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現代異聞・第終夜『行っちゃ駄目』

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 俺が事故に遭ったことをどうやって知ったのか、また俺をどうやって助けてくれたのか、相変わらず鍵子ははっきりしたことは何も教えてくれなかった。いつだって鍵子は肝心な部分になると仄めかし、暗示するような言い方をして有耶無耶にしようとするのだ。もし俺があのまま宿に残っていたらどうなっていたのか──もしかしたら友人達を助けることができたのではないだろうかと、そう思い気に病んだこともある。鍵子曰く助かるべき者が助かり、助かるべきでない者が助かっただけの話とのことだったが、俺にはそう簡単に何もかもを割り切ることはできそうにない。
 引き摺って引き摺って、後悔しながら生きていく。
 助けを求めてはいなかったにせよ──あの三人は、仲間を求めてはいたのだから。
良かれ悪しかれ、ただ一緒に行く仲間が欲しかっただけなのだ。
 それを俺は一概に責めるような真似はできない。
 いつも一人で孤立して、周囲の人間全てを遠ざけていた俺に、救いの手を差し伸べてくれた──その事実まで変わるようなものではない。
「……紘一郎さん」
「何だよ」
「あなたは私のことを優し過ぎるぐらい優しい、と仰いましたけど……あなたも大概だと思いますよ、私は」
 ──優し過ぎるぐらい優しいのは、あなたの方です。
 言って、鍵子はちらと雪が降り積もる遠景を眺めた。
 その横顔に浮かぶ笑みを確かめ、俺は小さく肩を竦める。
「……優しくないだろ。普通だよ……普通に後悔して、普通に不幸せなだけだ」
「普通より頭は悪いんですけどねえ」
「最後は無理矢理そっちの方向に持って行きたいわけだな?」
「いえいえ、思ったままを言っただけですよ」
「余計悪いよ」
 口の悪さは変わらない。
 だからきっと、鍵子が優しい女性だということもまた、変わらないのだろう。
 あの宿で見聞きし体験した全てのことについて、俺はこれ以上語る口を持たない。今でも時折思い返しては悪寒に震えることがある──不潔極まりない内装や時代がかった設備、従業員すら顔を見せなかった館内、充ち満ちた悪臭。確かにこの目で見たはずなのに、あの三人の顔を思い描くことができなくなっている。俺の体に組み付き、何としてでも宿の外に出すまいとしていた、峰岸先輩の──橋場の、久里の顔は、歪みきった曲線で構成され、どんな名筆でも形状の一端すら捉えることはできないだろうと思える代物だった。何故彼らが俺まで一緒に連れて行こうとしていたのかはわからないし、今となっては考えても意味のないことだ──俺はこうして大怪我をしながらも生き残り、三人は皆死んでしまったのだから。
 遺体の破損状況から見て即死だったそうですよ、と鍵子がいらない情報を教えてくれたりもした。
 ほんの少しだけ相談をした医者には、突然のショックによる錯乱とそれによってもたらされる悪夢だと断定され、精神科のカウンセリングを受けるよう強く勧められた。適当な言い訳をつけて誤魔化して以来、誰にも打ち明け話をしないようにと心に決めている。
 精神科医の通り一辺な分析や、化学薬品による脳への刺激だけでは到底辿り着けない真実があるはずだと、俺はどこかで確信していた。見出した答えが決して安穏を約束するものではなく、寧ろ俺のこれからの人生を大きく狂わせることになるだろうとも予測していたから、真実がこの手から遠のいて行ったことについては幸いだとしか思えない──鍵子も、深く考えない方がいいと言っていた。
 ──ああいうものは、ああいうものなんですよ、紘一郎さん。
 ──考えれば考えるだけ囚われて、
 ──囚われれば逃げ出せなくなる、
 ──底なし沼のようなものなのです。
 俺は──底なし沼から手を伸ばして、
 その手を掴んでくれたのが鍵子だったという、それだけの話だ。
 俺が大事故に巻き込まれ瀕死の重傷を負ったと知った鍵子は、迷わず自分自身も慣れない車を運転し、電信柱に激突して大怪我を負った。
 ──まあ、紘一郎さんのためですから。
 ──これぐらいは安いものと思っておきます。
 半ば自殺めいた手段をとってまで助けてくれたのに──鍵子はまるで何でもないような調子で、ふにゃふにゃ、くにゃにくにゃとした笑顔を絶やしもせずに告げたのだ──安いものだと。病室で目を覚まし、混乱して泣き叫び、暴れ回る俺を抱いて宥めながら──耳元にそっと囁くように、告げてくれた。
「みぃーんな、不幸に、なぁーあ、れ……ですよ、紘一郎さん」
 ──不幸の責任は全て分担されるべきで、
 ──私だって責を負うべきなんです。
「周りのみんなを不幸にするなら、私はそれ以上不幸になるしかないんです」
 ──だから、気に病まないで下さい。
 ──この怪我は、紘一郎さんのためのものじゃあないんです。
 ──この怪我はあくまで、私が勝手にやったことなんです。
 素直に納得できたわけではない。
 それでも、飲み込まざるを得ない事実だけが残る。
 峰岸先輩は死に、
 橋場も久里も死んで、
 俺だけがかろうじて生き残った。
 車を運転していた峰岸先輩の操作ミスと、明らかなスピード違反が原因の事故だったとかで、先輩の両親と名乗る人達からは危うく土下座までされそうになった──自分達だって大切な息子を失って悲しいのだろうに、恨み言の一つも言わず、治療費は全て払うだの賠償金は幾らだの、そんな話ばかりしていた。
 きっと──そうしなければ耐えられないぐらい、悲しいのだろう。
 俺はただ頭を下げて、彼らの言うことにいちいち頷くぐらいしかできなかった。
「……みんなが、不幸になるな」
 独白は寒さと雪に交じり、硝子戸の向こうへと通り抜けていく。
 透き通った空気が漂う院内で、俺はただ静かに溜息を吐いた。
「でも、それでいいんだよな──幸せになったり不幸になったりって、全然別のことなんだから」
「……そうですね。とても似ているけれど、でも似ているだけで結局異なるものでしかないんですよ──幸せと不幸は、決して裏返しでもなければ反対のものでもない。チョコレートとおでんみたいなものです。同じ部類のものではありますが、相容れない……同居できても交わることはない、そういうものなのです」
「だったら……俺は、お前と一緒に幸せになるよ──洋子」
「ええ……私は、あなたと一緒に不幸になります──紘一郎さん」
 言葉は俺達以外の誰にも聞かれず、聖祭の賑わいに掻き消される。
 俺達だけが知っていればいいことでもあったから、騒ぎが気にもなることもない。
 不意に──ぐい、と強く車椅子を前に押し出される。
 見上げれば、車椅子に寄りかかるような姿勢の鍵子が、寒さ以外の理由で頬を赤くしている。それを指摘してやろうかと思って、止めた。
 理由はひどく簡単なものだ──。
「……紘一郎さん」
「なんだよ」
「メリー、クリスマス……大好きですよ」
「……メリー、クリスマス──大好きだよ」

 ──多分、自分も人のことは言えないだろうから。

 しめやかに落ちる月光は一言も言わず、どんなときでも、魔法の光。