『暴かれた万葉』 6
老郷土史家の話は最初から衝撃的な内容だった。
あの和歌は、防人などの歌ではないと言う。
当時東国と呼ばれた地域の一つである、この界隈は戦闘に強い
男子が多かったので、朝廷が防人として徴用したのは事実だが、
この歌自体は、誤解されたまま東歌として万葉集に採り上げられている。
東歌には違いないが、防人を詠んだものではない。
では、何を詠んだ歌なのか?
それには、万葉仮名に戻す必要がある。
即ち、
「宇麻具多能禰呂爾可久里為可久多爾毛久爾乃登保可婆奈我目保里勢牟」
となるが、十二番目の「為」の文字は「い」と「し」と二様に読むことが出来る。
学者によっては、万葉集は「し」と読む方が一般的だと言う者もいる。
自分は、必ずしも「し」が多いとは思わぬが。
兎も角、「し」と読むと、歌の意味はどう言うことになるか?
「馬来田の峰々に囲まれた此の様な土地にお隠れになられただけでもお気の毒なのに、
況して、おくに(故郷)が遠いだけに、さぞかし(故郷の)風景が恋しかったでしょうに」
誰か、此の地で貴人が崩御したかの様に受け取れる。
たとえ、「し」と読まず、「い」としても、
「馬来田の峰々に囲まれた此の様な土地に隠れ住んでいるだけでも辛いのに、況して
故郷が遠いので、あなたの瞳が恋しくて堪らない」
の様な解釈となり、誰か遠い故郷を離れてこの土地にひっそり隠れ住んで居る者が
故郷に置いてきた愛しい人を恋しく思う様子と受け取れる。
いずれにせよ、当地を旅立つ者の歌などではなく、故郷を離れて当地に来ている者の歌で
ある。
従来の解釈は、防人の先入観により素直でなく、多少無理な印象すら与えている。
続
作品名:『暴かれた万葉』 6 作家名:南 総太郎