み、辺りは薄暗くなっている。
たしか由美ちゃんは、口裂け女が出るのは住宅街や公園だと言っていた。
まさか本当に出て来るとは思っていないのだが……どうしても先程の話を意識してしまう。
商店街を抜け住宅街へ入ると、道を通る人の数は一層少なくなった。
「優子、なんか近いんだけど」
「え? そうかな……別に近寄ってたつもりはないんだけど……」
嘘だ。
本当は怖くて、先程からマミちゃんの方へ無意識のうちに寄っていた。
「出て来るわけないよね……口裂け女なんて……」
「まさか……住宅街なんだから怪しい人がいればすぐに目に付く筈……」
言葉が止まる。
「え、何? どうしたの?」
「……あれ」
マミちゃんは人差し指で前方を指差した。
前方の道の隅に建っている電柱。
その隣に誰かが立っている。
真っ赤なコートを着込み真っ赤なハイヒールを履き、顔にはサングラスとマスク、長く伸ばした髪を腰より下まで垂らしている。
口裂け女だ!
間違いない!
そう確信した。
マミちゃんは酷く震えた手で、私の手を握る。
目の前にいる見た事もない異形の存在、それを前に、私も怖くて動く事が出来ない。
マミちゃんは私に問う。
「あれ、口裂け女?」
「分かんないよ……。でも、そう決まった訳ではないし……走れば越せるかな……」
「馬鹿! そんな事して、もし捕まったら食べられちゃうよ」
「でも……このままここにいるわけにもいかないし……。回り道したら、時間かかって真っ暗になっちゃうし……」
マミちゃんの手に力が籠る。
「行こう。優子、私から離れないで」
そうは言っているものの、彼女の声はかなり震えている。
しかし、マミちゃんが自分に任せて欲しいと言っている以上、勝手な行動を取ったら結果は良い事には成り得ない。
それなら、マミちゃんに付いて行くだけだ。
「行くよ!」
マミちゃんの言葉を合図に、私達は走り出した。
手を繋いで、口裂け女と思しき女性の横を通り過ぎた時。
とても低い、まるで女性とは思えない様な声が聞こえた。
「もう暗くなるわ。早くお家に帰りなさい」
それを聞いた瞬間、背筋に悪寒が走り、とても嫌な気分になった。
マミちゃんの歩がより速まる。
手を繋いでる状態で、マミちゃんと私の距離が少しだけ空く。
私はマミちゃんに引っ張られる様にして、後ろを振り返らず走った。
家に着くと、私達は無我夢中で玄関に上がった。
すぐ後ろまで口裂け女が付いて来ている。
そんな気がしたのだ。
背負っているランドセルが重くて熱い。
汗のせいだ。
私とマミちゃんは息を切らしながら、ランドセルを背中から降ろした。
慌てて帰って来た私達が、どうやら騒がしかったのだろう。
リビングからママと麗太君が出て来た。
「ちょっと、二人とも。どうしたの? そんなに息切らして。かけっこでもしてきた?」
呑気なママの問いに、私は口調を荒げる。
「そんなんじゃないの! 出たの!」
「何かの当たりくじでも引いた?」
「違うの! 口裂け女!」
ママと麗太君は顔を見合わせ、次の瞬間笑い出した。
「まったくもう、この子は……口裂け女だって! いつの時代よ、まったくもう! 麗太君もそう思うでしょ?」
口を押さえて堪えながら麗太君は頷く。
「……本当に出たんです!」
マミちゃんがそう言うと、ママは少しだけ難しい顔をした。
「もしかして、赤いコートとハイヒール、それとマスクにサングラス……あとは……もの凄く低い声の……女の人?」
「はい、そうです! その人です!」
「なんで分かったの?」
「同じ人が出たのよ。私が高校生だった頃に……。あぁ、懐かしいわ……」
ママの表情はどこか切なげに見えた。
それでいて小学生である私には、到底理解する事の出来ない様な何かを秘めている。
そんな気がした。
「まあ、私に任せて!」
ママは胸を張って言い出した。
「どうするの?」
「口裂け女をね、この街から追い出すの。そりゃもう、ボッコボコにして」
「そんな、危ないよ!」
「そうです! 口裂け女に食べられちゃいますよ!」
私とマミちゃんの頭に手を置いて、ママは「うりうり!」等と言いながら強く私達の頭を撫でた。
「大丈夫よ。明日には口裂け女なんて出て来なくなってるから」
根拠はないが、ママの言葉には何故か説得力があった。
ママの言う通り、次の日の夕方、その次の日の夕方も、口裂け女が出て来る事はなかった。
二週間程過ぎて、ママにその事に関して聞いてみると
「出て来ない? 当たり前よ。私が追い払ったんだから。私は街の平和を守るヒーローなの! 仮面ライダーよ!」
等と言って、妙に手の込んだ変身ポーズをとって見せた。
この街から口裂け女はいなくなり、彼女の噂を学校で聞く事もなくなった。
しかし、私の内では未だに疑問だけが残っている。
口裂け女の正体とその経緯。
そして何より……ママの正体だ。
ママに口裂け女が出没したと話した翌日から、それはこの街から姿を消した。
本当に口裂け女がいなくなった事が、ママの起こした一つの行動であるのなら、一体どのようにして……また、口裂け女を街から追い出す程の力量を持つ私のママは、一体何者なのか、全ては謎である。
=^_^=
作品名:LITTLE 第二部 作家名:世捨て作家